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議論好きの理由

あなたは『議論好き』ですか?
今の時代、即座に「議論なんて面倒くさい!」と返ってきそうです。そんな私は、「決して嫌いではない」というより「やっぱり、好きなんだなぁ」と、再認識することがありました。

数日前にある友人と食事に行ったのですが、その人がとても議論好き。いつも大体激論を交わすことになりますが、コロナもあって久しぶりということもあり、お互い溜めていたのか、その日も色んな話題で口角泡を飛ばすことになりました。ただ、その日がいつもと違ったのは、「ぜひ紹介したい」というある若者を連れて来ていました。現在浪人中で、年明けには大学受験を控えた19 歳。
おじさん2人の会話に呆れているかと思いきや、時折、口を挟んでくるではありませんか。考え方がしっかりしているのはもちろん、その間合いであったり、話が堂々巡りになりかけたときに絶妙のタイミングで新たな視点を投げ込んだり、「ちょっとブレイクタイムとったら」という合図なのかと思うほど、おそるべき19 歳。途中からは、3人で話し込み、あっという間に時間が過ぎてしまいました。受験生にとって貴重な時間をよかったのだろうか、と少々反省もしましたが、翌日、「その子もとても喜んでくれた」と友人から聞いて、安堵したものです。

受験生は正解を見出さなければ点数が採れません。ただ世の中には、正解のない、割り切れないことが多い、そう思っています。それを無理矢理、正義か悪か、賛成か反対か、右か左か、と単純化して色分けしようとすると、問題の本質からずれていくものです。ましてや、自分と反対の考えを持つ人とは接点を持たないようになると、その問題の本質が見えてくることはありません。

なので私は、考えの違う人と議論することは、好きというか大事なことだと思っています。議論の末に一致点が見出だせれば儲けもので、仮に見出だせなくても別の見方を知ることは決してマイナスではありません。生産性の観点からいえば、無駄な時間のように思われるかもしれませんが、私にとっては貴重な時間なのです。

2軒目のお店で、その友人から「あなたのアンチですよ」と紹介された人とは、残念ながら時間切れであまり話せませんでした。いつかまたその店に行ってみようかと思っています。やっぱり「決して嫌いではない」レベルではなく、間違いなく好きなようです。

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