見出し画像

ちっちゃなあおはる 10

 回復のための湯治


 インフルエンザでダウンしたぼくは、復帰を急ぐあまりにやや重い気管支炎も発症してしまうという不甲斐なさで面目丸つぶれであった。おかげで、通常復帰まで一ヶ月ほどかかってしまった、気の早い田舎の山々は、すでにうっすらと白く冬の支度を急いでさえいるようだった。


 冬になると、体育館が使えなくなってしまう――。ぼくには、そんな焦りもあった。この病床で体験したことは、またいつか別の形で書きたいと思う――。


 復帰したとはいえ、気管支が弱くなったことは大きなダメージだった。走れない――凍てつく田舎の空気は、それだけで、ぼくは咳き込まざるをえないのだった。冷たい空気は刺激なのだ。異常なまでに消耗した病み上がりの身には、小走りでも危険を伴った――喘息発作が発動したら運動は当面禁止になる。今夏の手抜き特訓の代償だろうか。"きくちくん"と遊び過ぎたのは、いい思い出であるのだが、こうも後悔と懺悔を強いられるとは予想していなかった。


 ぼくは、発作に気をつけながら体力と気管支の回復に努めた。田舎らしい、昔ながらの療法が多くあったが、一番効果があったのは温泉療法――湯治である。幸いにも、家から車で15分も行けば温泉街の銭湯がある。毎朝、父に連れられ朝風呂に浸かる。身体が温まると咳き込むのだが、温泉の蒸気をたっぷり吸い込むとそれも収まる気がした。何度も深呼吸して気管支を拡げ、たっぷり潤す。2週間ほど続けた頃から、徐々に咳き込み方に改善がみられた。息苦しい感覚も和らいでいた。これなら、走れるという実感が湧いたのもその頃だ。


 ぼくは、今頃かよ感もありつつ"えりかちゃん"に電話をかけた。手紙をもらいながら、電話の約束をようやく果たしたようなものだった。


 それなりに緊張しつつ、ちょっとしたやりとりと体調のことと試合のことを伝えた。ぼくの重症度はすでに親伝いに知られていた。"えりかちゃん"は無理しなくていいと言ったが「あたしね、小学校最後の思い出に、ひでかずとバスケはしたいんだ!」とも強く言った。ぼくは"1on1"を提案した。人数がいたら、中断しづらいけど"1on1"なら気兼ねなく中断できる。審判もとくにいなくても大丈夫だし、そう考えてのことだ。

彼女は「O.K!放課後なら、今週中ね。もうすぐ、冬の行事の準備も始まっちゃうから。」といつもの快活な声がかえってきた。ぼくも、その声を聴いてどこかほっとした。ぼくはその日から、走る準備をし始めた。軽く走っても、冷たい空気で咳き込んでしまった。そこで、十分に筋トレなどで身体を温めてから走ってみた。疲れは増すが、走れる。やり過ぎなければ大丈夫という感覚がつかめた。


 その週の土曜日の放課後、体育館解放の最終日でもある。ぼくらは体育館で"1on1"の勝負をした。あまりに白熱してしまったためか、体育館にいた子たちはぼくらにハーフコートを譲ってくれた。応援してくれる低学年の子もいた。


 審判をかって出てくれたのは"きくちくん"だった。彼は、ぼくがダウンしているときも気にかけて連絡を絶やさないでくれた――クラス違うのに。


 彼には"1on1"をやることは話していたが来るとは聞いてなかった。だが、ぼくは、どこかで彼が審判で入ってくれたら――と思っていた。嬉しいサプライズだった。舞台が整い、役者はそろった。


 "えりかちゃん"にとっての小学校最後の"1on1"の幕があがった――。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?