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友情・序列・権力――チンパンジーの政治社会『ママ、最後の抱擁』【読書】


メインで考えているテーマは進展に欠ける。とはいえ一カ月に一つくらいは記事を残したい。そこで読書メモを投じておくことにした。


フランス・ドゥ・ヴァール著、柴田裕之訳『ママ、最後の抱擁』紀伊国屋書店 2020年



チンパンジーは友だちをつくる。

誰と誰が仲良しなのか知っている。喧嘩もするが、他人の喧嘩をなだめることもある。仲直りだってする。それどころか仲直りしたフリだってできるのだ。例えば周りの目があるところでは抱き合って和解を演じておいて、二人きりに戻ると喧嘩を再開することがある。実に社会的! チンパンジーは情と賢さを兼ね備えており、安定した社会をつくる力がある。

これらの事実は長らく知られていなかったようだ。チンパンジーは狂暴だとして小さな檻に入れられていた。多くの個体を収容する施設もあるにはあったが、そこではチンパンジーたちがエサを奪い合うため大喧嘩を繰り広げており、やはりチンパンジーは野蛮なのだとみなされるばかり。

しかし問題は人間の側にあると考える者もいた。野生下でのチンパンジーはちゃんとした社会生活をしているはず。

施設内での大喧嘩はエサの与え方に問題があるのではないか。収容施設で飼育係は果物と野菜を山積みにしてひとまとめに置いていた。現代人は忘れがちだが、多くの動物にとって「いますぐ食にありつけるか」はいつだって死活問題だ。自分のとり分が分からない状態では争い合うのも無理はない。むしろこんなエサのやり方が、相互の敵対関係を作り出し、本来なら培えたはずのチンパンジーの絆を引き裂いているとも考えられる。

動物学者のヤン・ファン・ホーフ博士とその弟は、エサを一匹ずつあるいは小さな家族単位で与えることにした。するとチンパンジーたちはコロニーでもうまくやっていけるようになったのだった。ヤン博士たちが運営するバーガーズ動物園では、たくさんの健康なチンパンジーが誕生することになる。


『ママ、最後の抱擁』のタイトルは、そんなヤン博士とチンパンジー「ママ」との別れの場面が由来となっている。二人は40年来の友だちだった。

2016年。

ママの死の二週間前。ヤン博士がママのもとを訪れる。

ママはもうすぐ59歳、ヤン博士はもうすぐ80歳になろうとしていた。

以下はそのときの映像である。


ヤン博士は「ホッホッホ」とチンパンジーの声をまねながら、身を丸めたママに近づいていく。最初はそれに気づかなかったママだが、ヤンをみつけると心底嬉しそうに破顔一笑。チンパンジーの唇は柔軟なので、ママは唇の裏側までむき出しになる。ヤンの髪を撫でて抱擁するママ。ヤンの後頭部を軽くたたき続けているが、これはチンパンジーが赤ん坊をなだめるためにする仕草である。ママは再会が嬉しいのだ。

映像をみて私は泣いてしまった。

ママとヤン博士との再会シーンは、カラパイアでも紹介されている。


※ 育ての親でもない人間がチンパンジーと直接触れ合うのは極めて危険だ。チンパンジーの筋力は人間より遥かに強いし、人間はチンパンジーが何をするのか予想しきれない。しかしママはもともとヤン博士に好ましい感情を示しており、何よりすっかり衰弱していたので事件が起こることはないだろうと判断されたようだ。

チンパンジー社会の序列と権力

ママについてはもう少し掘り下げよう。ママの活躍を通じてチンパンジー社会の高度な社会性もみえてくるからだ。

ママは1957年に動物園で生まれた。ちなみに日本の岸田文雄首相も同年に生まれている。ママもまた政治家であり、アルファメス(最上位のメス)として長らくチンパンジー・コロニーを取り仕切ってきた。

しかしチンパンジーはオス中心社会と言われるし、実際そうである。どうしてメスのママがコロニーを取り仕切ることがありえるのか? 著者によれば、序列権力を区別すべきなのだという。

序列上のトップは、象徴的な存在として儀礼的な敬意を受ける存在だ。みなは腰をかがめ、ひれ伏し、挨拶をする。対して序列上のトップはときにはそれを無視さえして自分の地位を強調するのだ。

こうした序列はメス同士にもあるが、メスの中の序列上位者よりもただのオスの方が序列は上である。オスとメスを合わせた集団全体の序列のトップに立てるのもオスだけで、この点チンパンジー社会はオス中心社会にほかならない。ただし序列は、お飾りとしての側面も強いようだ。いざ序列トップが我を通そうとすると反抗されることもしばしばらしい。

権力上のトップは、集団に対する影響力をもつ存在だ。実質的に集団を取りまとめているのが、権力上のトップである。表面的にみると序列上のトップに従っているようにもみえるが、実権をふるっているのはこちら。そしてこと権力においてはメスがオスを上回ることがある。

ママはメスの中では序列上のトップであり、コロニー全体においては権力上のトップに位置していた。ママの活躍をよく示すエピソードがある。

エピソード一。権力トップを赦すママ

コロニーの序列上のトップ(アルファオス)はニッキーという名の個体だった。あるときニッキーはママたち他のチンパンジーと対立したのだが、敗走。木に登り座り込むと悲鳴を上げ続けた。木を降りようとしても追い戻される始末で、すっかり威厳をなくしていた。

しばらくして木に上っていったのがママである。ママはニッキーに触れて、キスをした。そうしてママは不安がるニッキーを引き連れて木を降りる。するとどうだろう、周りのチンパンジーはすっかり落ち着きを取り戻した。集団にとっては、「ママとの仲直り」が重要だったのだろう。

エピソード二。トップ間の争いを仲裁するママ

権力上のトップには、ママの他にイェルーンというオスもいた。この二頭が集団の核となっていたのだ。ニッキーはこのイェルーンの後ろ盾のおかげで序列上のトップに昇りつめたのだが、あるとき二頭はメスを巡って仲たがいしてしまう。

序列トップのニッキーと権力トップのイェルーン、両トップの争いは、他の有力なチンパンジーにとっては王座を得るチャンスでもある。混乱に乗じてやろうと、周りを歩き回り存在を主張しはじめる有力者たち。

この場を収めたのもママだった。ママはトップ二頭の間に割って入ると、まずはニッキーの口に指を一本差し入れた。そして今度はイェルーンに向かって頷くと、空いた手を差し出す。イェルーンはママにキスをしてそれに答える。ママが二頭の間をどくと、ニッキーとイェルーンは抱き合い和解を示した後、肩を並べて他の有力者を威圧するのだった。ママはトップ間の争いを見事に仲裁し、群れの分断を未然に防いだわけだ。

ママはまさに群れの要だった。

ママの絆についても一つ触れておこう。ママにはカイフという親友がいた。カイフはママより先に亡くなるが、残されたカイフの娘ゲイシャのことをママは世話していた。養女ゲイシャはママが亡くなったとき、その遺骸のそばを片時も離れず、誰よりも長い時間寄り添っていたという。



本書はチンパンジーの本というわけではないのだが、チンパンジーの話はそこそこの分量を占める。そしてそこで描かれるチンパンジーはほとんど人間に見えてくる。

チンパンジー社会は人間社会に似ているとは度々聞かされていたが、想像以上。群れ社会をつくる生物は珍しくないが、たいていは血縁社会である。チンパンジーは血縁にない個体たちと高度な社会生活を営んでいる。

仮に言葉や文明が滅びたとすれば、人間はこんな風に生きていくんじゃないかなぁと思ったり。


ちなみに本書では同じく類人猿の一種であるボノボの社会についても書かれている。本記事では触れないが、こちらもまたおもしろい。

チンパンジーがオス中心社会なのに対し、ボノボが形成するのはメス中心社会だ。こちらも高度な社会をつくっているのだが、あまりに平和かつ温和な生き方をしているので、「これじゃ人間社会の理解にはつながらない」とチンパンジーほどには注目されてこなかったようだ。

ボノボについてはこのチャンネルの動画が充実している。


なおこの本については別のテーマでもう一つ記事を書くかもしれない。



















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