正義には犠牲がつきものだよね

正義とは結局自分目線でモノを見ているからこそ出てくる言葉である。

と、1文目からぶっ込んでいった訳だが、これはあながち間違いでは無いと思う。
自分で出した考えなんだから間違いだと思わないのは普通だろとかいうツッコミは置いといて、これはどういうことか説明しよう。

例えば石川五右衛門のように、金持ちから財を盗み、貧民へと分け与える。
この行為は貧民からしたら正義であるが、盗まれた人からしたら悪である。

そして石川五右衛門がそのような正義を行うためには、金持ちという犠牲が必要であるのだ。

だからまあ、石川五右衛門が正義であると感じている人は多分裕福な家庭では無く、貧民目線でこの話を見たからだろう。
裕福じゃないとか言ってごめん笑笑

まあこのように正義は自分目線で決められることが分かった。

それで、僕がなぜこのような題材で記事を書いているかと言うと、自己の正当化のためである。

何を隠そう、今日僕は自分目線の正義を執行してしまった。
後悔はしていないが、執行した相手には恨まれていると思うので言い訳という形でこの記事を残そうと思う。

それでどのような正義を執行したのかだが、簡潔に言うと、見ず知らずの人の自転車のライトを折った。
腹いせに。
正義を執行するというのを表向きな理由として。

これだけだと勘違いをする人が出てくる、というか多分皆僕のことをただのヤバい奴だと思っていると思うので、詳細な説明言い訳をさせてもらう。

まず事が起こったのは駅前の地下駐輪場。
今日は近くの学校でデカめの文化祭が開催されたこともあり、いつもよりかなり混んでいた。

僕は友達と文化祭の担当をサボりカラオケへ行くため、その地下駐輪場に自転車を止め、そのままカラオケへ行った。
そしてカラオケやゲーセンを一通り嗜んだあと、自転車を取りに行くために地下駐車場へ戻り、駐輪料金の精算を終え、自分の自転車を止めた所に行くと、そこで事件は起きた。

僕が自分の自転車のハンドルをつかみ、引き抜こうとしたところ、隣の自転車が僕の方に崩れ落ちてきた。

なんとこの自転車の所持者は駐輪料金を発生させないように、停めてる風を装い僕の自転車にもたれ掛かるように駐輪させていた。

僕はとても腹が立った。
何に腹が立ったって、僕に崩れ落ちてきた隣の自転車のハンドルが僕のみぞおちに直撃したことに猛烈に腹が立った。

僕は何も悪いことをしていなかった。
ただ自転車を引き抜こうとしただけなのに。
正しく駐輪場を利用し、大人しく帰ろうとしただけなのに。
なんで僕がこんな目に遭わないと行けないんだ!

そう感じた時、僕の手はもう動いていた。
そう、その自転車のヘッドライトを折っていた。
どういうことか分からないと思うが、僕も分からない。
ちょっと力を強くライトを握ったら折れていた。

まあスッキリはしたが、やばい。
とにかくやばい。
みぞおちの痛みもやばい。

そこで僕は言い訳を考えることにした。

自転車を引き抜く時にうっかり当たって折れちゃいましたーでいくか?

それとも、僕がここに来た時には既にこうなってましたにするか?

どう考えても最適解は出てこない。
なので僕は考え方を変えることにした。

そもそもこいつが不正に駐輪しようとしたのが悪くないか?

よく良く考えればそうである。
料金を発生させないように止めようとして、その結果ヘッドライトを折られてしまった。
これは完全に自業自得ではないか?

そう考えていたら自然と僕の冷や汗は止まっていた。

でもやっぱり自分にそう言い聞かせただけではなにか物足りないというか、些か罪悪感を拭いきれないので、ここに書くことで明日も快眠しようと、そういった試みである。

皆さんはここまで読んでどう感じただろうか?
不正に駐輪した方が悪い?もしくは自分の正義を執行した僕が悪い?

どう感じるかは皆さん次第だが、少しでもスッキリしたらあなたはこっち側であるということを自覚してもらいたい。

今頃僕がライトを折った自転車の持ち主は相当腹を立てているだろう。いや寝てるか(2023/09/17 04:10:05)
だが僕はそいつがどんなに怒ってようが悲しんでようが関係ないし知らない。
だってそれは、駐輪場を不正に利用しようとしたお前が悪いから。

というか、1番泣きたいのは駐輪場の管理者だと思う。
こんな輩がいると、そのスペースを利用出来なくなるわけで、その時間だけそこから料金を徴収できなくなる。
今日、こんなのが大量に存在していることを考えるとやっぱり管理者は可哀想である。

ちなみに2番目に泣きたいのは俺。
みぞおち痛かった。
30分くらい痛かった。
友達と談笑しながら自転車を漕ぎ帰路に着いていた時もズキズキいたんでいた。

と、まあこの話はここまでにしよう。

このように皆さんも正義を掲げ、その正義を後ろ盾になにか後ろめたいことをしてしまったことは無いだろうか?
僕はそれを咎めるつもりは無いし、咎める権利もない。

だが、本当にそれでいいのか?
それで君たちの鬱憤は晴らされるだろうが、その鬱憤をはらされた相手に溜まった鬱憤はどのように晴らされていくのだろうか。

こんな感じで負の連鎖は続いていくんだなとしみじみ感じてしまった。

ちなみに僕はそのように自分の、自分なりの正義を執行するのは大賛成であるので、ドンドンバシバシ執行していってもらいたい。

それによって相手がどう感じるとか、そんなのはいちいち考えなくてもいい。
そんなのをいちいち考えていたらそのうち鬱になってしまうだろうから。

そんなのを考えるより、自分を正当化する理由、逃げ道を作った方がよっぽどいい。

僕がこの記事を描き、皆に僕の考えを共有することで自身の正当化を図ったように。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
もし良かったらいいねやコメントよろしくお願いします。
そのいいねが僕を正当化する理由に繋がるのでね。


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