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社会的リスクに対応する力を

新型コロナウィルス感染者がまた急増してきました。熊本県でも1日当たりで過去最高の数字を記録することに。従来のオミクロン株よりも感染力の強い『BA.5』が広がりつつあり、第7波の到来ともいわれています。今のところは、病床使用率や重症化率もそれほど高くないからか、マスコミも比較的冷静に報じているようです。政府からは「現時点では都道府県からまん延防止等重点措置の要請はなく、重点措置の適用などの行動制限を行うことは考えていない」とのコメントが出されました。このことに関して、ある番組での興味深いやりとりを聞きました。車載テレビから流れる音声を聞いただけなので、正確ではないかもしれませんが、ぜひ一緒に考えてみてください。

「公表されるデータは大事。データに基づいてそれぞれが判断することももちろん大事。ただ、データから読み解くメッセージが無いのが問題。『感染者数が増えた』この数値をどう捉えたらいいのか。安心していいのか。気をつけるべきなのか。気をつけるとすれば、どう気をつけるのか。参院選の最中だからか、そのメッセージは聞こえてこない。これまでの日本のコロナ対応は、『なんとなく』の雰囲気・空気感でやってきた。『今のところ』は大丈夫だけど、もう少し感染者が増えて、マスコミも含めて国民が動揺し始めたら、ほどなく政府も危機感を出してくる。誰もリスクを取ろうとしない。空気に応じて動けば責任を求められることはなく、大きな批判を受けることもない。コロナ対応に限らず、日本はこうやって空気を読みながら動いてきた歴史がある。これからもそれでいいのか?リスクを取るといった覚悟のあるメッセージを誰か発しないのか?それを期待するのはこれからも無理なのか?」

一部は私の意訳も入っていますが、そんな感じのコメンテーターの問いかけに対して、専門家らしき人がひとこと
「無理です」。

確かにコロナだけでなく、日本社会はこれまで雰囲気や空気優先で動いてきたところがあります。外野からは強めの発言をしていても、責任ある立ち場になった瞬間から、火の粉を追い払うようなリスクヘッジに懸命になる。そのリスクは社会的なものではなく、あくまでも政治家の個人的なリスク。政治家であり続けることが目標となれば、それを妨げようとする動きが最大のリスクであり、関心事となるというわけです。よって社会的なリスクは放置され、先送りされる。市民は空気に流されるし、メッセージを発する側も空気を見計らった上で分かりきった無責任なメッセージを発する。その方が両者にとって無難らしい。無難と無難とが相まって、行き着く先はどこなのでしょうか。

将棋の羽生善治氏はこんなことを言っていたそうです。
「リスクを取らないと少しずつ弱くなる」
「安全策は相対的に自分の力を漸減させてしまう」
「経験値の範囲内からはみ出すよう、あえて意図的に強めのアクセルを踏むことを心がけている」
個人と社会の違いこそあれ「リスクを取らない社会も次第に弱まる」—同じことだと思いました。

リスクといえば、資産運用や企業経営などでよく聞かれる言葉です。リスクマネジメントにリスクコミュニケーション、リスクを把握し、分析し、そのリスクに備えることはその世界ではなかば常識です。私たちの社会においても、空気を読む力よりも、データを読み解く力、社会的リスクに対応できる力、それらをもっと培う必要がありそうです。

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