焦げ付き鍋とカレーとソイツ
俺が初めて異星人と出会ったのは、夏のうだりがキャンプファイヤーで盆踊が大フィーバーするぐらい無意味な思考が頭に浮かぶクソ暑い日の18時ごろだった。
ソイツはベランダに突然まばゆい光と共に現れた。
背の低いスリムな人型で、銀色の肌がつるつるで鈍く光っていて、顔に見える部分に丸い黒目が2つ付いていて、まさに俺が想像している現代的異星人みたいな風貌だった。
ソイツは周囲を観察するように頭を四方八方に振り回しうねうねしていた。
俺の住居は1LDKの家賃約5万のマンションの7階。つまりベランダは広くない。ソイツがそこから見れるのは、ポツポツと点在する同じぐらいかそれよりも低いマンション、夜な夜な珍走団がパラリラする道路、バイパスと緑の看板、廃墟寸前のボロ屋と古い民家と新しい一軒家、小さな工場、わずかに見ることができる海と水平線の先にある高速道路や工業地帯の明かり、外観の大部分を占める広い空。そして俺の汚い部屋とその先の廊下にいる俺ぐらい。つまり大したものはない。
俺はソイツを見なかったことにして、まずは焦げたカレーと鍋の処理をすることにした。他にいったい何をしろというのか?
数分後、とりあえずの対処が終わり、炊き立てのご飯をよそい、焦げの匂いがするカレーをかけて部屋に戻った。驚くことにソイツはまだベランダにいて、どうやら海の方を見ているようだった。俺はカレーを口に入れた。悲しみの味がした。二口目は苦しみの味だった。
水で口の中を洗い流しながらチラと窓を見ると、ソイツの目が合った。
合ってしまったのだ。目の黒さが鍋の焦げを想起させた。
ソイツはタコの触手を思わせる腕(?)を窓に当てると、超常現象的な力かなにかで窓の一部をニュッと消失させて部屋の中に入ってきた。窓はしばらくるとニュッっと元通りに戻った。
俺はただただ突然の闖入者を見ていた。ソイツも黒い目で俺を見返していた。
膠着が30秒ほど続いた後、ソイツは腕(?)を上げてフリフリと振った。
「♪♪♪♪♪♪♪」
そして、聴覚検査のような高音をソイツが発した。そして、スーッと右腕(?)をこちらに向けた。
やられる。
そう思うよりも早く、俺の身体は反射的に1/3を平らげた焦げ風味カレーライスをパイ投げの要領でソイツに投げつけていた。この行為がきっかけで第一次宇宙対戦が勃発してしまったとしても、俺は自衛行為だったと主張することだろう。
ベチャリ。
顔面(?)にカレーを受けたソイツは動きを止めた。焦げ風味カレーライス(と皿)も不思議な力でへばりついたままの動かない。俺も動かなかった。窓を通してバイクの騒音が聞こえた。
「♪♪♪♪♪♪♪」
高音と主にソイツの頭から芽のようなものが生えた。芽は銀色から赤、そして青色に変化した。最後に銀色に戻ってから引っ込んだ。
ソイツは両手(?)で顔から皿をはがした。焦げ風味カレーライスはどこにもなく、洗い立てのように白い皿だけが残っていた。
「♪♪♪♪♪♪♪」
ソイツは身体を震わせながらまっすぐ俺を見ていた。
「♪♪♪♪♪♪♪」
そのとき俺は気が付いた。ソイツはただ体を震わせているのではなく、皿の表面をこちらに向けていた。何かを伝えようとしているのかもしれない。
「ピロピロピロ~」と俺は口笛を吹いてみた。ふざけているわけではない。いや、ふざけていたのかもしれない。防衛本能が働くと人は奇妙な言動をしてしまうと何かで見た気がする。それにしても口笛とは……。
ソイツはしばらく俺を見て、周囲を見渡し、再び俺を見た。
「ピロピロピロ~?」と俺はまた口笛を吹いた。先ほどよりもきれいな音が出た。
突如ソイツの背中から2本の触手が生えてきた。その先には銀色のしわくちゃの板のようなものが付いていた。
「♪♪♪♪♪♪♪」
ソイツはその板をゆっくりと、しかしブレなくまっすぐと俺のほうに近づけてきた。俺は何が起こるのかを静かに見守っていた。というか固まってて動けなかった。ソイツは板を俺の頭に近づけてくる。俺は突然大声を上げ歯をむき出しにして襲い掛かってみたらどうなるかを想像した。もちろん想像の内にとどめておいた。
とうとう板が俺の頭に置かれた。
瞬間、何かが溶けるように髪の毛の間を抜けて頭皮にぴったりとフィットしているような感触が下。ちょっと冷たくて気持ちがいい。重さは全く感じない。
(あー、あー、聞こえて、いますか?)
頭の中に声が響いた。若干高くて中性的な感じの声だった。
(ああよかった。聞こえていますね。ワタシ、は####の、####からきた、####と言います。気軽に####と、呼んでくださいね。
「頭脳明晰で、何でもできるように」という願いが込められて、付けられました。ママ、が言っていました。実際に、ワタシ、はずば抜けて高い、頭脳を持っています。何でも、はできませんが、非常に多くのことが、可能です。
こうしてほかの惑星に、好きなように、跳べる者は非常に、少ないのですよ。……ワタシ、の言葉、ちゃんと通じています、よね?)
ところどころ聞き取れない言葉と、自慢のような自己紹介に、俺はうなずくことしかできなかった。
(もしよろしければ、アナタ、の呼び名を、教えてもらっても、いいですか?)
そういわれても相手は正体不明の推定異星人。本名を教えてやばい契約を交わされたり名前を取られて奴隷にされるのは勘弁願いたいので、瞬間的ひらめきで思いついた名を口にした。
(ナナシ、ですね。トーンがいいですね。ところで、先ほどの発していた、音には、どのような意図が、含まれていたのですか?)
俺は答えに窮しながらも、友好の証だと言っておいた。
それにしてもなぜ言葉が通じているのかなんてSFモノでよく出てくる疑問が浮かんだ。今俺が知るべきところはそこではないだろうが、とりあえず気になったので尋ねた。
(それはですね、事前に探索機を……もちろん、ワタシ、がつくったものですよ──)
細かく自慢してくるところが妙に人間臭い。そこらへんはあまり変わらないのかもしれない。
(──探索機を送って、このワクセイで使われている、言語を分析にかけました。ちなみに、今、ナナシ、の頭につけている翻訳機も、ワタシ、が作りました。試すのは、今日が初めてだったので、チューニングがいまいちでしたが……あー、あー。うん、だんだん良くなってきましたね。あ、この惑星のモノに害はありませんよ。メイビー……)
ということだった。気にしたところで時すでに遅しなので最後のセリフは聞き流すことにした。とにかくソイツは色々と俺が想像することもできないことをこなしてしまうほど頭がよいのだろう。
そろそろ本題に入ってもらおう。明日も仕事があるので、用があるならさっさと済ませてもらいたい。無いなら無いでさっさと帰ってもらいたい。拉致るというのなら勘弁してもらいたい。
(ケンキュウです。ワタシ、休暇中でして、その間に好きなことをやりたいなと思いまして。他のセイブツがいるワクセイを訪れることにしました)
それで地球に? ちなみにこの惑星の評価? みたいなのはどんな感じ?
(####……地球と言った方がいいですよね。これからそうします。ワタシ達、の世代ではほとんど知られていないので評価は低いです。遠いですし地味というのが主な理由です。でも、ワタシ、は好きですよ。地味なところが癒しになるみたいな感じで)
まあ地球の評価はどうでもいい。なんでよりによって俺のところに?
(どこよりも強い興味をそそられる匂いがしたからです)
そそられる……って、カレーの?
(はい。あと、エネルギーが枯渇気味だったので緊急的避難を行いました。計算を上回るエネルギー消費量だったのは想定外でした。天才もまれには失敗するのですよ)
俺は何も言わずにただうなずいた。
(あのように熱烈な歓迎を受けるとは予想していなかったので、少々驚きましたが、ありがたくいただきました。想像していたより複雑で深みのある味でした。たしかカレーライスというものですよね?
地球の代表的な料理なのですよね?)
俺は一週間後の天気予報並みにあいまいにうなずいた。賛否両論あるとは思うが目をつぶっていただきたい。
(あっていましたか。まあワタシですから当然ですね。それで相談なのですがまだ残っていましたら、サンプルとして持ち帰りたいのでゆずって頂けないでしょうか?)
俺は葛藤した。どのような言い逃れもできない完全な失敗作をこの惑星の代表的な料理であると偽って教えてしまっていいものか。
カレーへの……いや、人類への裏切りではないか? せめて本物のカレーを紹介するべきなのでは。しかし今から作り直すことはできない。材料も時間もないし面倒くさい。
(いかがですか? 対価としてワタシ、のできる範囲で何でもしますよ。例えばそうですね──)
ソイツはスルスルとキッチンへ向かい、圧力鍋を手に戻ってきた。手の甲(?)あたりから細い触手が伸びて、圧力鍋のコゲをつついた。
(これからこの物質のみを取り除きたいと思ってますね?
──ワタシ、ならできますよ)
俺の心を読んだのか。異星人ならそれぐらい朝飯前なのだろうか。
(いえ、ワタシ、が天才だからです。ナナシ、の視線や微細な動き放出される脳派からそう推測しました。ナナシ、は読みやすいです。ワタシ、にとってはですが)
さいですか。
(天才ですから。それというのも──)
とソイツは語りだした。子守歌のように聞いていると次第に焦点がぶれはじめ、代わりに裁判所が出現し荘厳な鐘の音が響いた。
宙では天使と悪魔が踊り狂い、学生の頃に教科書で見たことがある偉人のおおきな顔がペチャクチャとあらゆる言語で騒ぎたてる。地球と黒焦げカレーの写真が載ったガイドブックには☆2.2の表記。
人類の歴史とかレシピとかそういう何か大きそうなもの
VS
新しい圧力鍋代12,980円(税別)
激しく天秤は左右に振れる。ゴーンゴーン。一審判決は圧力鍋、二審判決は人類側……。ひげの長い裁判長が木製のハンマーを狂ったように叩き、見たこともない記号めいた文字が青い惑星の周りを泳ぐ。
太陽が7回天秤の周りを回ったころ、俺の目の焦点が戻った。
時計を見ると、5分ほど経過していた。
俺は口を開いた。
ゴムパッキンの臭いもとれる?
(ゴムパッキン……ええ、もちろん可能です)
俺はゆったりとした足取りでキッチンへ向かい、お代わり分を先に自分の皿によそい、残りのカレーを小鍋ごと差し出した。
地球の代表的な料理は、この『焦げ風味を堪能できるカレー』です。
ソイツは空いている手で小鍋を受け取り、どこから取り出したのか分からない白くて正方形のキューブに接触させた。子鍋はキューブにズブズブと沈んで消えた。俺が瞬きをしたらキューブも消えていた。
(それでは、ワタシ、はこれにて失礼します。翻訳機はまもなく消えますので最後に一言だけ。ナナシ、に出会えてよかったです。また機会があればよろしくお願いしますね)
「♪♪♪♪♪♪♪」
ソイツが例の高音を発したかと思うと、ベランダをカメラのフラッシュめいた光が満たし、消えた。
これが、俺の人生で初めての異星人(?)との邂逅だった。
さりげなく始まりあっけなく終わったので、数年後に「ああ、そういえばあの時、変なヤツと会ったんだよな」とたまに思い出す程度の記憶にしか残らないだろう。
一人になった俺は、窓際に転がっていた圧力鍋を手に取り、底を手でこすった。コゲはおろか傷一つ残っていなかった。何回こすっても鍋底はツルツルしたままだった。
新品同様となった鍋の底に、反射した俺の笑みが反射した。
俺はホクホク顔で圧力鍋を片付け、ぬるくなっていたカレーの電子レンジで温めて食事を再開することにした。
一口食べたときに、残りのカレーからも焦げの風味も取り除いてもらえばよかったのにと悔やんだ。
終わり