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記憶にございます


どちらが気になりますか?

二つの図形があります。どちらが気になるか、と問われたら、右と答える人のほうが多いのではないかと思います。

これは「ゲシュタルトの欠けた円」と呼ばれる図形?現象?なのだそうで、人間は長所よりも短所の方が目につくようになっている、ということの証明なのだそうです。

とある国会議員さんのパパ活(不倫も?)が週刊誌にすっぱ抜かれたのだそうで、それを以てその議員さんは辞職された、という記事を読みました。
もちろん議員さんはイメージが非常に大切なお仕事ですから、お辞めになるという決断を下されたことは尊重します。ただ、「記憶にございます」「辞めます」と述べた議員さんを取り扱ったネット記事に対して、「不倫だから当然」「税金でパパ活とは良いご身分だ」というようなコメントを書く人がいるのですが、何様のつもりだと思わずにはいられません。
別に擁護するつもりはありませんが、正直なところ、パパ活とか不倫とかは刑法的には問題はないわけです。子供の進学先であるとか、共働きをするかどうかの判断であるとかそういう内容と同じく家庭内の問題であって、外野がいちいち口を出すことではないと思うわけです。

これもマスコミの悪しき誘導の一種だと思いますが、最近の世の中はとかく人の過ちに不寛容です。
皆さん、人生の中で様々な法律であるとか世の中のルールやマナーに反した行為を一切犯していない聖人君子の集まりなのでしょうか。
先の議員さんも「記憶にございます」の後で「申し訳ありません」と謝罪されたようですが、マスコミの前で、誰に謝る必要があるというのでしょうか。
お騒がせした国民?いやいや、週刊誌などのマスコミが騒ぐから国民をざわつかせるのであって、議員さんが何の関係もない我々一般国民に謝罪をする必要がどこにあるのだろうと疑問に思わざるを得ません。ご家族や関係者に頭を下げる必要こそあれ、我々一般国民に頭を下げる必要なんぞ微塵もないのです。

そもそも政治家センセイに必要なのは国をより良くし、国民がより幸せに生活できる政策を実現することであって、それができるのならば多少の人格的欠如なんかはどっちだって良いと私は思います。

金に汚くない、女にだらしなくない、そりゃ汚い、だらしないよりは良いですが、政治家の価値ってそこですかね?と私なんかは思ってしまうわけです。
自分たちの尺度を当てはめ過ぎなんじゃない?と。

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