一年くらい前
電車で仮眠をとる玄人になってきた。 いまは昔ほど頭を重く感じないし、顎周辺の筋が張りつめる感覚もない。 人ってこういうところでレベルアップを感じるものなのかな。 他に何もないみたいでちょっと寂しい。 今夜もあの猫に嫉妬する。 君は分かりやすく愛されている。 今宵もどうかいい夢を見てくれ。 嫌いなわけじゃないから 私の幸せと同じくらいには君の幸せも祈っているのだよ。 私と同じくらい、は私なりの愛情なのだけれど、 きっとそうは伝わらないよね。 君が猫でもヒトでも いつか何か
筋肉痛を感じるたび「やってられるか!」って、 ドライヤーをするたび「やってられるか!」って、 ネイルした爪が伸びるたび「やってられるか!」って言ってる。 あーだこーだ言っても自分のお世話が好きなんだろうな。 全く世話のかかるやつ。 だけど世話のかけがいのあるやつ。 何年と変えていないスマホのパスコードを つい寝ぼけて忘れてしまうところも興味深いし、 陽の光を浴びると顕著に疲れて どっと眠くなってしまうところも興味深いし、 それなりに都会を知っているのにいまだに 人混みにう
ここ半年はいわゆる筋トレにハマっていて、 どうやら隠れていた体脂肪が5%筋肉なりかんなりになったようです。 素直にうれしい。 11月から楽しみが変わって、 12月から人間関係が変わって、 1月から何だか落ち着いて、 2月からレベルアップして、 3月からそれが普通になって、 4月から環境ががらりと変わって、 5月から目の前のことにがむしゃらになって、 6月に、ふと考えることが多くなってしまって、 ようやく夜更かしができるようになってきました。 とは言っても0時。悪くはないか
「〇〇な人必見」 〇〇に当てはまらない時はそんな広告に目耳をとめることはなかったのに、当てはまるようになった途端に心から注意を引かれるんだ。 意外と単純なものね。 近所にある美味しいケーキ屋さんの箱が視界に入る。 ここは近所にあるコンビニの駐輪場。 前カゴに残されたケーキの箱。 この街の住民も存外信用されたものだな。 そのケーキが家庭に入った時の非日常的な違和感を想像すると、その箱をどうこうしようと考える前に、あれこれ考えるという行為ことすら憚られる気がして、その場を後にし
頑張れる糧、自意識のある対象はないけれど、きっとどこかにあるのだろう。 そういうものが当たり前の存在だった場合の、失った時になってから気づくことが多いこと、どうにかならないのか。 寒さもより冬らしくなってきて、食欲と睡眠欲が冬モードになってきたから、毎日を過ごすだけで精一杯。 かといって頑張れる糧も見つからないまま、冬を終えるのも癪。 せめて日々温かい空間に身を潜めていようか。
ベランダから身を乗り出すと日中の外が非常に眩しく感じられて、思わず照明スイッチを探した。 冬らしい太陽光になってきたね。 気づけばもう12月で、昼の散歩も楽しめる季節になっていた。 今日は月の折り返し地点だね。 寒さに負けず、時には自分に甘く、楽しく今年を終えられますように。
可愛くアレンジされた制服を着ていた女の子3人組。 きっと某テーマパークから帰るところだったんだろう。 その内の一人の女の子がちゃんと泣いていた。 泣いている女の子を真正面から体ごと支える女の子と、斜め右から手を伸ばす女の子。 時折「明日取りに行こう」などの会話が耳に入る。 泣いている女の子は大事なものを失くしてしまったのだろうか。 それは辛い。楽しい思い出から一変して涙が出てきてしまうのも理解できる。 その子を支える女の子2人も、これまた泣ける。 若い女の子ながらも人を
ふう、下手にスケジュールを埋めたせいでこんな時間にお腹が空いてしまった。 今日はよく眠れそうだけど、寝る前にもやることが山積みだ。 ご飯食べてお風呂入って、歯磨いてトイレ行って。 ただの生活習慣でも妥協点を見つけないと。いつまで経っても寝られないものね。
人の心理なんてそれぞれで違うんだから、一般論に当てはめてクヨクヨ考えを巡らすのはナンセンスかな? 当てはめがナンセンスとまではいかないとも、一般論は参考にすらもなり得ないのかな? でもじゃあ一般とはなんだ? 私もあなたも一般のうちだよね? どれがなにだろう???
今日をスケジュール通りに終えるなら、家に帰ってから一息つかずに出かけないといけないのだけど、 あと数分後の私はタスクの完遂と一息二息、どちらを取るのだろう。 緊急性がないだけ悩むな。 今日は頭と目をフル回転させたから、できれば体もフル回転させるべく、これから自転車でも漕いだ方がいいところなんだけど。 さっき私、一睡と一お腹グゥをしたよね。 じゃあ色々終えて、なんか結構いけそうじゃん。 さっき自分に与えた飴を取り返すため、体に鞭打っていこうかな。 いいぞ、この調子。
耳が痛いからかいつも使っているヘッドホンをつけたくないな〜と思ってるところかれこれ1時間。 結局、原因はきっとこのヘッドホンなんだろうな、に帰着してこのまま特に何もせず寝ることになりそう。 早く治らないかなぁ〜〜
寝過ごしたため乗り換えたい駅で降りられず、目の前の不本意な一つ先の駅で降りた。 今ある駅から引き返すことも億劫に感じられ、歩いて帰るという選択を取る。 歩いた心地のしない真っ暗闇を、この土地に見合わない格好で歩くことになるが、まあそんな日があってもいいか、とたかを括る。 実際どうってことのないことだった。 が、寝過ごすことなくまっすぐ帰っていたこと想像し比較すると、はるかに冷たいことをしたんだなと、わざわざ冬にやらなくても良かったんじゃないかと思えた。 どれもこれも時の運
今まで使っていたダンベル。 より重いダンベルに持ち替えてみると、そりゃ当たり前だけど重くって、重いものの存在に真新しく驚く。 重いものって進んで持つものではないし、重過ぎると持ち上がらないから、「重い」を知れないし、かなり曖昧な存在な気がするの。 しかもダンベルの重さは均一だから、より驚く。 こんなにも正しく地面に引き寄せられているんだなって。 重さが均一じゃない個体より疲れないなって。 疲れない重力に羨ましく思うこともできる。 いいなあ、ダンベル。
どれだけ立ち止まったとしてもお腹は空くし眠くなる。 ということは前に進んでいることでもあるから、実質立ち止まっていないことになる。 理屈っぽいけど、そうでもしてこう考えなきゃお先真っ暗、変わり映えのない未来のまま。 わかっているようないないような、わからせにいっているような。 変わり映えのない未来なんて、まったく、未来というのに、なんてわかりやすいものなんだ。 そんなんじゃあっという間に遠くへ理想が逃げてしまうよ。 うだうだ言っている暇はあんまりない方がいいと思うよ。
私はこのくらいの量しか持てない。 大事なもの・そうじゃないものがいくつか入り混じっている中、本当はあれもこれも全部を持って見せびらかしたいところだけどそう簡単にはいかない。 かと言って文明の利器を使ってコストや容量を気にしたくない。 このくらいの中で満喫しないといけない。