28. 他人に何かを与えることは、「光の球を放ること」
こんばんは、しいまです。
今日は「与えること」について、
気づきがあったのでその話をさせていただきます。
「与えるって、どうイメージしてるの?」
と興味ある方のヒントになれば、幸いです。
* * *
「与える」
と聞いて、
皆さんはどんな行為をイメージしますでしょうか。
わたしは今日まで、イメージができていませんでした。
「与える」という言葉が単独で浮いてる感じで、
「与えることが大事」と聞いても、
どういう意識でいることなのか、
どう動くことなのか、
いまいちピンときてなかったのです。
それで今日まで放置していたのですが、
今日散歩をしている中、ふと浮かんできました。
「他人に何かを与えること」を「光の球を放ること」
と見立ててみよう。
と。
明るくて、あたたかい、いい香りがする、
光の球を放ると見立てて、
「おはようございます」
と挨拶する。
「ありがとう」
と感謝する。
そのイメージをなぞるように、
心の中で道ゆく人の幸せを祈るようにしてみました。
そしたら、自分でも驚いたんですが、
気がついたら、30分以上は放り続けていました。
結果、他人の幸せを祈り続けることができていました。
以前本で、
『与える』意識が過半数を超えたら、
あとはそっちが当たり前になっていくので、
当たり前のように『与える』ことばかり考えるようになるよ。
と言っていた本がありまして、
「それができたらな・・・」
と思っていたのですが、
できそうな感じになってました・・!
やっているときの感覚としては、
「どう球を放ろうかな?」
「受け取ってくれ、リターンをくれ という感じはなんか嫌だよな」
「勢いは? 角度は? 球の大きさは?」
みたいに試行錯誤、
工夫してること自体がちょっと面白くて、
気づいたら続けていた、って感じでした。
あと、
1回毎に認識できるのもいいよな
と思いました。
今まで「連続する」というのは、
切れ目なくずーーーーーーーっと続けること
と思い込んでいたのですが、
心臓の鼓動をドクンッ、ドクンッと聞くように、
1回毎に認識できる方が、続けやすいなと思いました。
切れ目なくずーーーーーーっとって、
やってるのかやってないのかわからなくなっていくから、
なんか手応え感じなくて、「意味ないじゃん」ってなって、
自然消滅しがちだったんですよね。
というわけで、
心臓の鼓動のように
1回1回を認識できるイメージにすること。
それが「続けるコツ」だと思います。
* * *
なぜ「光の球を放る」イメージが良かったのか?
これは、
「与える」を「光の球を放る行為」に見立てたことで、
「なら、こうすればもっと良くなるのでは?」
と、より良くできるイメージがしやすくなったから
だと思っています。
「球を放るなら、こういう軌道がいいよな。」
「球を放るなら、こういう手触り、香りとかの球がいいよな。」
とより喜んでもらうために、
自分が工夫できることがイメージしやすくなりました。
* * *
まとめますと、
「他人に何かを与えること」を「光の球を放ること」
と見立てること。
「なら、どうする?」
と先を連想すること。
工夫できることを探すこと。
そうしてると、
「なら、自分から放る球は、
汚くて、重くて、冷たい
そんな球を放りたくはないよな」
「なら、もっと光の球自体も良いものにして、
放りたいよな」
「だから、もっと成長したいよな」
とすとんっと思えました。
集約していくとは、こういう感じなのかもと思いました。
みなさんは「与える」に対して、
どんな見立てをしておりますでしょうか。
見立て一つ変えるだけで、
ガラッと変わりますので、おすすめです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
小さな変化が、心地よさへとつながりますように。
その心地よさが他の人へも広がりますように。
しいま
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