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この4年間で僕らは「高専」に何ができたのか。

■ 株式会社ナレッジスターを買収し完全子会社化いたしました。(Anyba.inc)
https://anyba.jp/news/content/?id=25YeoUshT3N3ncO7XAyTHq

こういうことになりました。
「高専教育」を僕がこうやって文章で語るのは、とりあえず一旦最後!

「民間だからこそ変えられるもの」

「高専受験/高専のための塾をやろう!」と思い立って、勢いで物件をおさえて、勢いで商売を始めてしまったのが確か今からち4年前くらいだった。当時大学院を中退してしがないフリーターをやっていた僕は、まぁ自分にできることといえばこのくらいしかないだろうと、半ば消去法的に「高専塾」というものを立ち上げたのだけど、結果としてなかなかの反響に恵まれて、たくさんの人達と出会い、たくさんの困難と取っ組み合う機会を頂くことができた。

「高専教育」の現場は、とにもかくにも様々な問題に満ち満ちている。学力問題もそう。教員の数の問題もそう。アクティブラーニング問題もそう。数えだせばこんなの、キリがない。しかし、高専が「自浄作用」だけでこれを何とかしようとしても、長年かけて凝り固まってしまった仕組みやしがらみが邪魔をするばかりで、結局の所どうにもこうにもならずに現状がズルズルと続いてしまう。そんなことの繰り返しは僕からも何となく見えていた。

「高専の教育現場の問題点」に気づく先生、というのが時折いる。そして、「変えよう」としている先生、というのがいる。しかし、そういう先生と1年くらい空けて喋ると、だいたい口を揃えて同じことを言う。「高専を変えるのはもう諦めた」と。僕はこういうケースを何度も何度も見てきた。

こうなってしまう原因はいまとなっては割とハッキリとわかる。内部から変えるのは無理なんだ。先程述べたような、様々なしがらみ、様々な事情が、あまりにも複雑に、がっちりと絡み合っているから。

で、僕はナレッジスターという高専塾を始めて、しばらくしてこう思った。「民間が外からサポートをすればいい」じゃないか。と。

高専の中ではどうにもできないのなら、そういう「学業で困っている学生」は、民間事業者にかけこんで、そこでサポートを受けられれば良い。そういう受け皿を整備して、学校も半ば安心して「民間の受け皿を利用できる」という状況を作ればいいじゃないかと。そんなことを考え始めて、僕は思いの外これにハマった。根深い問題と取っ組み合うのは、けっこう面白いことだった。

高専との取っ組み合い

でもそれは同時に、高専との「4年に渡る取っ組み合い」でもあった。学生を通じていくらでも出てくる出てくる、高専教育のあまりにも根深い諸問題。そして、「高専受験」を取り巻く誇張/嘘情報や、そこから生まれる保護者、受験生の歪んだ不安の数々。ひとつひとつがとにかく根が深くて、厄介で。

でも、これが高専内部だけで是正できないなら、我々がどうにかするしかないではないか。そんな使命感でとにかく突っ走ったけど、なかなか思ったように成果が出なかったり、高専は高専で、民間事業者なんて一切見てなどくれなかったり、うまいこと利用だけをされることもあったり。

4年間の間で、楽しいことと辛いことのどっちが多かったかっていえば、辛いことのほうがそりゃあもう圧倒的に多かったと断言できる。何度も何度もやめようと思ったし、何度も何度も逃げそうになった。僕はこの事業の矢面に立っていろいろやっていた(「みんなの高専チャンネル」など)ので、とにかくもう色んな人から批判、悪口、嫌がらせなんて沢山あったし、でも何とか取り組みをどんどん大きくしなきゃ、とか考えるたびに、試行錯誤をして、失敗しては批判をされ、でも、同時に多くの人から期待もしてもらって。

従業員の生活だって保障しなきゃいけないし、更には僕が抱えている仕事は高専塾だけではなかったし。今だから言えるけど、凄まじいプレッシャーと凄まじいストレスの板挟みで、ただただもがき続けるみたいな日々だったと思う。「高専」は、最初に思っていたよりもずっとずっと厄介で、ずっとずっと凝り固まっていた。

僕が「高専バンザイ勢」をいまいち受け入れていなかった理由

世の中には、「高専はすごい!」「高専生は優秀!」「高専生が世界を変える!」ということを声高にうたう人が一定数いる。往々にしてそれは、高専OBOGだったりとか、あるいは、高専からの編入生を受け入れている大学の教授だったりとかするのだけど、僕は一貫してこの人達には否定的な態度を貫いていた。

その理由は先程述べたとおりで、高専の中がそんなに綺麗なことになんてなっていないことが、こちらからはまるっと見えていたからだ。僕から見ると、「高専はすごい!」とただただ主張し続ける人たちは、まるで高専の表層、つまるところ、入学案内パンフレットに書いてあるような就職/進学実績や、一部の本当に優秀な学生の成果や成績だけを見て、あたかも高専全体に言及をするかの如く「高専はすごい学校です」「高専生は優秀です」と随分とお気楽に主張しているようにも見えた。なんというか、泥臭い部分と常に取っ組み合っている僕らの苦悩や努力が、そういう人からは徹底的に見て見ぬ振りをされている感覚になることがすごく多く感じた。

「高専生はすごい」と主張を続ける人で、僕が(おそらくこの人に関しては)信頼できるだろうなと思っていたのは、高専キャリアのりゅーかんさんくらいだった気がする。この人は、上位層にチャンスを与える、上位層を教えあげるということに焦点を絞って、実益を伴った取り組みをある程度のリスクを負ってやり続けていたと思う。彼のこの取組が、抑えきれない熱量から来るものなのだろうなということは見ていればすぐに分かる。こういう熱量ドリブンで、実益を伴うことを愚直にやっている、みたいな人ならば、例えば高専OBOGだったとしてもすごく価値のある存在なのだろう。近頃は数稼ぎやら金稼ぎで高専教育界隈に飛び込んでくる人も随分と増えたけど、どんなモチベーションでやっているのかというのは、何となく言葉や画面から伝わってくるものだ。

若手のエネルギーと、僕自身の人生

ここ1年位、ずっとずっと悩んでいたのが、自分自身の立ち振る舞いだった。というのも、今までの4年間「ナレッジスター」として行ってきた取り組みは、結構な割合で僕に属人化をしまくっていた。属人化はスケールを遠ざけるし、僕個人の人生の中でも、プレッシャーとストレスを一挙に受け続けるのが辛くなってきた感覚があったし、それに、他にやりたいことも山のようにあって、一度自分自身の生き方を見つめ直すという意味で、そろそろ僕はこの「ナレッジスター」の矢面に立つことをやめても良いのかもしれない、という気持ちを悶々と抱え続けていた。

そんな中で、Anyba.incという会社とそのメンバーは、若くてエネルギーがあって、そしてなんといっても「高専」というものを実感として理解していた。良いところも悪いところも、「中にいた人」という視点から語れて、さらには「高専の助けになりたい」「高専を良くしたい」という熱量も持っていた。もしかしたら、くたびれたオッサンがこうして一人で悶々としているよりも、この人達にあとは任せたとバトンタッチしてしまうというのは、ナレッジスターが再びブーストをかけて突き進んで行く、高専教育を民間から書き換えて行くための最善策なのではないか。なかなかこれだけの適任というのは見つかるものではないのだろうか、という気持ちが次第に強くなったわけだ。

いろいろなやりとりの末、今回のような結末に着地させてもらうことにした。今なんというか、すごく気持ちが軽い。人生に一区切りがついて、また新たな人生がここから始まっていく感覚になっている。

僕たちは「高専が好き」だから頑張り続ける。

とはいっても、僕は顧問として「株式会社ナレッジスター」に関わり続けるし、今までほどではないけど、「民間からの高専教育」の一端を担う存在ではありつづけたいと思っている。

とにかく、辛いこと9、嬉しいこと1みたいな4年間だったけど、なんで僕が高専教育をまだまだ諦めきれないのか。その理由は単純で、高専が好きだからなのだ。高専の良いところも、高専の悪いところも、全部ひっくるめてやっぱり僕自身を育ててくれた高専という存在が好きなのだ。だから、「良いところばかり」を声高に叫ぶ「高専信者」でもなく、「悪いところばかり」を憂いてばかりの「アンチ高専」でもなく、「高専の酸いも甘いも受け入れた上で、現実問題として高専と愚直に対峙し続ける」人間でいたいのだ。

僕はいろいろと面倒くさい人間だけど、これからもどうか、「高専教育をやっていた人」として忘れ去るんじゃなくて、「高専教育を楽しそうにやっている人」として、横目でもいいから見守って、支えてくれたら嬉しいなと思う。僕は僕で、しばらくは自分の人生も謳歌しながら、あいも変わらず「高専」という愛すべき、それでいてきわめて厄介な存在と、取っ組み合いを続けて行けたらいいな、と思っている。

今まで支えてくれた沢山の皆さん、本当にありがとうございました。僕の「ナレッジスター」での人生はとりあえずここで一旦、一区切りです。そして、これからもどうぞ、何卒よろしくお願いいたします。

まだまだつづく。

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