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ホラー映画レビュー① ブレア・ウィッチ・プロジェクト(1999 米)

【点数:92点】

最初の記事はホラー映画レビューにすることにした。はじめは昨日何度目かに鑑賞したブレア・ウィッチ・プロジェクト。製作費は約700万円程度の超低予算映画にもかかわらず、空前の大ヒットを飛ばして約300億という興行収入を得た。

この映画はPOV(Point of View)、つまりはハンディカムを手にしたような一人称視点で進むモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)の記念碑的な作品である。1980年の「食人族」がすでに似たような設定である為始祖ではないのだが、ブレアウィッチの方がモキュメンタリーとしての要素を突き詰めている。


設定としては、映像学科の大学生3名が米国メリーランド州の田舎にある「ブレアウィッチの魔女伝説」を取材するが、森に迷い込んで消息不明となってしまう。そしてその1年後、森の中の廃墟から彼らのビデオだけが見つかり、中のフィルムを編集して1本の映画に仕立てたというもの。


この映画公開当時自分は中学生だった。この頃は父親が月刊の映画雑誌を購読していて自分史上では最も映画を映画館で見ていたころ。スターウォーズEP1とかファイト・クラブとかシックス・センスとかが公開されていたころだ。
この映画も例にもれず見に行ったのだが、はっきり言って訳が分からなかった。カメラはブレブレで酔いそうになるし、森をうろうろしているだけで山場やストーリーの進展はなく、魔女や幽霊といったものは最後まで全く映らない。「ホラー映画は幽霊や怪物が画面に出て怖がらせるもの」といった認識を持っていた当時の自分にとって、これは理解し難いものだった。周囲の人間の評価もさんざんで、みんな「訳が分からない」「つまらない」という感想しか聞かなかった。評判の映画であるということで、彼らは従来のホラー映画的な恐怖演出を期待して映画館に赴いたのであろう。
しかし自分は当時理解はできなかったが、つまらなかったとは感じなかった。むしろ過去見たどの映画よりも恐怖を感じた。それは最後まで「従来のホラーような恐怖演出が突然来るかもしれない」とずっと思いこんでいた為でもある。しかし最も重要なことはこの映画を半分くらい「本当にあったこと」と思っていたからだ。本物の幽霊をこの場で初めて目にしてしまうかもしれない、と考えていたからである。
そこにこそブレアウィッチ・プロジェクトの妙がある。この映画は映画単体ではなく、その他さまざまな媒体で事前情報などを提供していた。書籍および当時は一般的になったばかりのインターネットでだ。それらではいかにもこの映画が「本当に起こった事件」であると演出されていた。父親が購読していた書籍や、我が家に配置されたばかりのWindows95で見たホームページでは、ブレアウィッチの村で起きた過去の事件年表や、森でカメラと一緒に押収されたバックパックや森にあった妙な儀式的オブジェクトの写真が公開されていた。フェイクニュースを見破ることに慣れていないインターネット黎明期であった当時、これらは今回の映画が現実にあった物語と信じさせるに足るものだった。
これが現在同じことが行われていたらどうだろうか?POV演出の映画が存在することはほとんどの人間が知っているし、インターネットが日常になりニュースの真贋が常に個人に問われる時代である。きっと鼻で笑って、カメラもブレブレ山場もないこの映画に見向きもしないだろう。昨日は嫁と一緒に鑑賞した。少しでもこの映画を楽しんでもらうために嫁には、「登場人物3名はこの時本当に失踪している」という嘘をさりげなくついた。どれだけ信じたかは疑わしい。彼女も僕との付き合いでホラー中級者くらいにはなっているため、きっと途中でモキュメンタリーであろうことは気づいただろう。しかし普段は流し見である彼女が、ある程度真剣に見ていたので、嘘が多少は興味を引けたのだと思う。


さらにもう一つブレア・ウィッチ・プロジェクトの功としては、「映画の撮影が民主化された」ことであると思う。ホリエモンだったと思うが、「カラオケ」のすごいところは「歌うことを民主化した」ことだと言っていてこれは素晴らしい着眼点であった。今までは歌を他人に注目してもらうためには歌手になるくらいしかなかった。せいぜい誰に聞かせるわけでもなく鼻歌や部屋でステレオに合わせて一人で歌ったりするだけであった。それがカラオケボックスという場所が用意されBGMをもとに自分の歌を他人に披露することができる。それがカラオケが世界に大ヒットした理由である。ブレアウィッチはそれと同様のことを映画界に起こした。だれもが素人ハンディカムで撮影を行うことができ、それが評価される可能性ができたのである(もちろんブレアウィッチには考え抜かれたプロ的な演出があったが、そう思わせるに十分だった)。自分もブレアウィッチの影響で、自主ホラー映画を撮ってみようと無駄にハンディカムを持って地元の森をうろついてみたことがあるほどだ。そして現在YouTubeの登場により民主化は配信界すべてに行き渡った。直接的ではなくても、源流はブレア・ウィッチ・プロジェクトの映像配信民主化にあるのではないだろうか。


ブレア・ウィッチ・プロジェクトは人類の歴史の中でインターネット黎明期という一瞬のタイミングに特化した時代の寵児のごとき映画であった。
自分はその時代、年齢的にも中学生というドンピシャのタイミングでこの映画に出会えたことに感謝してやまない。今見れば演出・技術的に未熟であろうと、自分の中では今後もホラー映画トップ20には入り続けるであろう傑作である。

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