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黒い雨の現場へ!初のフィールドワークを実施しました@湯来町

広島に移住し、原爆投下後に降った「黒い雨」の取材を続けています。

今回、初めてのご依頼がありました。

その名も「黒い雨」フィールドワーク。

雨が降った現場を歩き、当事者から証言を聞く内容です。

簡単そうに聞こえますが、これが意外と大変です。
というのも、私が取材をしている黒い雨被爆者は、爆心地……つまり、原爆ドームがある付近から直線距離で8km以上離れています。遠い方だと30km、40kmにもなります。

出典:小山美砂『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)

上の図で、実線の小さな方の卵形が、かつて国が黒い雨の援護対象区域と定めていたのですが、私はその外側を訪ね歩いてきました。

つまり、爆心地のある市街地からとても遠い。アクセスも悪く、電車とバスを乗り継ぐ必要があります。車でも1時間くらいかかります。

しかし今回、ご依頼をいただいた団体さんの熱意もあって、実現することができました!

とても素晴らしい会になったので、どんなことをしたかシェアしたいと思います。

企画の経緯/参加者はなんと59人!

依頼をくださったのは、埼玉県のとある労働組合さんです。

この夏、講演に呼んでいただいたことがきっかけでした。講演後の立ち話で、「冬に広島へ学習に行くんですが、まだ2日目のプログラムが決まってなくて」「あ、じゃあ黒い雨の現場とか行ってみます?」という話でまとまったのでした。(雑談ってやっぱり大事!)

以前から、たくさんの方に現場を見ていただきたいなあ、という思いがありました。

拙著(『「黒い雨」訴訟』)のあとがきにも書いた通り、私ははじめから黒い雨に深い関心があったわけではありません。現場を訪れ、そこで雨を浴びた方の生の話を聞くことで、これは大変な被害だと実感を深めていった経緯があります。

現地へ足を運べば、これだけ遠くにも灰や雨が降ったということがリアルに想像できます。そびえ立つ山々よりも高くキノコ雲が立ち上ってきたのかと圧倒されます。

ということで、このツアーはとても大切なものになる!と気合も入りました。

実施したのは12月3日午前。なんと59人もの方が参加してくださいました。大型バスには乗り切らなくて、10人乗りのレンタカーを追加しました。

広島市内のホテルを出発し、約1時間かけて湯来ロッジへ。そこから、黒い雨の被害がよくわかる、ある橋の上へ移動しました。

念のためお顔にはぼかしを入れさせてもらいました<m(__)m>
爆心地からの距離は約19㎞

橋の上で「線引き」を体感する

なぜ湯来町を選んだのか。

いろいろな理由がありますが、まず運動を熱心に続けてきた場所だからということがあります。
国が、先に載せた地図の、小さな卵形を援護対象区域に指定したのは1976年。区域を分ける境界線は山の稜線や川の上に引かれ、「川を挟んで雨の降り方が変わるか!」と怒りの声が上がりました、

湯来町はその「線引き」の不合理さが最もわかりやすく目に見える場所です。

この川……水内川(みのちがわ)は、まさにその境界線となりました。川を隔ててこちら側は援護が認められて、対岸は否定される。そんな対応がなされた場所です。

フィールドワークでは、まずここを訪れました。

水内川にかけられた橋の上で

実際に橋の上に立ち、その「線引き」のあり方を考えていただきました。

ここは、私にとっては原爆ドームのような意味を持つ場所です。黒い雨被爆者の受けた原爆による苦しみ、そして国に切り捨てられてきた戦後の痛みを感じます。そういった意味で、訪問は必須だと考えていました。

小山から簡単に黒い雨について説明した後、牧野一見さんにお話をしていただきました。
牧野さんは運動が発足した当初から中心となってきた今では唯一の人です。運動の経緯や苦労をお話しいただきました。

牧野一見さん

原告団長・高野正明さんの証言を聞く

その後、集会所に移動し、高野正明さんと合流しました。
85才の高野正明さんは、雨を浴びた当事者で、2015年に提起された黒い雨訴訟の原告団長です。

高野正明さん。車が停まっているあたりに校舎があり、窓ガラスがガタガタと揺れるほどの爆風が吹き付けたそう。爆心地からは20kmほど離れています。

原爆がさく裂した時にいた学校の跡地で、その時の体験を語っていただきました。そして、下校後に降り出した焼けこげた紙や、黒い雨のこと。参加者からは、「雨はどのくらい降ったんですか」「雨が降ったのは一度きりですか」などと質問がありました。

湯来町はかなり山奥にあるので、市街地よりもぐっと冷え込みます。最後は集会所の中でお話を聞きました。

地道な運動が社会を変えること。あきらめないで声を上げ続けることの大切さを、牧野さんと高野さんから語っていただきました。

最後は湯来ロッジで昼食

最後は、湯来ロッジに戻って昼食を取って終了しました。

イノシシバーグ!ジビエは湯来の名産品です

湯来ロッジでは湯来町の特産品も買うことができます。目玉はオオサンショウウオのコンニャクですが、この日はすでに売り切れていました。自然豊かな湯来町で大切に育てられた野菜もおすすめです。大きな白菜や大根が安く売られていました。

高野さんが育てたお米も!めちゃくちゃ美味しいですよ〜〜。

今回は時間がありませんでしたが、温泉もおすすめです。湯来ロッジは山を眺められるお風呂がある他、湯来温泉は健康に良いそう。ある黒い雨被爆者の方が毎日通っていらっしゃるとのこと!

黒い雨の学習だけでなく、ロッジのおかげで広島の自然の豊かさも知っていただけたかなと思いました。

証言を伝えていくお手伝いをこれからも

いろいろと改善すべき点はあるものの、一つの枠組みとしては良いものができたかなという手応えを私なりに感じています。

冒頭にも書いた通り、黒い雨の地域に行くのは足がないととても大変なことです。今回は団体さんがバスとレンタカーを手配してくれたので、そこさえクリアすればあとはなんとでもなりました。昼食に湯来ロッジを組み込んだのもよかったかなと思います。

高野さんも、「遠いところからわざわざきていただいて大変ありがたい。最優先で来ました」とおっしゃってくださいました。翌日、「昨日は本当に嬉しかった」とメールまでくださいました。
民家の前をぞろぞろと歩いて住民の皆さまにはお騒がせして恐縮でしたが、少しでも湯来町に親しみをもっていただく機会になっていたら幸いです。

今後もご相談をいただければ、できる範囲で実施していくつもりです。もしご希望がありましたらご連絡ください。

改めまして、ご協力いただいた高野さん、牧野さんに心から感謝申し上げます。

企画し、参加してくださった埼玉のみなさんも、寒いところ本当にありがとうございました!足を運んでいただいて本当に嬉しかったです。この経験が、何か運動を続ける力になったり、何かを学び今後に活かす経験になっていたらこれほど嬉しいことはありません。

また、黒い雨の証言は、爆心地近くで被爆をされた方と違って、聞く機会も少ないと感じています。黒い雨訴訟の原告ほど遠い場所にいた方は、原爆資料館に登録する証言者の中には(私が知る限り)いらっしゃらないからです。そういった意味でとても貴重だし、ちゃんと後世に伝えていきたいなあ、と。

当事者の方のお話はそれだけで力があるし、大切です。でも、それを若い世代に伝える、つなげていく役目を広島にいる私が果たすことができたらなあ、と改めて感じる機会にもなりました。

ということで、これからも私にできることを頑張っていきます ٩( 'ω' )و  おわり。

とある日の水内川。本当に美しい風景です。原爆ドーム周辺とはまた違った風景があります。

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