「社会人研修」をひと区切った ①

社会人研修。この仕事はもう、かれこれ3年ほど続けさせてもらっている。

大学院をやめてフリーターに。

そもそも社会人研修の仕事を最初にやらせてもらったのは、大学院をやめて、その後バンドをやりはじめて、それもうまく行かずに結局やめて、フリーターとしてふらふらしていた頃のことだった。フリーターでは例によって家庭教師とか個別指導とかをやっていたのだけど、ハードワークを続けすぎて、もう教育が嫌になりかけていたくらいの感じだった。あの頃は。

で、当時通っていた(今もちょいちょい遊びに行く)コワーキングスペース「ソシラボ」で色々な人達と知り合う(今やっている仕事のほとんど全ては、このときのつながりから始まっている)中で、「C言語の研修案件があるけどやりたい人はいないか」という募集を見つけて、たまたまC言語がそれなりに書けた僕は、「まぁ、暇でうろうろしているくらいだったらやってみたいな」と思い立ち、挙手をしたところ、先方の粋なはからいでアサインしてもらうことに成功したのであった(こういう仕事は本当は「実績がないからだめ」とか言われがちな仕事なんだけど、そのときは「若い可能性に賭けてみよう」とか言っていただいて。ありがたい)。

結果として、最初の社会人研修はわりと上手くいったのではないかと思っている。最初こそ緊張したが、当時はやりかたもわからずに必死で教え続けている中でいつしか緊張も忘れ、なにより、受講生の反応がとても良く、「あれっ、教育ってなんか楽しいな」なんてことを最終的には感じていたことを思い出す。

最初の研修はアンケートの結果も上々だったようで、そちらからはしばらく連続して声をかけていただいた。CだけじゃなくてJavaも。3回か4回くらい連続で担当させてもらったんだったかな。

社会人研修はとてつもなくハード

まぁ、そんな仕事をやりながら思い続けてきて、今も思っていることだけど、この仕事はとにかく凄まじくハードな仕事だ。もはやこれは肉体労働だと僕は感じている。しかも、肉体労働的でありつつ同時に本質は知的労働だったりするからこれまた。

いってみりゃ、通常「どっちか」扱いの「肉体労働」と「知的労働」を同時にやるのと同じです。しかも大勢の人前で。しかも連日。しかも長時間。うひょー

とにかく疲れる。肉体的にも精神的にも。この仕事を3年間やらせてもらっているが、この3年の間に何回も心が折れそうになった(というか折れた)し、体も壊したし、本気でやめようと決めたことも何度もあった。

どのくらいの頻度で「研修講師」をやっているのかを数えてみたことがある。詳しい回数こそ覚えていないが、一番ピークで稼働していた2018年は、確か2日か3日に1回のペースで講師業をやっていた計算だった記憶がある。2019年に関しても、多分ほぼ同じくらい(やや本数は減ったかもだけどその分内容が高度になった)のペースで講師業をやっていた。このくらいになると、だんだんと仕事に対する新鮮さが薄れてきて、疲労感や飽きが勝ち始めたりなんかして、正直つらい日のほうが割合としては多かった。

一番つらいときなんかは、研修始まる時間の直前になると決まって、「電車に乗ってどっかに逃げよう」みたいなこと本気で思ったり、誰かに「もう仕事投げてどっかいきます」みたいなメッセージ送る直前まで試みたり、あったからね。いや、これはマジですよ、マジ(笑)

社会人研修はとにかく「短期集中」

社会人研修はとにかく「短期間」で「長時間」であることが一般的です。これはまぁ、特に社会人相手(特に法人相手)で考えればまぁ当たり前のことで、そもそもの日常業務の合間に受講する形になるから、そんなに細切れに何日も何日も時間をとることができない、というのが理由。

だから、例えば「1日8時間」で「2日連続」とか、極端な場合は「1日10時間」で「1日ポッキリ」なんてことも全然ありえる。「とりあえず、時間は確保しといたんでしっかり勉強してください」的スケジュール設定。

まぁ、仕方ないのだ。これは。仕方ないのだけど、これは「何かを学んで修める」という観点で言えば「全然ナンセンス」な設定でもある。というのも、やっぱり「人間の頭が一挙に吸収できる知識量」って決まっているし、「復習の時間」がないと知識がとっちらかったまま結局どこにやったかわからなくもなるし。あと、人間の集中力ってそもそもどう考えたって8時間や10時間持たないしね。講師として工夫して休憩をはさみまくったりとかはするけど、それでもやっぱり後半どうしてもきついですよね。頭に入るものも入らない。

講師は講師で、基本的に「立ちっぱなし」「喋りっぱなし」を余儀なくされる仕事(グループワークや演習時間を作って講師の「喋りっぱなし」をなるべく緩和する手法もありますが、先方から「短時間で」なんて要求がきた日には、残念ながら講義をとにかく何が何でも進めて所定の範囲を終わらせなければならなくなるので、演習やグループワークから順にカットしたりすることが多い)で、それが長時間に渡るので、体力的にも相当にしんどい。しかも、ただ立って喋っているだけではない。「大勢の聴衆に見られながら」なわけだ。「変なことはいえない」し、「理解しやすいこと」を喋り続けなければならない。

講師というのは、(それなりのレベルになれば)往々にして「理解しやすい言葉遣い」をとにかく意識するものだ。そしてそのチョイスは「かなり繊細」なのだ。例えば、「この確率密度関数を」と言ったら理解されないものが、「この確率の関数を」と言ったら理解される、みたいなのは全然ある。常に常に、この「最大限伝わりやすい言葉」をチョイスしながら喋るのだ。莫大な精神力を消耗するのはまぁ当然である。ちなみに、この「絶妙なチョイス」がうまく出来ているかどうかを見ることは、講師としての実力を手っ取り早く測る方法だと思う。

AI

特に僕がここ2年くらいでめちゃくちゃたくさんやらせてもらえるようになったのは、なんといっても「AI」の入門講座である。こればっかりは本当にありがたいとしか言いようがないチャンスを与えてもらったと思っているし、名前も随分とまぁ売っていただいた。

しかし、同時に大きな葛藤の連続でもあった。というのも、AIってどうしても数学から始まるのだ。自分は数学科卒だし、数学が好きでずっと学んでいたので、そこを買っていただいて、AIの講座なんぞやらせていただけるようになったわけだ。で、数学の講座だったら、自分はうまくやれると思っていた。最初は。

が、全然そんなことはなくてだな。

まずもって最初にぶち当たったのは、とにかく世の中の人は数学に対する「拒絶」が想像を絶するほどに強いという事実。例えば一次関数の y=ax+b を出しただけで受講生の目の色が(もちろん「目をそらす」方向に)一斉に変わるなんてよくある話。そして、ここからスタートして「1日8時間」とかで「誤差逆伝播法」のサワリまで持っていくのである。これは正直キツイ。まじでキツイ。しかし、AI研修はそれを求められる。「わかりやすく、ゼロからはじめて、誤差逆伝播法まで、1日で行ってください」だ。無理だこれは。だから、原理的に「無理」なことは「うまく妥協していく」しかなくなって、「概略を面白く伝えれば及第点」というところに思想をシフトせざるを得なくなる。

結局のところ、我々だって神様ではないので、このスケジュール設定で「まっとうな理解」に導ききるなんて、正直並の芸当ではない。ましてやこれは、2日や3日で1本のペースで襲ってくるのである。全てに対して心血注いだこだわりでこだわり尽くすことなんて段々とできなくなって行くものだし、どうしても「アベレージ」で勝負をせざるを得なくなる。

社会人研修の評価基準は「アンケート」だ。学問というのは、どうしてもそれなりに「しんどい」ものであって然るべきものだが、何の工夫もなくその「しんどさ」をただただ前面に出し続ける社会人研修は、例えどれほどに骨太であってもすぐにアンケートに「わからなかった」と書かれてふるい落とされてはいオシマイである。つまり、「社会人研修」の業界で「生き残っている」講師ってのは、まぁ「削るのがうまい」人なのだ。「しんどさに気づかせないのがうまい」人なのだ。一見これは良いようにも感じるが、結局のところ「腹筋10回しかしていないのを、まるで腹筋を100回したかのように感じさせるのがうまい」ということでもある。一概に良いとか悪いとかは言えない。

「真面目に」教えればいいってもんじゃないんだ。よくある「教育的信念」なんてもんは、単なる講師のエゴに過ぎないことのほうが多いと思う。人は「これは大事ですよ」と言われると不安になり、「これは覚えなくて良いですよ」と言われると安心したりすることがあるだろう。ああいうことである。人は「知る」ことよりも「「知らなくていい」と「知る」」ことが案外好きなのだ。

これは社会人研修に限らずかもしれないけど、やっぱりそういう「削る」のがうまい人は「評判の良い授業」をするのがうまい。学生指導なら、「評判」だけではなくて「成績」で測られるので、そんな単純な話でもないのだけど、社会人研修の評価軸はある意味で「評判」だけなのだ。そういう意味で、学生指導と社会人研修には天と地ほどの本質的な差がある。

思ったより長くなったので

続きはまたこんど。というか読んでる人いんのかこれ笑

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