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年間500冊以上読むカナディアンのブックレビュー:『窓際のトットちゃん』黒柳徹子 作 講談社文庫 1984.4

【内容概略】

●黒柳徹子さんの小学校時代を描く自伝的小説
●自由奔放なトットちゃん(黒柳徹子)の日常から子供の世界観を思い出す
●元祖発達障害系小説。戦前の先進的な学校から今の教育環境を考え直せる
●子供の世界観を崩さず丁寧に描く黒柳さんの見事の文章


【こんな人におススメ】

●子供の世界観を思い出したい方
●教育の在り方について関心のある方
●発達障害者への教育について関心のある方
●戦前の社会を子供の視点から捉えなおしてみたい方


●子供の世界観を思い出したい方

トットちゃん(幼いころの黒柳さん)の視点が自然とイメージできるシンプルで優しい文体が子供の世界観に没頭させてくれる

●教育の在り方について関心のある方

トットちゃんが通っていたトモエ小学校の教育の在り方から今の教育を考えさせられる。
校長の小林先生の児童たちへの心遣いや優しさに感動。
冒頭とあとがきに黒柳さんが「小林先生のことを知ってほしくてこの本を書いた」というコメントにも納得の内容

●発達障害者への教育について関心のある方

発達障害という言葉がない時代に障害や生まれに関係なく子供と向き合う姿勢に感動。
自分もこんな学校に通いたかったと皆さんも思うはず

●戦前の社会を子供の視点から捉えなおしてみたい方

本書の時代は第二次世界大戦の真っ最中。戦争というモノがまだ理解できない小学生低学年のトットちゃんの視点から戦争について考えることができる。
トットちゃんの素直な感情や大人たちの子供たちへの思いやりなど当時のリアルな人々の思いを感じさせる

【感想】


【この本を読もうと思った経緯】

私自身障害があるため、子供のころから親からこの本を何度も勧められていました。
ですが、当時の私は本を全く読まなかったのでそのような親の言葉を無視してきました。
そうは言っても、有名な黒柳さんの自伝で戦後最大のベストセラー小説ということは知っていたのでずっと気になっていました。

結局、そのような事を考えていたこと自体忘れ、大学、会社員と本を読むようになっても読む事はありませんでした。
しかし、過労からメンタルを崩し、障害者として生きていく事になり、周囲に障害を持った友人を増えてくる中でふとこの本のことを思い出しました。
ですが、べストセラー過ぎることが自分読む事へのハードルとなって今日に至ります。

結局、映画化が決まり書店の目立つところにこの本がおかれ、読書会で課題本にしようと考えやっと手に取った。
思えば、この本を知ってから読むまでに本当に長い時間がたったと思います。

【黒柳さんの圧巻の文章】

読み始めてまず感じたことはその文章です。
まるで子供が文章を書いているかのようなシンプルかつ率直な文体。
この文体が読者とトットちゃんの視点や思考と同期させます。
そのため、自分自身がまるで子供になったかのように作品の世界に没頭していきます。
しかし、小林先生を中心にした大人の行動が描かれる際、読者は大人の視点にまた戻ることになります。
このように作品は読者自体が子供の視点と大人の視点を行ったり来たりする工夫が凝らされており、シンプルな事実の描写でもそこに含まれている子供と大人の思いが自然に伝わってきます。

【今でも漸進的なトモエ小学校の教育】

この作品はトットちゃんが前の小学校を退学になり、新たにトモエ小学校に入学するところから話が始まります。
トモエ小学校の描写は冒頭から「2本の木がそのまま使われた校門」「使われなくなった電車の車両を使った校舎」などトットちゃんだけでなく大人でも好奇心を掻き立てるものです。
そこへ個性豊かな同級生の様子が描かれ枠にとらわれないトモエ小学校の姿を思い浮かばせます。
その後の小林先生との面談のシーンが生きてくるのもこのような丁寧な情景描写があってこそだと感じました。
作品全体を通して言えるのですが、シンプルな情景描写を組み合わせるだけで、雰囲気や登場人物の感情や思いを的確に表現できていることは本当に見事です。

トモエ小学校の教育は授業のカリキュラムから一般的な学校教育とは大きく違います。
私自身、知識としてモンテソーリ教育やシュタイナー教育を知ってはいましたが、この作品のトモエ小学校の描写はそういった漸進的な教育を具体的なイメージするのに役立ちました。
また、そのような教育を教育熱心で愛情深い親御さんが指示し続ける理由も納得できます。
黒柳さん自身
「トモエ小学校に通わなかったら、周りから否定ばかりされ強いコンプレックスを抱えて生きていく事になったと思う」
とおっしゃっているように、「子供は本当はいい子」なわけでそれを大人は捻じ曲げないようにすることが大切だという小林先生の考えは本当に共感します。
学校が嫌で不登校を何度も繰り返した私もトモエ学園の様な学校に通っていたら、学校に対する考え方が大きく違っていたかもしれません。

【人はいつ障害者になるのか?】

この作品には今で言う障害を持った児童が2人出てきます。
小林先生の彼らへの態度は考えさせられるものがありました。

特に印象的だったのが運動会
この作品で描かれた運動会の種目は変わったものばかりで、小児まひを患っている高橋君がどれも有利にできるように工夫されていました。
ですので、どの種目でも高橋君が一等賞を取ります。
多くの学校なら不公平だと不平が出そうなものですが、トモエ小学校の児童と保護者からはそのような声はもちろん上がりません。
高橋君が一等賞を取れたことを一生に喜びます。

このような内容の運動会にしたことに対して、のちに黒柳さんは
「小林先生から高橋君への「君なら絶対できる」というメッセージだった気がする」
とおっしゃっています。
普通だったら怒られる事ばかりするトットちゃんに対して
「君は本当はいい子なんだ」
とずっと言い続けた小林先生だからこそ納得できる推察です。

他にもエピソードからも小林先生が特に高橋君へ気にかけていたことがうかがえます。
プールの授業では児童に裸で入る様に促し、男女や障害による体の違いを自然に受け入れられるように促していました。

結局、小林先生は高橋君に対して障害を意識しないで済むように色々と考えてくれていたとことはわかります。
だからこそ、高橋君はトモエでは自分の障害を意識することなくのびのびと成長し、自信をつけていけたのだと思います。

このエピソードからみなさんに問いかけたいことがあります。
「人はいつ障害者になるのでしょうか?」
私は
「自分が自分の事を障害者だと意識し始めたとき」
だと思いました。

生まれたときから五体不満足であろうと、当の本人がそのことに対して引け目を持たなければ、その人は障害者とは言えないのかもしれません。
発達障害ならなおさらです。
黒柳さんは今で言えば間違いなく発達障害でしょう。
ですが、幼いころからなんとなく周りと違うと感じてはいても、自分らしさを前面に出して活躍されてきたわけです。
そういう意味では、黒柳さんは発達障害に「ならなかった」わけです。
このことを考えると障害はかなりの部分環境によるものだと考えさせられました。

シンプルで読みやすく、童心に戻れる作品なのにいろいろなことを考えさせられる作品でした。
是非、皆さんも読んでみてはいかがでしょうか?

【作者概略】

黒柳 徹子
1933年〈昭和8年〉8月9日 - )は、日本の女優、タレント、テレビ司会者、エッセイスト。日本史上最初のテレビ出演者のひとり[2][3][注 1]で、ニュースショーのキャスターや、トーク番組の司会を女性では初めて務めた[4]。愛称はトットちゃん、チャック。所属事務所は有限会社吉田名保美事務所。日本芸術院会員[5]。
Wikpedia より


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