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2人目競争からの戦線離脱


私は現在、3歳の娘がいる。
早生まれなので、来年の2月には4歳になる。

私は結婚して割とすぐに、娘を授かった。
娘を授かれたのはとても嬉しかったけれど、新婚時代、夫との仲は最悪で、併せて、妊娠中特有の体調不良等が重なり、とにかくお腹の中で、無事に娘を育てることに必死で、全く幸せな妊婦生活ではなかった。

しかし、娘は無事に生まれてくれた。

娘が生まれて3か月くらい経った頃から、児童館などに遊びに行くようになり、ママ友が割とたくさんできた。

そこで話題になるのが「2人目って考えてます?」ということだった。

正直、妊活もせずに、完全なる運で娘を授かれた私は、全く2人目のことなど考えていなかった。今、目の前にいる娘との時間しか考えられなかった。

しかし、周りのママ友は計画的に考えている人が多かった。
「今、妊娠したら〇月生まれで、〇歳差だよね」
「〇月生まれだったら、保育園に入れやすいよね」

既に上の子がいるママ友からは、
「やっぱり兄妹はいるといいよ。一緒に遊んでくれたり、面倒見たりしてくれるからね」、「産むならなるべく早い方がいいよ」

えっ、もうそんなに考えなきゃダメなんですか?
まだ、産んだばっかりじゃないの?
というか、ニワトリが卵産むみたいに、そんなに簡単にいくことなの?

私はその時、なんとも言えない複雑な気持ちになった。そして、周りと私の意識の差に衝撃を受けた。

私は徐々に「私は妊活とかをしていなかったから、そこまで考えていなかったけれど、世の中の、子を持とうとしている人は、みんなそこまでちゃんと考えるのが普通なのかもしれない」と思うようになった。

そこから、目の前の娘と、一対一で向き合えていたはずの子育てに、「二人目も早く産まなきゃいけない」というエッセンスが加わった。

以降、同時期に産んだママ友に「二人目を妊娠した」という報告をされると、絶対におめでたいことなのに、勝手に「先を越された」みたいな気分になったり、動物園などファミリー層が集まる場所に出かけると「あの家族も兄妹がいるのか」って頼んでもないのに、家族の人数カウントするのがめちゃくちゃ早い人になっていたり、街中で、子どもを乗せられる電動自転車を見かけると、子ども用チェアの数を見て、例のごとく、素早く兄妹いるか判定をするレフリーになった。

そうしている間も、当然のことのように、着々と周りが妊娠していく。


増えるマタニティーマーク。
私も娘の妊娠時、何気なくカバンに付けていたマタニティーマークが、「幸せの称号」であり、キラキラ輝く「金メダルのような存在」になっていった。そんな私は、過去の栄光をいつまでも引きずっている選手のようだった。

日々、募っていく「また置いて行かれる」という焦燥感。

次第に私は、二人目という存在が「周りの人にあって、私にはないもの」という認識になっていた。「私にはない」という状態、「常に何か欠けている」という状態で過ごすことは、とてもしんどかった。

そんな日々がしばらく続いた頃、肺がんで父が亡くなった。亡くなった当初は、夜になると、急に父のことを思い出して、突然涙が溢れて止まらなくなったり、情緒不安定な日々が続いていた。

ある夜、私は例のごとく涙が止まらなくなってしまった。すると娘が「ママ大丈夫?○○ちゃんが拭いてあげるね」と言い、ティッシュで私の涙を拭いてくれた。

その瞬間私は、「今まで何やっていたんだろう。目の前にこんなに可愛くて、優しい子がいるのに。私は先のことばっかり考えて、完全に、目の前の娘を見てあげられていなかった。娘はずっと目の前の私を見てくれていたのに。あんな大変だった妊娠中を耐え抜き、頑張って無事に生まれてきてくれたのに」と我に返った。

私は「兄弟はいた方がいい」「二人目は早く産んだ方がいい」という、他人がかけた呪文にかかっていたのだ。

私は、この呪文を自分で解くことを決めた。
私の人生は私しか生きられない、他人は呪文を簡単にかけることはできるけれど、呪文をかけられた私になって生きてはくれない。


ならば、私は、二度と来ない、この瞬間の積み重ねを生きていく。その積み重ねの延長に「2人目を授かる」というのがあるなら、それはそれでいい。でも、私の人生を他人の呪文に委ね、未来に勝手に期待したり、絶望したりするのはもうやめる。

世の中には色んな種類の呪文であふれている。特に女性は生きていると関わる呪文の種類が多い。ふと聞いた一言が、のちに呪文になることなど、往々にしてある。

これから先の人生も色んな呪文にかかるだろう。
けれど、呪文にかかって見える世界だって、私の一瞬の一部だから悪いことではない。

白雪姫だって呪文をかけられる前と、呪文が解かれた後だったら、絶対目覚めてからの方が、日々を大切に生きたと思うから。

白雪姫は眠って待っていたら、王子様が呪文を解いてくれた。
けれど、現実社会を生きる上では、呪文を解けるのは私しかいない。逆に言えば、待っていなくても、いつでも好きなタイミングで、私は呪文を解けるのだ。この必勝法を私は忘れない。

まだまだ私も人生道半ば。
前みたいに、素早く兄妹人数をカウントするレフリーではなくなったけれど、街で兄妹で仲良く遊んでいる子たちを見かけたりすると、治りかけていたカサブタがむけた時のように、胸がヒリヒリすることもある。

そんな私と今日も、ずっと生きていく。

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