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死者と語らう

最近、『こうのとりのゆりかご』を通して、あるいは歳のせいでもあるのでしょうが、命について考える機会が増えました。そんなことを考えていると、1989年に40歳の若さで亡くなった松田優作さんを、デジタルヒューマンとして復活させるプロジェクトが進行中であることを知りました。

私くらいの世代では、俳優・松田優作は憧れの存在でした。TVドラマでは『太陽に吠えろ』や『俺たちの勲章』、映画も『野獣死すべし』や『家族ゲーム』『探偵物語』『それから』、遺作となった『ブラック・レイン』など、彼が出演する作品は片っぱしから観ることにし、ほとんど期待外れはありませんでした。そんな「松田優作の復活」、本来なら喜ぶべきところかもしれませんが、とても複雑な心境でした。

私は観ていないのですが、2年前の紅白歌合戦で美空ひばりが復活したようですね。その際、故人を懐かしむ声がある一方で、「死者を冒涜している」や「不気味の谷だ」といった批判もあり、『AI美空ひばり』は物議を醸したようです。YouTubeで動画を観ましたが、私の感想は、どちらかといえば後者。故人をデジタル上で部分的に再現する取り組みは既にかなり広がっているそうで、多くの情報があれば、歌声だけでなく、思考パターンや語彙、口調の癖なども再現することは不可能ではなくなってきています。そんな技術があれば、松田優作の新作だって観られそうですね。でも、私は観ないと思います。どんなに技術革新が進み、本物そっくりであったとしても、それは本人ではないからです。ときどき遺作を観て、懐かしむことで十分です。

私は1年前に父親を、6年前には母親を亡くしています。これまでの私の人生でも、同居していた祖母や多くの身近な人たちとの別れがありました。そうした人たちを時には思い出したり、仏壇やお墓の前で語りかけることはあります。もし今も生きてくれていたら、どう思い、なんと言ってくれるだろう、と考えるときはあります。ただそれは、胸のうちにしまっておくことですし、答えが返って来なくても、それでいいのです。

「死者を冒涜している」とまでは思いませんが、デジタル化やメタバースなど、今後の技術革新において、死後の世界とだけは線引きをしてくれることを、私は望みたいと思います。

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