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ちっちゃなあおはる 9

 微妙な距離とラブレター?


 ぼくと"きくちくん"と"えりかちゃん"のバスケ好きは、変わっていなかったが、熱意は少しだけ冷めたように思える時期でもあった。
 ぼくと"きくちくん"は5年生、当然、"えりかちゃん"は6年生である。あまり登場しないが、兄の"かずあき"も6年生だ。


 ぼくは5年生にして初めて"きくちくん"とはクラスがわかれた。保育園からずっと同じクラスに居たので、最初は違和感があったのだがそれはすぐに、どうでもよくなった。クラスが変わっても、相変わらずなぼくらだった。

 もっとも、彼から良く電話があったのだが「明日の授業で使うものって何だっけ?」であった。時間割が違うので知らないという以外に答えようもなかった。だが、彼は毎回電話してくるのだった。そうして、バスケの話で盛り上がり、彼は忘れ物が絶えないという事が、その後2年間ものあいだ伝説的に繰り返されたのだった。


 特筆すべきことは5年生・6年生の高学年になると、本当に周りの目がうるさくて面倒が多かった。女子と話をしたとか、電話をしたとか、それだけで断罪であった。思春期の始まりということで、ぼくと"えりかちゃん"の距離も微妙になった時期だった。彼女も周囲の目は避けられずに居たようだった。ぼくらが会うのは、親同士も絡む行事的な遊びだけに限定された。もっとも、相変わらずぼくには男女の感覚は乏しいままであったのは言うまでもない――。

 ミニバスケクラブは継続したのだが、あやこ先生が不在のクラブは何とも味気のないクラブとなった。"はせがわくん"も"まつきくん"も卒業してしまったので、ぼくの張合いもちょっとレベルが下がった感じがあった。人数も13名と一気に減ってしまった。クラブは固定参加ではない為、どうしてもこういうことは起きてしまう。

むしろ、去年までのバスケ人気は、あやこ先生の人気だったとも言えた。当面の人数は4年生の新入りさんが来ることに期待するしかなかった。夏近くになって、他のクラブから異動してくる子もあって、夏休み前には18名まで回復していた。3チーム出来るので、紅白戦もリーグ戦という形でできるまでになった。

 秋には、ミニ大会がも催された。だが、その年ぼくはミニ大会をなんと欠場してしまった――うかつにも、流行り風邪にかかってしまったのだ。そう、あろうことか、大会前日にインフルエンザに罹患――あえなくK.O.となった――。


 その日の夕刻頃に、一通の手紙が届けられた。差出人は"えりか"とあった。

「ひでかずへ――
 あたしにとっての最後の大会に、休むなんてひどすぎる!残念すぎる!悲しすぎる!つらすぎる!しょうがないけど。

 ちゃんと治ったら、試合しようね。しなかったら許してあげないんだからね!具合悪くても、何か食べないといけないんだからね。ずっとちびのまんまだからね、大っきくなれないんだから。わかった?熱が下がったら、お家に電話して。絶対だよ!――えりか」

 これが、ぼくにとっての人生初の思いのこもった異性からの手紙である――。

つづく

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