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「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」第3話

はじめは戸惑っていた。

ただ、部屋に入れる入れないで揉めていると親にバレるという怖さがあり、とにかく静かして入れということになった。

しかしそのうちそれが回数を重ねてくると、悪いことをしているという事が高揚感となり、アンが夜中窓から部屋に入ることが普通のことになっていった。

セックスをするわけではなく、ただ枕を並べて話をする。

ただそれだけだが、だれにも言えない秘密なことをしている、アンと学校ですれ違う時、その事実が異常におれを興奮させた。

学校からの帰り道、ミヤといつものように話しながら一緒に帰っていた。ミヤとは付き合って1カ月、いまだに手をつなぐこともできていない。

一度だけ、ミヤを抱きしめたことがあった。

付き合って1週間くらい経ったある日、俺の部屋に来たミヤをみながら、なにか起きるのではないかとドキドキしつつ誰もいない家の中でとりとめもない話をしていた。

なんとなく、暗い顔をしていたことに気づいてはいたがおれはひたすらしゃべり続けた。聞きたいことと聞きたくないことが世の中にはある。聞きたくないことはできれば聞きたくないのだが、逃れられないことは多々あり、たいていそれが耳の中を通ると不可逆的な気持ちの変化が起きる。

ミヤは言った。「話さないといけないことがある」。

なぜか、頭の中の後ろの方で川上の顔が浮かんでいた。常呂と、そして小泉も。川上とアコがいつも一緒に学校から帰っていく姿に憧れていた。俺もああいう風になりたかった。アコはずっと先端を走っていた。小麦色に肌を焼き、ナチュラルブラウンの髪はきれいに巻かれ、いつもエタニティの香水の匂いがして、もちろん、もうそのころには山梨にも完全に定着したルーズソックスを履き、川上と一緒にいるふたりの姿は【東京の高校生】で、おれの憧れだった。応援団に入った常呂はモテ始めていたが、女の子とはだれとも付き合わず相変わらず映画が好きで、映画の話がしたくなると夜連絡をしてきて、二人の家の中間地点にある山梨大学の中庭で、最近見て良かった映画の話を聞かせてくれた。これは3年間続くおれと常呂の大事な時間だった。小泉はバイクに乗り、いつもおれを後ろに乗せて走った。学校が終わった後、河口湖まで富士山を見にいったこともあった。

「私、中学生の時、子供を堕したんだ。」

子どもを堕胎することに今ならさまざまな理由があることは理解できる。善悪の問題は別として、人には事情がある。生む罪もあれば生まない罪もある。ミヤから告げられたことで分かったことは、ミヤには大きな後悔と大きな罪悪感と大きな傷があった。そこを埋めるための言葉を15歳のおれは持たなかった。言葉を持たないものの弱さを知った。だれもいない家でミヤの嗚咽が響いていた。おれはミヤを強く抱きしめた。遠く山梨大学のグラウンドから野球の打音が聞こえていた。

 アンは何度も夜中俺の部屋の窓をノックしてきた。木下の話だとアンの両親は離婚しているらしい。この家に住んだ後、離婚した。よく二人でベッドに横になっているとアンが「落ち着く」と言っているのを聞いていたし、普段は見せない安らかな顔を見せていた。

ある日、アンが突然キスをしてきた。

驚いて俺は固まってしまった。初めてだった。そこからアンはさらにキスをしてきた。どうしていいのかわからず、気づいたら夢中でアンの唇を吸っていた。股間が信じられないくらい熱く硬くなっているのがわかる。気づいたら明け方になっていて、アンは窓から出て行った。次の日、頭が痛く学校を休んだ。 

それからもアンは家に来た。なんどもキスをして、しだいにおれのものを手で触り口に含むようになった。だがそれ以上は進まなかった。そのうちアンは家に来なくなった。しばらくして彼氏ができたらしいという噂を聞いた。もう窓が叩かれることはなかった。

 甲府の高校生は自転車で移動する。あとは原付か、そのどちらかがメインの移動手段で、電車に乗ることはまずない。東京のように隣の駅のあの店に行こうとか、そんなことを考えたことは一度もない。自転車でいける範囲がおれたちの世界で、原付を持っているとその世界は広がった。バイクに乗っている小泉は例外として。おれは自転車しかもっていなかったのでおれの世界はその車輪の回転する範囲に限定されていた。

ただ、1年に1回夏休みの時、甲府の学生が電車に乗ることがある。

石和の花火大会だ。

彼氏彼女がいる奴らはみんなこぞってその花火大会を目指し甲府駅から電車に乗る。小さいときは親に連れられ、花火大会が終わると温泉に入って帰るというのが定番のコースだった。今年はおれとミヤ、そして川上とアコでいくことになった。おれはミヤと二人で行くものだと思っていたが、なぜかミヤから4人でいこうと提案された。いやだ、ふたりで行きたいと言いたかったが言えなかった。なんとなく言わない方がよさそうな気がしていた。

石和駅を降りると、アコが土手まで行くと混んでいるから近くの小学校の校庭で見ようと提案してきて、4人で小学校の校庭へいった。誰もいない夜の校庭で、4人は遊具に乗りながら、たわいもない話をして、少しだけ離れたところから見える花火は、少しだけ寂しく見えた。川上とアコは相変わらずじゃれ合っていた。おれとミヤは黙ってそれをみていた。

秋が来て、ミヤとは結局キスもせずに終わりを迎えた。

夏休みの途中、「しばらく会いたくない」と唐突に言われ時間をおいていたが、連絡が来て、「しばらく会いたくないって言ったけど会いたくならない」と言われて終わった。夏の終わりの午後だった。

それを告げられた日、川上の家で遊ぶ約束をしていたのでそのまま向かった。川上の部屋でゴロゴロしながら、頭の中はミヤの事でいっぱいだった。川上になかなか切り出すこともできず、ただひたすらマンガのページをめくっていた。

川上が、「あっ、これ聞こう」と、CDをかけ始めた。アコースティックギターの音とカートコバーンの声がKenwoodのコンポから響き始めた。

アンはあの窓を開けに行くために夜中自分の家を抜け出す。

あの窓に向かう道の途中で、アンは何を考えていたのだろうか。アンはあの窓を開けて昔の自分に戻っていたのだろうか。ならばなんでキスをしたのだろうか。アンはあの窓から出ていきその帰り道、何を思っていたのだろうか。2度と戻らない過去から現実へ、母親だけが待つ家が近づいてくる、その時のアンの感情を知りたいと思った。あの窓が開いたことは誰も知らない。おれは誰にも言わなかった。

川上に「ミヤと別れた」と告げた。川上は少し驚いた顔で、それから憤りをみせ、おれを励まし、温かい言葉をかけてくれた。川上は本当にいいやつだった。カートの病みきった声がおれをすり抜け部屋の中に染み込んでいく。

まだ暑さが残る9月。

ミヤの事を考えない日は無かった。夜、アコから電話がかかってきた。「川上のことで相談がある。」。なんのことだろうと思い、夜中、こっそりと家を抜けだし、おれとアコは中学校の中庭で落ちあった。

二人でベンチに座る。夏の夜の匂いに交じりエタニティの香りが暗いベンチを包み込んでいた。まだ夏が残っている暑い夜、アコは白地のワンピースを着ていた。暗い中庭に、アコのワンピースが浮かんでいる。

アコはなぜか川上のことはほとんど話をしなかった。日常の些細な出来事を笑いながら楽しそうに話すアコ。

エタニティの匂いを嗅ぐにつれ思考が狭まっていく事がわかる。股間が固くなっていく。アコはそんなおれを見透かしているかのように笑いながらたわいもない話を続けている。たまに触れる汗ばんだ腕や、カールした髪の毛。遠くからカエルの鳴き声がこだましている。勃起し過ぎるとおなかが痛くなるのはなぜだろう。おれはどうしようもなくなり、この膨らんでしまったものをアコにバレてはいけないと、ベンチから立ち上がり歩き出した。アコはそんなおれの手を握った。どこいくの?微笑みながらアコはおれの手を引いた。そのままアコに導かれ、おれはベンチの上でアコと重なった。

「あったかい」

それが一番最初に出てきた言葉だった。

さんざん知識を入れていたはずだったが、女性の中が【あたたかい】とは知らなかった。その【あたたかさ】に驚きを覚えながらおれは果てた。終わった後、アコはやはり笑っていた。おれは童貞を捨てた。暗闇の中から夏の夜の匂いが立ち上がる。

アコから連絡が来ることはあれ以来無かった。学校ですれ違ってもいつもと変わらずに川上とじゃれ合っていた。常呂から山梨大学集合の連絡が来た。いつもの映画の話の時間。常呂から一通り話を聞き、その後おれはすべてを話した。常呂は驚きと怒りと軽蔑が入り混じった顔をおれに向けた。初めて見た常呂の顔だった。常呂はこの話を墓まで持って行けと言った

家に帰り、テレビでニルヴァーナの特集がやっていた。カートが死んで2年が過ぎた。なんとなく、その毛玉の多そうなセーターを着て歌う金髪の男を見続けていた。

おれは泣いた。

涙が止まらなくなった。カートは死んだ。おれは生きている。ショットガンで頭を打ちぬくなんてことは無い。このまま生き続けていく。ある時代の一部の人に熱狂されることも無い。だれにも言えない秘密をたくさん抱えて、たくさんの噓をついて、たくさんの人を裏切って、それでもおれは生きていく。

おれの窓は冷たく閉じている。

終わり

 

             

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