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映画「愛のむきだし」


「愛を恐れるな!」


なんだかわからないけどあっという間に4時間が終わる怪作。
むきだしてるのはパンツだけじゃない、人間そのもの。

ルールや信仰なんか捨てて感情剥き出して戦え!
変態?原罪?気にすんな!もっと自分を剥き出していけよ!
そこからしか光は見いだせねえんだよ!

あらすじ・解説
敬虔(けいけん)なクリスチャンの家庭に育ったユウ(西島隆弘)は、ある出来事を境に神父の父(渡部篤郎)に懺悔を強要され始める。父の期待に応えようと、懺悔のために毎日罪作りに励むうちに罪作りはエスカレートし、いつしかユウは女性ばかり狙う盗撮魔となっていた。そんなある日、運命の女ヨーコ(満島ひかり)と出会い、生まれて初めて恋に落ちるが……。

https://movies.yahoo.co.jp/movie/331109/?msclkid=7062954da7fe11eca3998fc59cf5dd11



この映画は色々な内容がてんこ盛りでした。エロ(盗撮やパンチラ)、グロ、ギャグ、カルト宗教、近親相関、虐待、変態、レズ、、などなど。というか現実ではそれらが繋がり混ざりあっていることが多いため違和感はなかったです。笑えない犯罪を茶化した表現に嫌悪感を覚える可能性もあるため、そこには賛否両論あるのでは。万人受けするとは到底思えませんし好き嫌いが分かれるというか。好きな人は大好き、嫌いな人は「理解できない」「何が良いのかわからない」みたいな感想になると思います。この映画で感動するか、傷つくか、愛を感じるかは紙一重。ただそこを差し引いても私はこの映画が好きです。園子温監督作品は「恋の罪」「ラブアンドピース」「地獄でなぜ悪い」を見ましたが「愛のむきだし」が私的1番です。

登場人物


(1)変態的な主人公ユウ演じたのはAAAの西島隆弘さん。
あのピュアそうで中性的な顔が役にぴったりで。パンチラ盗撮の流儀を師匠に習ったり鍛錬をしたりしてもなぜかいやらしくない。アクロバットも最高で女装もかなり美人。この役に合うのは彼しかいないのではと思わされました。彼を主役にした理由は監督いわく「童貞と女装が似合い、アクションにキレがある」からだそうで。
幼少期の純粋なユウは「自らのマリアを探しなさい」と母に言われる。これが愛の原点。そして神父である父に、自ら罪をつくり告白することで、
親子関係を築こうとする歪みが、彼を盗撮のプロへと導く。
そこでやっと出会えたマリアがヨーコ(満島ひかり)。
どれだけパンチラ盗撮をしても今まで一度も女性に興奮したことのなかったユウが彼女にだけ勃起。まさに僕だけのマリアが現れる。
印象的なのは海辺のシーン。
自らのプライドと愛が含まれた変態の告白を全力でぶつけていく。あの覚悟を決めた哀愁を含んだ目。こいつただの変態じゃない!

まさに勃起=愛。「愛してる!愛してるから勃起するんだ。。」(セリフはうろ覚え)とヨーコを目の前にし安藤サクラたちに拘束されながら叫ぶシーン。これも印象的。
町山智浩さんのラジオでのこと。女性アナウンサーが「ユウみたいな男性いいよね」的な発言をしていた。町山さんは「?」という感じだったが、私はこのアナウンサーに同意する。だって「愛してる!愛してるから勃起するんだ。。」という鬼気迫ったむきだし愛の告白、最高にそそりませんか!?いとしくなるでしょ。最高にスイートでキュート!!きっとそう思わせてくれる西島隆弘さんの演技力やルックスも相まってるんだろうけど。

(2)ヒロイン役のヨーコ演じるは満島ひかりさん
幼少期の経験から男性嫌悪になっている。ユウを毛嫌いし、窮地を救ってくれた女性サソリを慕う。変態的で魅力的なヒロイン。あと監督は女の子をきれいに撮るのがうまい!ヨーコのパンチラにロマンを感じました。
アクションだけでなく、サソリを想って自慰行為をするなど体を張った演技を見せてました。
この満島ひかり本当にカッコイイ。お気に入りはゼロ教団に洗脳された彼女がユウに引き戻されて砂浜で取っ組み合うシーン。ユウに向かって新約聖書の「コリント人への手紙」を語るシーンはすごい熱演。  


(3)おぞましい新興宗教の幹部コイケ演じる安藤サクラさんが一番ぶっとんでた。画面のこちら側にせり出して来そうな迫力。新興宗教がいかにして人の和の中に入り込むか手口が事細かに表現されていた。父の勃起した股間をハサミで切り落としたシーンにはどぎまぎ。血の噴水が見られます。

感想

この映画がとらえる”愛”の定義は本当に広い。純愛だけじゃなくて不純な愛や即物的な欲情も含む。わがまま、自分勝手に自己の感情を身勝手になことも。ヨーコの義母カオリ(渡辺真起子)なんてその代表である。ユウの父と結婚できそうにないと分かると、ほかに男をつくって逃げてしまったと思いきや、やっぱりユウの父親が好きと体当たりで愛をぶつける。その一方で血のつながりのないヨーコの面倒を見るなどどこか慈悲深い。
人によって違う愛の形をうつしてる映画で、自分が持つ愛の形を恥じるなと訴えかけられているようでした。
ただコイケのような愛の形は社会的には間違ってはいる。けれどコイケの振り切った狂気的な愛も存在しないものにはできない。やりすぎだろという場面もあるが、愛のもつ多面性も描き切るためには必要だったのだろう。
利己的で狂気や暴力性もはらむことがある愛。
それでも自分の中にあるまっすぐな愛を信じて。それしか生きるすべはないんじゃなかろうか。それを表していたのがユウとヨーコ。ただ手を繋ぐ最後の場面から、どストレートに「愛」を感じられる。性行為なんか軽々飛び越えちゃう。勃起も自慰もするけど性行為はしない。挿入の瞬間がベストで究極な形じゃない。最後にむきだすのはやはり愛。

余談

ロイドマスター(盗撮の先生)のシーンが最高にくだらなくて大好き。

カメラを付けたミニカーでミニスカの女の子を盗撮しようとする
ロイドマスターとユウ

オレは哀しい
その哀しさには意味がない
というより何で哀しいんだろう?
色々考えたんだが
決め手がない
だから哀しみの理由を探した
わかるか?

ロイドマスター著書【オレの哀しみ】

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