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量産型リコを観て プラモデルの思い出

私の実家は繁華街ド中心にあるのだが、
20年ほど前、実家の真ん前に「科学教材」という古びたプラモデル屋があった。
入口のショーケースには自然に囲まれた電車のジオラマが飾ってあるのだが、
手入れされなさすぎて、まるで人間がいなくなって30年経った集落のような荒れようだった。
 
店のドアを開けた瞬間、ツンと独特のニスの匂いが鼻を襲う。
いつ発売したかも分からないプラモデルがピラミッドのように積まれた箱の最下層に並んでいる。
 
まだ小さかった私にとってプラモデルは大人のおもちゃだ。
入店する前から鼓動が高鳴る。血液は手のひらにまで繋がっていることを実感する瞬間だ。
今書いているだけで、あの時の匂いと高揚がよみがえってくる。
 
その店はおじいちゃん1人で切り盛りしていた。
おじいちゃんの定位置はレジから見えないくらい奥の部屋。
店はほったらかしで、座ってテレビを見ている。

「スミマセーン!!」
子供特有のお構いなしな声量で呼ぶ。
声に気づいたおじいちゃんはのっそり立ち上がり、ゆっくり近いづいてくる。
薄暗い廊下を経て、レジ前に来てようやく見える顔。
「良かった今日も笑顔だ。」
いつも目が合うまで不安だった。

よっぽど喋っていなかったのか、口を開こうとすると「パッァ」とのり付けされた物をひき離した時のような音がした。

私は近所に住んでいる子供だから、500円の商品なら50円、1000円なら100円といつもおまけしてくれた。

噂を聞きつけた友達から代わりに買ってくれと頼まれたこともあるのだが、後に子供だったらみんなに割り引いてたことを知りショックを受けることになる。

それでも他の子よりは割り引いてくれていたはずだ。
いや、絶対そうだ。

おじいちゃんは80歳はゆうに超えているだろう。
いつも優しく微笑みかけてくれるその人は、祖父が他界していた私にとって大事な存在だったように思う。
 
当時、小学生の私は大ブームだった「ミニ四駆」に大ハマりしていた。
夏休みにもなれば、毎日のように科学教材に行き、何かしらのパーツを買っていた。
小4の夏休み、ミニ四駆の一大イベント「ジャパンカップ」へ出場したく、コロコロコミックから家族全員の名前を使い応募した。
ちなみに前年度は一枚だけ応募して外れてしまっている。

結果を待つその日がどれほど長かっただろう。
毎日郵便受けを見に行った記憶がある。
 
郵便受けにいった母親から声がする。
「おーい、届いているよー!」

「ドタバタドタバタ!」
木琴のように階段をかき鳴らしながら飛ぶように降りていく。受け取るや否やはがきを凝視する。
 
「はずれ・・はずれ・・・はずれ・・・・あ、あたり!!!」

もしかしたらあの瞬間が人生で一番嬉しかったかもしれない。
 
レース当日は、
肉抜き(ボディーを軽くするための切り抜き)をし過ぎて弱くなったボディーが、
最初のコーナーに耐え切れずにコースアウトし、可処分時間ほぼ全てをベットしたマシンは大破する。

熱くなるはずの私の夏は、ジャパンカップ史上最速のコースアウトという不名誉な記録と共にしずかに秋へと加速していった。
 
プラモデルにも興味が無くなった中学生のある日。
家の目の前にパトカーが数台止まっている。
何があったんだ?
 
どうやら科学教材で何かがあったらしい。
 
あとから親に事情を聞くと、
悪い中学生たちが科学教材で何度も万引きをしていて、それがとんでもない金額にまでなっていたようだ。
最近ガラの悪い奴らがチョロチョロしていた理由が分かった。
 
おじいちゃんの家族は、だいぶ前から店を閉めろと説得していたらしい。
でも、おじいちゃんは頑なに商売を続けた。
 
レジの奥、暗い廊下の先、ぼやけた光の中に小さく座っていたおじいちゃん。
会計で呼ぶ瞬間、早く帰ってプラモデルを作りたい気持ちと、小さな冒険の終わりを寂しく思う気持ちが入り混じる、不思議な感情になった。

あなたとあなたが守ってきた科学教材は、今も私の心の中に生きています。

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