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台風19号が教えてくれたこと

台風19号が過ぎ去ってから約2週間。無知な私が知ったこと。

台風が日本列島に上陸する前日の夜、私は姉の結婚式に出席するために地元に帰省していた。姉の結婚式は台風が直撃した次の日。の、予定だった。

甚大な被害をもたらした台風は私の周りも容赦はなく巻き込み、姉が結婚式を執り行うははずだった式場は結婚式前日の21時に停電し復旧しなかった。

結婚式の延期が決まったのは当日の朝5時。

心にぽっかり穴が開いたようなさみしさに襲われた。

台風一過で晴天になった、私が仙台に帰る日、父と特に被害が大きかった家の周りを廻ってみた。

国道には流された田んぼの土が、川沿いのパチンコ屋さんはフェンスが変形し、土が流れ込んでいた。

小さいころから慣れ親しんだ川は、未だかつてないくらいに川幅が広がり、濁った茶色い水が流れていた。

テレビでは、Twitterでは、私の知っている町が、通っていた電車が見るも絶えない姿になっていた。

高校時代、1番のった電車も、線路が流され、浪人時代に使っていた電車も、川に架かっていた橋が落ちた。



帰りの新幹線の中、私は一人になり、急に泣いた。

この時、初めて感じた、私は”被災”したのだということを。

姉が結婚したこと、結婚式が挙げられなかったこと、家が流されたこと、特産のリンゴが流されたこと、慣れ親しんだ町が姿を変えてしまったこと。

家も、家族も、親戚も、みんな無事だった。

だけど私は被災した。


はじめて、被災の意味を理解した瞬間だった。

そして、今まで自分がどれだけ、様々な災害で傷ついた人の気持ちを理解できていなかったかを知った。

元々理解できるだなんて思っていない。

だけれど、その辛さは自分の想像をはるか超えるものだった。



だから私は、募金しようと思った。

被災者に寄り添おうと思った。

これから、災害が起きるたびに、募金しよう、そう思った。

全てを理解はできない、だから少しでも日常が戻る手伝いをしよう。


姉の結婚式は5月。

次はどこまでも晴れている、雲1つない晴天であってほしい。




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