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想いと現実の間にあるもの

女性でありがちなのは
あなたの為を思って、、、
という「想」。

愛しているから、
あなたでいっぱいになって
わたしが見えなくなる。

自分のことそっちのけで
相手のことをとやかく言ったり
助けたくなったり
手を出したくなったり
求めたくなるのは、

私たちの身体に「欠け」があって
本質的に求めてしまうものが
あるからなのかもしれない。

自分が不完全であることの
「ダメさ」を
認められずにいる。

完璧でなければ
愛されないなんて
いつ、誰が、どこで決めたの?

自分が不完全であることが
「魅力」なら??

私たちが本当に受け入れるべきは
その欠けを愛し抜いていくこと。
この欠けを愛した時、
きっとその欠けを
満たしたいパートナーが
現れるのでしょうね。

満ちる、ということも
満ちていない状態
「欠け」がなければ
感じることができないのですから。

自分の現実を蔑ろにして
外側の誰かを想っていたとき
自分の現実も
外側の誰かのために使っていたから
うまくはいかなかったのかも。

肉体は
命は
いつだって
100%
自分のためだけに働き続けてくれている。

苦しかったり
悲しかったり
辛かったり
嫌気がさしたり
やる気が出なかったり。

そんな時は
自分を感じたくなくて
自分を遠ざけてしまいたくなるけれど、
実はそれこそが
身体からの愛のメッセージだなんて
全然気づけていなかった。

今でも
痛みが走ったり
外側の出来事や人間関係で
自分が思うようにならなかったり
自分を大切にできなかったり
誰かから嫌な扱いを受けたり
誰かから嫌なことを言われたり
強要?
無言のプレッシャー?
何この雰囲気?
何この「こういうもの」感。

そういう時には
どうしたって
外側の世界に
意識が行って
不平不満が満ちて
それに文句を言う自分が出てくる。

自分が感じているものから
避けたくなる!

でも、これが
まさか
身体からの愛だったなんて!

わたしが考えていることに
身体が
わたしの望みを叶えてあげられなくて
苦しんでいたなんて。

何かとんでもない勘違いをしているのは
いつだって頭の方で。

宇宙はいつだって完璧なバランスでできている。

それに気づけていないのは
わたしの方だった。

今、部屋が散らかっていて
片付いた部屋の方が
好きに決まっているのに、
その気力が湧いてこない。

汚いのがダメだから
美しくないといけないから
片付けるのか?

美しくすると
気持ちがいいから
片付けるのか?

わたしの基準はどうなっている??

わたしと言うのもを
美しいものと捉えると
歳を取ったり
病気や怪我で
身体に傷が付いてしまったら
もう欠陥品のように思ってしまう。

でも本当は、
病気になろうが、
怪我をしようが、
落ち込もうが、
陽気になろうが、
美しくても醜くても
わたしがわたしであることには
違いがなくて。

結局、どちらもわたしである、と言うことしか言えないのである。

その上で、
わたしはどうありたいのか?
それが
人生なのかもしれない。

どっちでもいい。
でも、
どっちがいい?

どっちでもいい。
それで、
どっちがいい?

わたしはずっと「でも」が好きだった。
「でも」
「でも」
「でも」
反転の面白さ。

「そして」の調べも
これからは悪くないのかもしれない。


そうそう。

めちゃくちゃ話は脱線したけど
想いと現実の間にあるもの。

それが愛なのかもしれない。

#愛
#ツインレイ  


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