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運命

運命の話をします。
最近ずっと運命について考えている。ここでいう私の考える「運命」は、赤い糸の話じゃなく、まあそれも関わることはあるけれども、「繋がり」という意味です。

最近ずっと思っているのは、私やり直したいことが一つもないな、ということ。よく「あの頃に戻れたら...」みたいなのを聞くけれど、そういうのが何もない。
後悔がないわけじゃないんだけれどね。正確にいうと後悔はあるけれどただ事実として「後悔」があるだけ、というか、だからあの時こうしとけばよかったとか、そういうのがあるわけじゃないというか。なんか意味わかんないこと言ってる気がするし私もわかんなくなっちゃった。

私は高校のころ軽音部に入っていて。その軽音部に入ろうと決めたときも運命だったのだけれど、これは割愛。
当時すごくベースに憧れていて(というのも小6のころ少し好きだった歳上の人がベース弾きで、その影響なのです。これもまた一つの繋がりだなと感じている)、絶対にベースをやろうと思っていた。でも私の学年はベース志望が多くて、ジャンケンで負けてキーボードになった。

私はすごくピアノが苦手で、言葉を選ばないのならばピアノが嫌いだった。幼い頃ピアノを習っていたのだけれど、もう嫌すぎて母に土下座して辞めさせてもらったことがあるくらい。(ちなみに当時私はダンスにとても興味があって、ピアノを辞めたらダンスを習おうと思っていた。でもかくかくしかじかあってダンスは断念。ダンスやってたら軽音部には入っていないだろうから、これもまた一つの運命だと思う。)
とにかくそれくらいピアノがダメだったので、キーボードに決まったとき本当に悲しかったし、できるわけないと思っていた。
でもキーボードの同期に私と同じような境遇の子がいて、その子と「ピアノ不安だよね、頑張ろうね」と励まし合っているうちにすごく仲良くなった。その子はカメラが趣味で、とても綺麗に写真を撮るので憧れて、私もカメラやりたい!と思うようになった。
私がキーボードじゃなかったらその子との関係はどうなっていたのかなあ、とすごく考える。カメラがきっかけでできた経験や出会った人も今現在また多くいて、その子との出会いは私にとって運命なんだなあって思う。

またあるとき、高1の秋ごろ。私がキーボードだから(歌を歌うからというのも大きな要因だろうけれど)先輩たちにバンドを組もうと誘ってもらった。私がすごく尊敬していて好きな先輩たちだったから本当に嬉しかった。
そんな先輩たちと組んだバンドで出た3月の大会で優勝させてもらって、本当にいい思い出ができたなあと今でも思います。
そして、その大会で優勝したことでバンドのことを知ってくれた人がその人主催のライブに出ないかと誘ってくれて出たのもすごく楽しかったし、そして最近気づいてびっくりしたんだけれど、その主催の人が今同じ大学の同じ学部にいて少し仲良くなったりもした。

これらのことが、私が希望通りベースになっていたらおよそできない経験だったろうなと思うし存在しない繋がりだったなと思うのです。

大学選びに関しても、最初色々不安に思うことはあったけれど、今の大学、学部に入ったことで尊敬できるなっていう友だちに出会えて、この大学に入る運命だったなあと思うんです。

悲しいなって思うこと、苦しいなって思うこと、やらかしたなってこと、思い返せば本当にいっぱいあるんだけれど、その全部が間違いなく今に繋がっているなという感覚だけ強くある。だから、私にとって全部の失敗や後悔、出会いや別れが全部運命で大切なんです。

これからもたくさんの運命が待っているんだろうなと思うし、今この瞬間もいつかの未来につながっているんだろうなと思う。人生って面白いなあ。長い人生、いろんなことしていきたいなあと思います。

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