天然オモチ
今日は1月1日。1年で1番ぐうたらしても許される日である。聖書にも六法全書にもそう書かれてるはず。
ということで普段は6時起床のところを8時までたっぷり惰眠をむさぼっていたし、起きてからもしばらくベッドの上でスマホをいじっていた。
暖房によって部屋に生気がもどってからようやく重い腰(というか身体)を上げてベッドから降りて、驚くほど着心地の良いダサダサスウェットに着替える。もう一度言うけれど今日は1月1日。ダラダラの極みまで昇り詰めるつもりなので、どこかに出かけるつもりもない。わたしの意志は調理前のお餅のように固いのである。
とは言いつつも、私室に籠って無駄に時間を浪費(強調のための重複表現ね)するなんて愚行は侵さない。わたしは防寒ジャケットを羽織り無言で佇んでいる扉を開けて、冷たい廊下を早足で通り抜けて、はあぁ~あと大きなあくびして、リビングの扉を開けた。
モワっと春風のように優しく温かい空気が身体を包み込もうとした。わたしは急いでリビングに入り、後ろ手で扉を閉めた。
「あけましておめでとう寝坊助さん」とキッチンに立っている母がこちらを見ずに言った。朝早くから忙しそうだ。
「あけおめー。おせちは?」
「いきなりそれ?」と呆れ声。「冷蔵庫に入ってるから重箱ごと出しちゃって。好きに食べていいからね」
「おっけー」
さっそく冷蔵庫を開けるとお肉や魚、各種飲み物からシュークリームなどがこれでもかとぎゅうぎゅうに詰めこまれていて非常に賑やかじゃないか。
そして中央に、目的の黒くて大きな重箱がドンドンドンと鎮座。まるでジャングルの奥地に隠されている金銀財宝のよう……そんなことないか。わたしにとってはおせちよりもシュークリームのほうが価値高いからね。
おせちとパックの野菜ジュースを取り出してダイニングテーブルに。野菜ジュースはオレンジ色が多いのが好き。一口で飲んで寝てる最中に失った水分を補給。甘酸っぱさが染みるねぇ。
そしてお待ちかね、おせちのふたを開けると普段はお目にかかれないような料理のオンパレード。今日は本当にお正月なんだなあとしみじみ。
「そういえば父さんと弟君は?」と何を食べるかを吟味しながら聞いた。
「初詣に行ったわよ」と母。
「ふーん」
もぐもぐ。甘い栗きんとんをほおばりテレビに目を向けると、着物を着たタレントが人でごった返し神社で新年のあいさつをしていた。みんな行列とか人混み好きだよね。次は何かのお肉の干し肉。なかなかおいしい。
おせちをつつきながら適当にテレビチャンネルをザップしたり友達とメールのやり取りをしていると突然『来客者がインターホンを押しました』と備え付けドアマシーンが言った。
「どなた?」と母。
『確認します』
ドアマシーンがチェックを始めた。壁際のディスプレイでは進展具合を表す緑色のバーがゆっくりと伸びている。古い型なのでチェックに時間がかかるのだ。
「だれー?」とわたし
『確認中です』
にべもないね。
それにしても、こんな日に来客なんて珍しい。新聞とかネット回線の営業とかかな? ブラック企業に入社したらお正月も働かされるのだろうか。うへぇ。ディスプレイを眺める。バーはまだ半分もいっていない。
機械は文句ひとつ言わずに働いているし母は鼻歌を歌いながら夜のすき焼きに使う野菜を切っている。テレビの向こうではお笑い芸人がなんかやってるし扉の向こうでは来客が辛抱強く待ってい……のだろう。
もしかして1月1日は1年で1番ぐうたらしても許される日ではないのかもしれない。だとしたらわたしはそんな日に1番ぐうたらしようとしているわけで、それはつまり──
「わたしが王だ!」
「何変なこと言ってんのよ。暇なら少し位手伝ってくれない?」
「おせちで忙しいからむりー」
わたしは忙しそうに箸を動かし、ピンクと白のかまぼこに狙いを定めた。
その時、
『データベースに載っていない人物です。危険度は低と判断しました』とドアマシーンがようやく口を開いた。危険度とはいったいなんだ。
「分かったわ。繋いでちょうだい」と母。
『承知しました』
ピッピッピー。
ディスプレイから、ごわごわした服を重ね着して低い背を猫のように曲げたおじいちゃんの立体3Dホログラムが飛び出すように映し出された。背中には一見するだけで頑丈だとわかる風呂敷をしょっている。
「お待たせしました。どちら様ですか?」と母が言った。ホログラムを一瞥しただけで野菜をカットする手は止めない。相手からこちらは見えていないので問題なし。
「あけましておめでとうございます。わたくし、ギョウショウのヤスと申します」と来客者が名乗った。
「ああギョウショウさん。あけましておめでとうございます」
説明しよう。『ギョウショウの人』は稀にふらっと現れては季節にあった珍しいモノを持ってくる人たちのことだ。たしかここ数年のお正月は来なかったと思う。といっても去年のお正月に何を食べたのか覚えていないわたしの記憶力なので対してあてにはできないけれど。
「──ということでございまして、お時間ございましたらぜひとも見ていってください」
「んー……分かりました。少々お待ちください」
ピッ。母がホログラムを消して、わたしを見た。
「ちょっと代わりに出てくれない?」と母。
「やっぱそうなる? まあいいけど」
「お肉と野菜はもういらないからね」
「おっけー」
よっこらしょと重い腰(今度は本当に腰)を上げて玄関に向かう。スリッパも靴下も履いてないので廊下がすごい冷たく、自然とつま先立ちで小走りになる。
「開けゴマー」
『オープンザセサミ』
妙に乗りの良いドアマシーンがそう言うと、レーザーチェーンが消えて玄関が開いた。めっちゃ冷気が流れてきて足がヤバい。玄関脇の戸棚から防寒スリッパを取り出して九死に一生を得た。
ギョウショウのおじいちゃんがしわくちゃの顔をさらにくちゃくちゃにして笑顔を作った。
「あけましておめでとうございます」とおじいちゃん。
「お待たせしました」とわたし。
「改めまして、ギョウショウのヤスと申します」
差し出された名刺を受け取る。質のよさそうな手触りの名刺には『ギョウショウ(株)、アイチ支店担当員 ヤス』と書かれていた。
「変わったんですね担当の方」
「はい、前任者は現在ホッカイドウ支店を担当しております」
「ホッカイドウですか」
「ええ、この時期になると寒すぎて家から出られないと愚痴ってます」
「ひょえー」
わたしはホッカイドウで雪に埋もれた部屋を想像して身震いした。めったに雪の降らないナゴヤですら冬になると布団から出るのが遅くなるのだ。ホッカイドウにいたら冬眠してしまうだろう。
「さて、お正月の貴重なお時間をおいぼれとのつまらない話で取らせてしまっては申し訳ありやせん。本題に入らせていただきやしょう」
と、おじいちゃんは風呂敷を床におろして、入っていた白いボックスのふたをずらし、わたしが中身を見えるように傾けてくれた。
「上質な魚にお肉に野菜、なんでもそろっておりますよ」
わたしには鮮度とか良し悪しがわかる目も知識もシックスセンスも持っていないけれど、白い脂身のほうが多いように見えるきれいなお肉や、今すぐ宙を泳ぎだしそうなきれいなお魚──丸々一尾のものから切り身まで──などを見て息をのむほどだった。
「美味しそうですね」とわたし。
「もちろんどれも一級品ですよ。値段も勉強させていただきやす」
「うーん」母が言った言葉が頭でリフレインする。「お肉とお魚はもう十分だって言ってました」野菜は興味ないのでスルー。
「それはそれは……残念です」
残念そうな顔でかぶりをふるおじいちゃん。しかし、
「しかし、これらは言ってしまえば前菜、なんといっても本日のオススメは別にありやす──」
ゆったりとした動作でじっくり溜を作ってから──わたしの注意を引く策略だろうか。そしてだとしたらそれは大成功だった──脇に置いてあった青いボックスのふたを開けた。
「さあさあじっくりと見ていってくださいませ!」
透明な板で区切られたスペースに、白くて丸くて柔らかいけれど弾力もありそうなオモチがひとつづつ入っていた。
「これは……オモチですか?」とわたしは聞いた。
「そう、オモチです」
おじいちゃんは言って、ニヤリと笑った。わたしは意味もなくニヤリと笑い返した。
「しかもただのオモチではなく……正真正銘の天然物でございます」
「えっ、天然物、ですか」
わたしは箱の中の天然オモチをまじまじと眺めた。
色は当たり前だけど白色で、ハンドボール大の大きさ。表面にまんべんなく白い粉がかかっている──後で知ったのだが、これは粉ではなく非常に薄い皮らしい。
「初めて見たかもしれません、天然物の元。へーこれが天然オモチ……」
時折ゆっくりと上下したりプルプル震わせたりしている。まだ生きてるのだ。
「どこで採ったんですか?」
「それは企業秘密です。去年にお国が撒いたワクチンのおかげで比較的見つけやすい場所まで出てきたモノが多かったんで今年はこうやって紹介できる程度には採れたんでさね」
「あー、ワクチン」
少し前にニュースでやっていたのを思い出した。
大手製薬会社のモチルナ社が国と共同でオモチ用ワクチンを作成し、同意を得た一部の地域に撒いたとかなんとか。社会のことはよくわかんないけどそんな感じ。
「ちなみに"息抜き"はもう済ませておりますので、そのまま調理してもらって大丈夫ですからね」
「息抜き?」
「ああ、すみやせん。息抜きというのはですね──」
ギョウショウのおじいちゃんは『息抜きに』ついて、またついでに天然オモチについて丁寧に説明してくれた。
自分なりに要約すると、本来オモチというはその名にも含まれているように藻の一種で、普段は光合成(のようなこと。厳密には違うらしいけど)をしているから、採りたてのオモチの体内には二酸化炭素(とか人体にはちょっと有害なガスとか色々)が溜まっているそう。なので採って後に、何日か日陰に置いてガスを出し切る必要があるらしい(そのままでも食べられなくはないけど相当味が落ちるとのこと)
もちろんわたしたちが普段から口にしている人口オモチはお米からできているのでそんなことする必要はありません。
「つまり魚を締めるようなもんです」とおじいちゃん。
「なるほどですね」よくわからないけれど頷いておいた。
「どうですか、やはりニホンのお正月といえば天然物のオモチですよ」
「うーん。でもお高いんでしょう?」
わたしがお約束のセリフを使うと、おじいちゃんはニコリと笑い、
「それがなんと……今年は大変恵まれましたので……ただいまおひとつYYY円でご提供です」と通販番組のように言った。
提示された値段はさすがに人口オモチより値は張るけれどここ数年希少価値が高まっている(らしい)天然オモチにしては良心的だと思った。去年ネットで3倍ぐらいの転売価格で売られているのを見かけたし。
「確かにリーズナブルですね」
「それはもう、必要以上の値段をつけるなと本社からきつく言われておりやすので」
「親と相談してみますのでちょっと待ってもらっていいですか?」
「はい、じっくりと考えてください」
わたしはドアマシーンで入れた熱いお茶を作ってギョウショウのおじいちゃんに渡してからリビングに戻った。
母はおせちをのんびりとつつきながらテレビを見ていた。
「お母さーん。天然オモチが一個YYY円だって」
わたしは早速ドアマシーンを操作してオモチが見えるように映した。
母は映像を見て、
「へー、天然物ねぇ。もう何年も食べてないわねえ。でももう普通の買ってあるし……」
「一つぐらい買ってよくない? 息抜きももう済ませてあるって」
「そうねえ。なら一つだけ買っといて」
「りょ!」
わたしは速足で玄関に戻り、ひとつ買う旨を伝えた。
ギョウショウのおじいちゃんはこれでもかというほど腰を低くして(物理的な意味でも)感謝の言葉を口にし、どこからか取りだした透明な手袋をはめ、箱から天然オモチひとつ慎重に取り出してこれまたどこからか出してきた透明ラップで包み込んだ。
そして物理マネーとオモチを交換――ギョウショウは礼輪4年になった今でもなぜか物理マネーしか扱っていないらしい――すると大きなボックスを包んだ風呂敷を器用に背負って帰っていった。これからこんな寒い中あちこち回り続けるのだろう。大変だ。
天然オモチを手にリビングに戻ると、母は台所での作業を再開していた。
「調理マシーン買ったら? 最近は半自動でも性能いいよ」とわたし。
「まだ必要ないわ。それともあんたが買ってくれる?」
「お金ないーから無理ー。あっそうだ、お年玉ちょーだい」
「大学生にもなって何馬鹿なこと言ってんのよ。それよりもオモチ、あんたが準備しないさいよ」
「えー」
「えーじゃないわよ。そんなこともできない子は正月を家で過ごす権利はないわよ」
「ひえー」
しかたなしにキッチンからまな板と包丁を持ってくる。
透明ラップをはがした天然オモチをまな板の上に置くと、かすかに草のような香りが漂った。指でつついてみると、シルクのような心地よい感触と程よい弾力がした。ポヨンポヨンと震えるオモチがちょっとだけ可愛いかもしれない。
「天然オモチって飼えないのかな」とわたしは反射的に言った。
「何馬鹿なこと言ってるの」と母。
「馬鹿馬鹿言わないでくれる?」
「はいはい、お馬鹿さん」
「もー!」
つつくのをやめて少しすると揺れが止まった。
わたしはそして包丁の背で天然オモチの頂点を少し強めに叩いた。
ポコン。
小気味よい音がして、天然オモチは若干平たくなって動くのをやめた。
もう一度指でつついた。先ほどのような弾力はなくなっていた。
R.I.P OMOCHI。
後はいつも食べるオモチと同じで醤油をつけて焼くだけ。さあレッツクッキング!
~数分後~
小麦色に火焼けした肌に海苔を着飾ったオモチが、白いお皿の上で美味しく食べられる時を静かに待っている。
雑煮派の裏切者である父と弟君はまだ外で遊びほうけているので帰ってきてから好きなように調理してもらうことにした。
「「いただきます」」
わたしは箸でつかんだお餅をゆっくりと口に運び小さく噛みちぎった。
その瞬間、すでに期待感によって湿り気を帯びていたわたしの口の中に間違いなくオモチのしかし普段から口にしているモノとは比べようもないほどの風味が充満しゆっくりと鼻から抜けていった。噛めば噛むほどにうまみがにじみ出てくる天然オモチは驚くことに粘り気がほとんど感じられない。柔らかいグミと表現するのが適切だろう……
……天然物って全然違うんだなあ。
もぐ、もぐ、もぐ、もくもくともぐもぐ……
最後は溶けるように口の中から消えてしまった。
「やっぱり天然物は美味しいわ」と母。
「買ってよかったね。もっと買えばよかったね」とわたし。
「あんたの金で買ってくれてもよかったのよ」
「出世払いで全部買い占めちゃえばよかった」
「そういえば覚えてる? 小さいときにオモチを5個も食べて後でおなか壊した時のこと。お父さんが『オモチを食べすぎるとおなかの中で合体して爆発するぞ』なんて言うからあんたピーピー泣いちゃって」
「もうやめてよー。覚えてないしそんな昔のこと」
などとたわいのない雑談をしつつ、あっという間に食べ終えてしまった。とても満足したので弟君の分まで食べてしまおうなんて考えなかった。本当だよ。
そうしてオモチを堪能したところで午前の部は終わり。お皿を流しにおいてそそくさと部屋に戻った。
将来、天然オモチを好きなだけ食べられるように勉強を頑張ろう! ……と思うわけもなく、夜のすき焼きに備えて二度寝をするのであった。
おしまいのおやすみ
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