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政治も諦めたらそこで試合終了

民主主義や選挙、若者の投票率アップ等をテーマにした討論番組を見ました。選挙前などによく見かける企画ですが、この日は、具体的な提案として、「年齢や平均余命で票にウエイトをつけ、若者の一票を重くする案」や、「未成年の子を持つ親に子どもの数だけ投票権を付与する案」、「政治家を選ぶのは思い切ってくじ引きにする」、「そもそも政治家は不要でデータやAIでものごとを決めていく」等々、具体的な案が紹介されていました。

出演された自民党の某ベテラン国会議員は、不快感も露わに憲法違反などを持ち出してもちろん反対。若手コメンテーターの中には賛否両論、さまざまな意見がありました。その中で私が賛同したのは政治家に任期を設けるというもの。これまで私自身は『定年制』よりも『多選禁止』を主張してきました。新陳代謝を高めなければ社会の不健全さは増すばかり。「社会を変えたければ投票に行け」と、どれだけ声高に叫んだところで、新人が参入し難い現行制度では、有権者からすると、選択肢がない。どうせ変わらないとの諦めが先に立つ結果になります。これは若い世代に限ったことではありません。

平均余命で一票の重みを違えたり、定年制や任期制を設けたり、女性だけでなくマイノリティーの枠を設けたり、多様な社会を選挙で反映させるためには、それくらいのことをやらなければ。なのに番組の雰囲気も「どうせ実現されない」との冷めた空気が漂っていたのを感じとりました。

こうした制度が変わらない根本的な原因は、選挙など政治家の身分に関わる仕組みを変えるのは現在の政治家自身だからだと思っています。多少の給料や手当を削って「身を切る改革」と言えたとしても、選挙区や定員を変更するだけでも、政治家個人や政党間の思惑がぶつかり合って、なるべくお互いの身分に影響しない折衷案のようなものが世に出されることは、これまでの歴史が物語っています。

本気で民主主義を機能させ、多様で変化の著しい現在の社会を反映できるような仕組みに変えるためには、政治家を一切排除したメンバーで、フルオープンな場で議論してもらい、最終的には国民投票のような形で決める。それぐらいしないと無理なのかもしれないなと感じています。

番組の最後が「絶望のみが深まった」とのコメントで締められたこともあり、自分の中にも芽生えつつある「諦め」を振り払う意味でも、あえて言い切ってみました。『スラムダンク』の安西先生ではありませんが「諦めたらそこで試合終了」ですものね。



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