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参院選で問う~将来世代への責任

「将来世代への責任をどう考えるのか?」

経済情報番組を観ていて、早朝からそんなことを考えました。その番組の中では、国民年金の課題が取り上げられ、ここにきて保険料納付率は高まっているものの、実態は猶予や免除の件数が急増したためで、年金財政が改善しているわけではないことを指摘。2004年の年金制度改正で導入された『マクロ経済スライド』も機能しておらず、このままでは将来的に給付額の大幅な減額は避けられそうにないことが説明されました。

さらに別のコーナーでは、日本の財政問題について、世界各国の政府債務残高の対GDP比の推移を示し、日本が突出して悪化している状況を説明した上で、債務を膨らませて現役世代の公共サービスに充てている現状を、『財政的幼児虐待』という言葉を用いて、将来世代への過度なツケに警鐘を鳴らされました。もちろん、これまでのコロナ対策や現在の物価高騰対策等を否定するものではありませんが、「将来世代への責任はどこへ行った?」と、思わざるを得ない現状には、私も不安を覚えます。

最近では、財政健全化の議論がほとんど聞かれなくなりました。「独自通貨を持つ国であれば、債務返済のための通貨発行に制約を受けないため、いくら借金しても財政破綻は起きない」といった『現代貨幣理論(MMT)』の影響は大きいように思います。現在の政権は表面ではMMTは否定しつつも、財政規律の緩みきった現状では、元総理の「まだまだ日本国債は十分な信用があるから心配しないでもらいたい。これからもまだまだ財政政策をやっていく余裕はある」という物議を醸すような発言と基本的には同じことです。

あっという間に地方自治体でも、財政計画や行革計画が姿を消してしまいました。緊縮財政を礼賛するものではありませんが、景気が悪ければ刺激策として財政出動し、改善すれば緊縮財政に向かう、その柔軟性がなければ財政は硬直化し、将来世代の負担は増す一方です。ここ数年の日本の状況は、常に危機を叫び続けて財政出動を続けています。そこには、現状への危機は感じられても、将来世代への責任ある姿勢は全くといっていいほど見受けられません。そして、その姿勢は、与野党ともにほとんど変わりません。

児童虐待の件数は増加の一途を辿り、貧困や家庭の事情などで出産前から支援の必要な『特定妊婦』も、行政の把握するだけでもかなりの勢いで増えています。財政だけでない将来世代に対する責任ある議論を、現在の参院選ではもっと聞きたいものです。

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