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ちっちゃなあおはる 7

新しいボールと冬のご褒美


 ぼくの苦い初試合はこうして幕をおろした。即席ながら、楽しいチーム作りだった。ぼくは、足が治るまでクラブ参加を見送った。軽い捻挫だったので一ヶ月程度で完治した。もうすぐ冬がくる。冬場は様々な行事もあり、クラブ活動もできなくなる。ぼくは、冬休みの前にクラブに復帰した。というと大げさだが、クラブ活動再開である。元チームメンバーも"はせがわくん"もみんな喜んでくれた。もちろん"えりかちゃん"も。冬場は身体が冷えるので怪我をしやすいからと、十分に走ってから練習に励んだ。


 その日、練習中に集合がかかった。なぜか校長先生が来ていた。校長先生から挨拶があり「移動用バスケットゴールはまだだが、中学校に行ってもバスケが好きでいられるようにしたい。」と、新しいボールをクラブに進呈しに来てくれたのだった。箱に入った新しいバスケットボールをあやこ先生が両手に抱えていた。あやこ先生は「"ひでかず"、"えりか"、前に出て受け取って。」とぼくらを指名した。二人とも顔を見合わせて、何も聞いていなかったことに、びっくりしながら新しいボールを受け取った。


 夏に徹底的に打ちのめされた経験がわきあがる。これでリベンジしよう。ボールに振り回されるのは、もう、ごめんだ――。


 直ぐに開封して、みんなで触った。大きいボールはやっぱり、扱いにくかった。しばらくすると、クラブ活動以外でも大きいボールは常設となった。だが、長時間使う子は少なかった。結果的に、放課後にそのボールを使うのは、ミニバスケクラブの子が多かった。


 "きくちくん"との冬休みの特訓は、走ることが多くなっていた。彼の家で犬をかいはじめたものだから、必然的ではあったものの、最初の犬の散歩特訓は町内一周の広範囲なものだった。そんな特訓も雪が降ると、自然に通行止めの道も増え、範囲は徐々に狭まっていった。大雪の日などは、お互いに電話で「今日は筋トレだな。」とお互いの家を往来して、筋トレ後にはファミコンで遊ぶことも多かった。また、ぼくら雪国の小学生は、学校山の愛称を持つ市が運営する小さなスキー場でスキーもした。小学校から片道約50分の山道をスキー道具一式を持って行くのだが、行けば、ほぼ1日遊び通せるので最高の遊び場だった。冬休みの体育館は、全校児童のスキー道具の置き場としても解放されていた。バスケのゴールも天井側に片づけられていたため、当時の冬休みの小学校でバスケは出来なかった。


 年が明け、冬休みが明けると少しづつ年度末の準備が始まる。卒業式の準備である。必然的に体育館が使えない日が増える。

 ぼくは、冬場の体育館が使えない日のほとんどを図書室で過ごした。暖房が素晴らしく効いているからである。それともう一つ――これはある条件が重ならないと見れないのだが、図書室の一角から見える夕景に魅せられたからだ。あまりにも美しく神々しい景色なのだ。数える程度しか見れてないのだが、息をのむという言葉が相応しい現象だ。図書の先生も見たことがあると聞き、氷と雪と二重サッシと夕焼けの偶然で見られる光の屈折だと教えてくれたのだが、当時はちんぷんかんぷんである。神様からのご褒美だと言い直してくれた。

 夕焼けの赤みがかかった虹色に輝く雪の結晶が、キラキラと音もなく舞い降りる。神様からの冬のご褒美――。

つづく

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