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赤色巡りを記事にするに当って

最近になって、これまで花街や色街跡を巡ってきた記録が相当な量になっていることに気づき、せっかくなので記事として公開したいと思い始めた。

以前記事にしたことがあるが、私は遊郭には全く個人的・一方通行な思い入れが強い。

こんな「思い入れ」は、実際に性風俗産業に関わる方からすれば笑止千万なのだろうし、私もこの10年以上、こんな垢に塗れた手で関わってもいいものだろうか、とずっと後ろめたさのようなものを抱えてきた。

だが、赤線ルポや花街巡りを扱ったネット記事などを多く読むようになって気がついたのは、それが誰であれ、こういった赤色(赤線青線、色街花街etcをまとめてこう呼びたいと思う)巡りの動機に貴賤などないのだろうということだ。

皆が皆、それぞれ異なる「思い入れ」を抱いて(そしてその多くは一方通行なもので)、それでも読む誰かの心を惹きつけるルポや記事を書いている。
思えば歴史に関わるもの・地域に関わるものというのはいつだってそんな調子で、特に赤色に関わるものにはその印象が強い。

売春防止法が施行されて50年以上経つ今となっては、「赤色」はすなわち、あらゆる人間の感傷による手垢の色なのだろう、とも思わないでもない。


赤線・色街のあった地域には、よっぽど大規模な開発や災害でも起きない限り、その「気配」のようなものが色濃く残るものである。
そのため、どうしても現代においても悪所扱いされたり、貧しい地域になっているところも多く、色々なルポサイトを見ていると(褒めるようなコンテクストであれ)悪し様に言われていることも少なくない。
そういった「ディープさ」を好む人もいるのだろうが、私は、そこで暮らしてきた人々・今も暮らす人々がいることを思うと、そういった物言いにはいたたまれない気持ちになってしまう。
歴史があり、当事者がいる「土地」の話なのだから、部外者が「汚い」「廃墟同然」のように言うのも、逆に「遺構がなくなって寂しい」「つまらない」と言うのも、それはエゴの押し付けでしかないのではないだろうか。

自分が人目に触れるレポートを書く際は、例えその動機がエゴに塗れたものであろうとも、書き方においてこういったエゴを噴出させないように、心がけることとする。


別段卑下することもなく、そして持ち上げることもなく。
ただただ「歴史記録の一つ」として、これまで回ってきた様々な花街・色街跡をこれから記事にしていこうと思う。

なお、私は赤色巡りに当たってはそれなりに調べ物をし、時には図書館に照会したりもしてはいるが、そういった歴史考察はあらゆる諸先輩の出版物やサイトに書き尽くされているものであるし、私が書籍引用などしたところで中途半端なものにしかならないであろうから、あくまで私は「自分が撮影したもの」を、これまで通り私の感傷で以て示してゆきたい。

あくまで「個人的な記録の一つ」としてお読み頂ければ幸いです。

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