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難工事トンネルの話

この記事は、2020年12月9日に弊社のブログで公開されたものです。

日本の国土は、いくつかのプレートの継ぎ目の上に乗っている状態で、それらのプレート同士がひしめき合ったりずれ合ったりすることで、山脈や断層、火山が作られます。
各地にできる断層帯や破砕帯、活発な火山活動による噴出物(火山灰など)で構成された地層や柔らかい地層など、日本の山岳地帯は複雑で多彩な地質を持つ山々が数多く存在するのですが、故に日本のトンネル工事はまさしく地質との闘いでもありました。

完全に趣味の話なのですが、今回は日本の土木工事史に名を残す難工事トンネルをいくつか紹介しようと思います。

■難工事トンネル


トンネルとは、地下や山岳、海底などを通る人工の構造物のことです。
主に、道路や鉄道といった交通路、水道やガス、電線といったライフラインの敷設、また、鉱物の採掘などを目的として作られます。
国土のほとんどが山岳地帯である日本では、トンネルによって険しい峠道などを回避し、交通や物流の高速化に役立つ、なくてはならないものです。

・青函トンネル


一つ目に紹介するのは、皆さんご存知の青函トンネルです。

本州と北海道を結ぶ日本最長のトンネルで、その長さはなんと53,850m
25年に渡る工事の末、1985年に完成しました。35名の殉職者が出る難工事だったそうです。

海底下約100mの地盤を通っているのですが、その地盤も複雑な地質で構成されていたため、それぞれの地質に合った様々な工法を編み出しながら堀通されました。
例えば、軟弱でもろい地層部分は、水ガラスとセメントミルクの混合液を高い圧力で岩盤に浸透させて固め、強度を上げながら掘っていく方法や、地圧が強い箇所では、オーストリアで開発された、掘った後の岩盤の亀裂などの凹凸にコンクリートをふきつけ均一にならすことで、地山の強度を上げて崩れにくくするNATM工法が採用されたと記録にあります。

特に70年代中頃には、破砕帯を掘り起こしたことで、溜まっていた地下水の流出による異常出水が多発。強力なポンプを使ってくみ上げながら、迂回して慎重に薬液を注入して掘り進め、どうにか破砕帯を突破したそうです。 現在も地下水の流出が続いているため、ポンプも改修を繰り返しながら稼働しています。

・丹那トンネル


続いてはトンネル建設において、地質調査の重要性を思い知らされることとなった丹那トンネルです。

工期は16年。1918年に着工し、1933年に開通した全長7,804mのトンネルです。こちらも青函トンネルと同じように異常出水の多発、またトンネルの崩落事故が多発したこともあり65名もの殉職者を出してしまいました。

かつて東海道線は現在の御殿場線によって箱根峠を迂回していたのですが、険しい勾配が輸送上のボトルネックとなっていました。それでも日本の大幹線として数十年の間使われてきましたが、結局はスピードアップと短縮のため熱海と三島の間にこのトンネルが掘られることになったそうです。
しかし、伊豆半島や箱根の火山帯をはじめとした複雑な地質、さらに当時はシールドマシンTBM(トンネルボーリングマシーン)もなく、削岩機と手彫りでの工事だったため困難を極めたと言われています。

火山荒砂帯(溶岩の層と礫や砂で出来た層によって地下水がたまったり湧き出したりする)で出来た岩盤や断層破砕帯によって、トンネル全体が大量の湧水であふれるような湧水事故が多発。現在でも地下水が湧き出ており、トンネルの上に位置する丹那盆地では、地下水が抜けたことで水不足が起こり、農地が荒れるなどの被害を受けました。その後は、以前から主な副業として行われていた酪農が、丹那盆地における主要な産業となった歴史があります。

加えて崩落事故も多発。特に、付近を震源とする北伊豆地震による崩壊事故もあり、遭難者や犠牲者を出しています。

この難工事により、予定地の事前調査をし、地質に合った掘削方法を準備するべきという教訓ができ、おかげで本州と九州を結ぶ関門トンネルは事前調査によって当時最新のシールド工法が採用されることになりました。

・飛騨トンネル


岐阜県の北アルプスを貫き、東海地方と北陸地方を結ぶ東海北陸自動車道。その中でも特に難工事だったのが飛騨トンネルです。

全長10,712m。工期は12年。1996年から2007年にかけて工事が行われました。大変な難工事であったにも関わらず、殉職者0名、死亡事故0を達成した奇跡のトンネル工事でした。

籾糠山といういかにもな名前の山を通るトンネルで、日本で3番目の長さを誇ります。この山はそれまでトンネルの掘削例がなく、ボーリング調査もうまくいかなかったため、地質調査がちゃんとできていない状態で先進坑の掘削が始められました。
掘削には、当時最新で様々な地質に対応できるTBMが用いられたのですが、その複雑な地質により何度も機械そのものが拘束されてしまうなどのトラブルが。
変質帯やきわめて軟弱な粘土層である濃飛流紋岩、亀裂密集帯や粘土化帯などで複雑に構成された不良地山帯がTBMに牙を剝きました。

・安房トンネル


お次は長野県松本と福井県を結ぶ、中部縦貫自動車道の一部、安房峠道路の区間にある安房トンネルです。

全長4,370m。工期は12年、1995年に開通しました。殉職者は4名。
かつては国道158号の安房峠を越える形で岐阜と長野が結ばれていましたが、峠は険しく道も狭い、冬季は通行止めになるなど、幹線道路としては使えない道路でした。そんな状況を打破するために、安房トンネルが建設されたそうです。
しかし、付近には乗鞍岳、焼岳、アカンダナ山といった活火山が分布し、特に焼岳は現在も水蒸気を上げています。
トンネルは、このアカンダナ山の山域を、長野県側では地熱地帯をそれぞれ貫き、湧水や熱水に阻まれながらも12年かけて完成しました。幸いにも、トンネル工事自体では火山活動にかかわる事故は起きなかったと言われています。

ところが、1995年2月11日に、松本側坑口にある中ノ湯温泉付近の高架道路の建設現場で水蒸気爆発が発生、4名の犠牲者を出す惨事となりました。
この事故により、松本側の坑口を爆発現場から遠ざける形で迂回抗を開通させることになったらしいです。

・鍋立山トンネル


最後に紹介するのは、世界でも類を見ない超高難度のトンネル建設となったと言われている鍋立山トンネルについてです。

全長9,117m。1973年から1995年にかけて22年の歳月をかけて掘られました。

新潟県の直江津と上越新幹線のある越後湯沢を結ぶ北越急行ほくほく線が通っています。
かつては、東京対北陸輸送のメインルートの要であり、特急はくたかが在来線最速の時速160kmで走行していました。

掘削が始まる前、予定地の地上を探索した際に、近隣住民の話によりメタンガスのガス井戸の存在が確認されました。トンネル屋にとっては嫌なニュースです。
換気によるガス対策をしつつ、トンネルの中ほどにあたる地点の斜め上から斜坑を掘り始めたのですが、この時に発破によってメタンガスに引火、あたり一面火の海と化す惨事が起こりました。
幸運なことに作業員は全員退避していたため無事でしたが、この後に襲い掛かる惨劇に比べるとこれはあいさつ代わりの軽いジャブでした…。

その後は概ね順調に工事は進んでいたのですが、国鉄の財政悪化に伴って残り645mが残されたまま、1982年に工事が中断されてしまいます。

この645mが、トンネル建設史上最悪の難工事として伝説を生むことになりました。

それから後、北越急行に移管され1985年に建設が再開されました。
東側から掘り進めたのですが、途中から支保工の変形と破壊が大きくなり、それらへの対策を施した上で進めるものの、切羽からの岩盤の押出にかなわず立ち往生してしまいます。
そのため、今度は西側からTBMを導入して掘り進める計画に変更。
これにより、月進60mという、それまでの平均月進3mと比べれば驚異的な速さで掘り進んでいきました。このペースならば、残りの区間もあっさりぶち抜けると誰もが思っていた矢先、60m程度進んだあたりで地山の押出が急激に増加。

1989年、ついにはTBMのカッターが地山に拘束されてしまい操作不能に。
地山の押出によってTBMは破壊され、100m近く押し戻される結果となりました。

それでもトンネル屋は立ち向かいます。
今度は薬液注入を切羽に施し、固まった地山に筒を突っ込み、筒の中の土砂を人力で掘り出していくシールド工法が行われました。これを両側から進めること約3年、ついに穴が貫通。その後、拡幅工事が行われ、1995年に完成しました。


以上で今日の話は終わりですが、現在でも日本ではトンネルの難工事が続いています。今日紹介したような難工事での教訓、あらゆる工法や経験が積み重ねられても、地質はいつまでも障壁として、トンネル工事の前に立ち塞がるのです。
私たちが利用し、物流と生活を支える数々のトンネルは、先人たちの努力によって成り立っていることをたまには思い出してみてください。

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