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「釧路」という街が、やっぱり僕は大好きだ。

「廃墟の街」

最近、twitterで釧路がバズったり、有名Youtuberが釧路に訪れたり、「釧路」という名前が目に入ってくることが多くなった。
なんでかっていうと、釧路が「廃墟の街」「ドーナツ化現象の象徴」として不名誉な目立ち方をしてしまったからである。

釧路駅前にある「オーシャン」というでかいホテル。この見た目のままいまだに釧路駅前に鎮座しているが、なんとこのホテル、長くに渡って営業していない。(画像出典 http://sanpototabi.blog.jp/archives/1066563183.html)

幼少期の釧路はそれなりに栄えていた

僕は幼少時代から釧路という街で20年間生まれ育ったんだが、幼少期の釧路はそれなりに栄えていた記憶が今でもある。釧路は一応当時「北海道5大都市」にカウントされていて、炭鉱と製紙、漁業で栄えたでっかい街だった。
駅前には長崎屋があって、週末になれば家族連れでそこにでかけた。釧路町に行けば(当時は)サティという大型スーパーがあって、たまにそっちに遊びに行くのも新鮮な気持ちで楽しかった。長崎屋なんかは、なくなって長らく時間が経つが、何階に何があったかを間取り込みで覚えているくらいに記憶に焼き付いている。

長崎屋。白黒写真しか見つからない。そこまで古くはないはずなんだが。(画像出典 https://blog.goo.ne.jp/mk1_1978/e/8c6cc7d45deff1cfeba77741e2ec5650)

釧路の潮目が明らかに変わったのが、「ジャスコ」が昭和(釧路駅前からかなり離れた郊外)に出来るという噂が囁かれ始めたときだった。当時は家族や友人と「いつかみんな長崎屋に行かなくなって、ジャスコに行って遊ぼうって言うようになるのかね〜」なんて冗談交じりに笑いながら話していたものだ。これが時間の経過とともに、どんどんどんどん現実になっていき、長崎屋は駅前から姿を消した。今になって思えば、この「長崎屋」が釧路の盛衰の象徴だったようにも思える。

「長崎屋」はその後、アベニュー946という店舗に姿を変えた。この店舗も好きだったが、若者受けするような感じではなかった。今はアベニュー946も閉店し、パチンコ屋になっている。(画像出典 https://toshoken.com/news/5983)

ジャスコの進出とともに昭和近辺にはさまざまな小売店や飲食店が増え、気づけば駅前とは比較にならない「遊び場」になった。そして、一方では釧路町のサティがポスフールに変わり、イオンに変わり、という過程の中で、釧路町も昭和と同じくらいの「遊び場」になった。高専時代、遠出をして遊ぼうというときに釧路駅前という選択肢が挙がることはもはやなかった。

「ドーナツ化」。社会科で習うよりも、こうして目の当たりにするとリアリティを持ってその仕組みが理解できる。

twitterなんかで一時期バズっていたこの看板は、まさにその「昭和にできたジャスコ」の看板。(画像出典 http://kushiro-genjin.com/road-to-jusco-87)

そうこうあって、釧路駅前は今となっては巨大建造物が看板を残したまま中身が空っぽで放置され、まさに「至るところに巨大な廃墟」状態だ。なまじ「5大都市」に名を連ねていただけあって、駅前の建物は巨大なのである。それがまるごと廃墟のまま姿を残しているというのは、ある意味で壮観というか、圧倒的な光景である。だから、近頃ネット「釧路」という名前を、不名誉な文脈で見かけることが多くなったんだろう。

大人になって初めて見える釧路の景色

大人になってから改めて見る釧路という街は、たしかに幼少期とはガラッと姿を変えている。しかし、釧路という街には幼少期とは変わらない「芯」のようなものも確かに残っている。
釧路駅から徒歩10分ほどにあるMOOや幣舞橋の近辺は、特に夕方ともなれば世界三大夕日を携えて圧巻の景色を見せる。これは、幼少期には気づけなかった釧路の一面だ。

幣舞橋の夕日。世界三大夕日のひとつ。

さらに、幼少期は当然足を踏み入れることのなかった繁華街「末広」には、信じられないようなクオリティの新鮮な魚介類、ソウルフードであるスパカツ、エモーショナルな感傷に浸りながら釧路を全身で浴びられるご当地ドリンク「夕日ハイボール」が軒を連ねる。大人になって初めて遊んだ末広の街は、釧路の素敵さをまた違った切り口で見せてくれた。

末広は道東最大の歓楽街。道東の歌舞伎町である。釧路で20歳まで育った僕は、この末広という街に馴染みがなかった。そりゃ、未成年のうちは行けないわけで。末広の魅力は、大人になってから思い知るものなのだ。
トリスハイボールにグレナデンシロップ(夕日のもと)をそっと注いで出来上がり。まるで、幣舞橋から見える夕日のようなエモエモご当地ドリンク。

この末広も、ご多分に漏れずコロナ禍で大打撃を食らったらしい。しかし、最近やっとのことで、末広の軒先にも明かりが灯り始めている。あとは釧路人、そして観光を楽しむみなさんが足を運びさえすれば完璧だ。

そして末広の近く、幣舞橋沿いには「Cool KUSHIRO」という文字の巨大なモニュメントが気づけば設置されていた。夕日を浴びるコイツも、夜風を浴びながら青いスポットライトに照らされ佇むコイツも、どっちもすんごくイイ。なまらイイのである。

「Cool KUSHIRO」のモニュメント(夜)。僕が釧路を離れてから出来たコイツも、釧路の景色を見事に綺麗に彩っている。

スーパーエモーショナルノスタルジックシティ、釧路。

「残念」ばっかりが切り取られがちだけれど、釧路がその100倍くらい、「素敵」を抱え込んだ街であることは間違いない。どんなに廃れたって寂れたって、姿を変えたって、僕はこの釧路という街の根底にあるあの空気が、景色が、人が大好きなんだ。
という気持ちで、ひとつくらい釧路のいいとこを切り取ったコンテンツがあったっていいじゃんという気持ちで作った曲と、MVを貼っておきます。

「OH!!たのしげ亭」が映り込んでるMVなんて、多分どこを探してもこのMVしかないだろう。

いまこそ、「くしろよろしく」

釧路1回遊びにきてみてください。きれいな夕日みて、おいしい海鮮食って、「なんだ、いい街じゃん、釧路」って言いにきてください。

釧路人はこれを一言で、「くしろよろしく」といいます。

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