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学級委員さん

あるクラスに学級委員さんがいるとします。
長らく学級委員を務めてきたこの人物を仮にAさんと呼びます。Aさんは多少強引なところ、独善的なところはありますが、「クラスの生徒の主体性を高める」ことを目標に掲げ、他のクラスともそれなりに良好な関係を保ちつつ、大きな問題もなくクラスをまとめてきているようでした。
ところがある日の授業でAさんがカンニングをしている事実が明らかになりました。しかも聞くところによると常習的にカンニングを働いていたようです。
クラス内ではカンニングを働くような人は学級委員としてどうなのか、考えてみればこれまで強引なところ、独善的なところもあったので、Aさんは学級委員にふさわしくないのではないか、という議論が巻き起こるようになりました。
そんな中、同じクラスにBさんという、Aさんほどではないにせよ、人望のある人物がいました。しかしBさんの基本的な考え方は「先生の指導にしっかりと従えば良く、未成年である生徒が主体性を持つ必要はない」というものだったとします。

さて、次の学級委員の選挙でAさん、Bさんが立候補した場合、あなたならばどちらに投票しますか?
品行方正であることを重視するならば間違いなくBさんでしょう。しかし、恐らくですがBさんが学級委員となれば、クラス運営の方向性はガラリと変わるでしょう。

現在、世間を騒がせている「裏金問題に揺れる政権与党」を卑近な例で示せば、およそ上記のようなことが言えると思います。

世の中の情報化が進みすぎて、人間の脳のキャパシティを大幅に超すほどの情報量が飛び交っているそうです。その脳の負担を少しでも軽減するために、人間はできるだけあまり重要でない情報については単純化して理解しようとするのだそうです。
そのへんの手法は今の都知事さんが大変お上手で、よく二項対立にして論点を単純化しようとします(経済か生命か、などというのはその典型例です)。
しかし、実際はそんなに単純な図式で表せるものなどではなく、複雑な要素が絡み合っています。実際問題、生命を最優先したら、経済活動が立ち行かなくなって、別の意味で生命の危機を覚えた人が多数出た、という事象は記憶に新しいところです。

ましてやこの国の舵取りをどの集団に託すのか、というのは、非常に大切な問題のはずです。

どちらの肩を持つわけでもありませんが、AさんにはAさんの欠点があり、BさんにはBさんの欠点があります。Aさんの欠点がその立場を担う上で致命的であればもちろん他の人を、ということになりますが、必ずしも2番目に人望のあるBさんが適任とは限りません。Bさんのバックには強烈ないじめっ子であるCさんがいるかもしれない、という程度のことは、しっかり理解した上で、次のリーダーを選んでいきたいものです。

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