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「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」第1話

朝学校に行くと常呂が泣いていた。

カート・コバーンが死んだ。

自殺したらしい。

おれは泣いている常呂をひとしきりからかいチャイムが鳴り席に着いた。

常呂は暫くのあいだ机に伏せたままだった。

 「カートが死んだんだよ。」

自殺した。そのニュースを聞いて常呂は泣いた。
おれは泣けなかった。

おれにはそんなことどうでもよかった。

中学3年生のおれにとっては「どうすれば童貞を捨てることができるのか」、頭の中はそのことでいっぱいだった

グランジ音楽を世に広め、一つの時代の一部の若者を虜にしたカート・コバーン。バスタブに入りながらショットガンで頭を打ちぬいた。その銃弾は地球を半周し山梨県甲府市の中学校の教室まで届き、常呂を撃ち抜き机に伏せさせた。

常呂が銃弾で撃たれているなんて露知らず、寝ているのかと思いその後頭部を軽く小突く。いつものように軽くつかみ合い、この世代の男子特有のじゃれ合いをしてそれからホームルームが始まる、そんないつもの朝を無意識に想像していたのに、机から顔を上げた常呂は目を真っ赤にしていた。

どうしたのかと聞くと、ニルヴァーナのボーカル、カート・コバーンが死んだとのこと。

人が死ぬことも悲しむことも自分事として捉えることができない精神的な未熟さが未成年の残酷さにつながる。

おれは泣いている常呂をただただ笑った。

校舎は無神経な笑いも常呂の早熟な感性も、その他大勢の若者たちのすべてを内包して爆ぜようとしていた。

そんな混沌とした感情を織り交ぜ積み重ねながら確実におれたちは日々を歩き続けていた。

おれの中学校は山梨県甲府市にある。盆地特有の山に囲まれた中学校。近くには甲斐の虎と言われた戦国武将の武田信玄が住んでいた場所が、今は観光地として神社となっている。

中学校はなだらかな坂道の途中にある。

甲府駅の北口からずっと一直線に坂道がその神社まで続いていて、その途中におれの中学校がある。甲府駅より北口のおれの住む町は坂とともに生きる町だ。みんな自転車でその坂道を毎日上るので、「東京の人よりも足が太くなる」と、女子はよく文句を言っていた。

さらにその上の山の中に住む女子は冬になるとスカートから露出した足が薄く切れている事があり、どうしたのかと聞くと、「かまいたちにやられた」と言っていた。

冬の乾燥した凍てつく空気と自転車で一気に山から降りてくる時の気圧の急変で傷ができる事があるらしい。

そんな山からくる人たちを山の中腹に住む人たちは「あいつらの家の周辺はイノシシ乗り放題だ」と馬鹿にした。

中学校に入学した初日、明らかに怖そうな先輩たちがクラスまでやってきておれを囲んだ。

「お前、あいつの弟だろ」
「はい」
「あんま似てないな」

そう言って先輩たちは消えていった。

おれの一つ上の兄貴はオタクの変わり者で有名で、その弟が入学してきたということで先輩たちは面白半分に様子を見にきたのだ。

兄貴からはたくさんのアニメの知識を気づかないうちに教わっていた。家ではよく「パトレイバー」や「ガンダム」「ふしぎの海のナディア」なんかが流れていて、家族で東京に行った時に兄貴に連れられてアニメイトにも行った。当時はそれがすごく恥ずかしかった。

あいつの弟である。

そのことはずっとおれを悩ませることになる。兄貴みたいにはならないようにしよう、そう思ってずっと過ごしてきた。なので全て自然と兄貴とは真逆の方向へ進んでいくことがここから加速していく。

この町で生まれこの町で育つと山に囲まれているせいか【流行】がかなり遅れて入ってきて、だから【流行】には疎くなり、でもそれを知るとその【流行】を盲信するようになる。【流行】が東京から入ってくるスピードは距離から想像できる以上に遅く、この当時すでに東京で大流行していたルーズソックスなんか学校ではアコだけが履いていて、それはなんだと先生に質問されてアコは「靴下のサイズを間違えて買いました」と鼻にかかった声で笑いながら答え、そのまま廊下を歩き去っていった。

そのアコが川上と付き合っていると聞いたのはついこの前の話だ。

川上とは中学1年生の時、入学した4月一番最初の席替えで前と後ろの並びになり、そこからずっと一緒に遊んでいる。当時の男子なら誰もが読んでいたマンガの影響をふんだんに受け、部活は一緒にバスケ部に入った。「バスケットはお好き」ではなかった。ただ流行っていたから始めただけだった。

常呂と仲良くなったのは小学校から常呂と同じ学校に通う川上からの紹介だった。

常呂の家にはバスケットゴールがあり、よく3人で部活の後、常呂の家でバスケットをして遊んだ。その合間に常呂の部屋で音楽を聴いたり映画を観たりした。

常呂には5つ上の兄貴がいて、その兄貴の影響で田舎の中学生が聞かないような【都会の匂いのする】【先端だと思われる】音楽や映画に詳しく、しょっちゅうそんな話をしていた。おれたちは山を越えて常呂の兄貴経由で誰よりも早く【流行】を手にしていた、つもりになっていた。

メロコアを聴いてスケボーをして、そんな文化がおれたちの中で育まれていって、ずっとB’zを聴いていて新曲の発売日にはCDショップに買いに走っていたのに、常呂の家でグリーンデイを聴いた時に音楽が変わった。メロコア、パンク、ハードコア、そんな音楽が大好きになった。初めてできた彼女に誕生日プレゼント何が欲しいか聞かれて「セックスピストルズのCD」と答えたと川上に話したら笑われたことはもう少し先の話だ。とにかくそれくらい音楽にのめり込んでいった。もちろんギターにも挑戦してみたが、Fの壁を乗り越えられず即挫折した。

あの頃話すことは、音楽と映画、そして何より、女の子の話が多かった。  

大人になるための教材は沢山あった。土曜日の深夜、親が寝静まった後のテレビ。

ブラウン管の向こう側の音を最小に、自分の聴力レベルは最高に。テレビの音と親の部屋の物音に集中しながら観た【ギルガメッシュ★ナイト】。最初震える手で買ったエッチな本は【ドント】。

思春期の悶々とした脳みそはさまざまなところからかき集められた情報と蛮勇から得た果実を栄養分にして、精神とはアンバランスに「大人」に成長しようとしていた。

そんな悶々とした日々を送っていた中学2年生の終わりに、川上からアコと付き合ったと言われた。

アコは誰よりも早く流行りのものをこの町で取り入れ、あどけなさと大人びた感じが同居する、華やかさとすこしの危うい感じはいつも男子の話題になっていた。そのアコと川上が付き合う。なぜ?どうやって?ひとしきり質問をし終わり、その日は解散した。

「付き合う」

この美しさ、あたたかさ、そして思春期の男子にとっては淫靡な意味合いも感じ取ってしまう青春を彩る言葉をいつか言う日が来るだろうと想像してみたりしたこともあったが、まさかそれがこんなに早くこんなに身近な現実として起こるとは!

仲の良い友人からそんな話を聞いたことで、俺はその晩、激しく自慰をした。おそらくは常呂も。

しばらくすると川上からセックスをしたと聞いた。
もちろんその夜もおれは激しく自慰をして、おそらくは常呂もしたはずだ。

中学3年生の夏だった。

その同じ夏、同じバスケ部のメンバーが死んだ。病気だったらしい。特別仲が良かったわけでもなく、そんなことは何も知らなかった。夏休みの間、部活の練習に来ないなとは思っていた。そしていつかの夕方、連絡網が回ってきた。

次の日、有志が学校に集まり、彼の家まで向かった。

古い田舎の木造住宅。縁側でスイカでも食べていたのかも知れないそんな家。そんな家で慣れないお焼香を見よう見まねでおこない帰った。お焼香をあげる時、遺影にはおれの知っている顔があった。部活をしている時の顔だった。そしてその横に目を移すと制服を着て口を固く結んで怒ったような顔をし正座して座る、多分彼の弟がいた。

帰り道、夏の夜の匂いを嗅ぎながら、友達と戯れ合い帰った。

家に着いて眠る時、彼の弟の顔が浮かんできたが、もうそれ以降思い出すことはなかった。彼の記憶もどんどん薄れていった。

蝉の声が周囲を囲む山からこだましていた。栗の花の匂いのする部屋。白いティッシュと青い空、むしむしとする盆地の夏。秋になり、冬を迎え、受験が始まった。

おれたち3人とアコは全員同じ高校に進むことになった。

続く

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