休日に描いてみた小説のようなもの

第一章 幸せな街から歩み去る人々

 南の山の向こうに幸せな街があった。
朝は遠くから聞こえる音曲で目覚め、近づいてくるパレードの歓声に呼ばれるように皆大通りに向って走り寄っていく。
幾頭もの馬に曳かれたきらびやかな装飾の施された山車には、楽師たちがリスミカルな調子奏で、その周りで行進しながら踊る少年たちを軽快に導く。
沿道に配られたビラには、山車に乗った若者たちが演奏したり歌ったり演じたりするショーの開演時間と劇場が書かれている。
この街は隅々まで音楽と演劇と芸術に満たされ人々は喜びに溢れている。

この国の王はよっぽど娯楽好きの粋狂者なのだろうか、いやこの国に王はいない。
この国には王の代わりに一人の優れた芸術家がいたのだ。
彼の名はニャジー、彼が絵画に描く青年は実に精悍で女ばかりか男たちも隔てなく魅了した。
彼が戯曲に描く愛嬌と勇気に溢れた少年は誰もが笑顔になった。
街一番の音楽家はニャジーの才能にほれ込み楽曲を提供し、社交界を牛耳る貴族の未亡人はニャジーの一挙手一投足を褒め称えた。

ニャジーは国じゅうから若く才能のある少年を集めて学校を作った。
彼はすべての情熱を少年たちに注ぎこんで彼の芸術を体現する表現者へと育て上げた。
ニャジーの見事な脚本と演出は毎作品評価を上げ、その名声は国や山や海を越えて響き渡った。

アトリエを兼ねたニャジーの自宅の深い階下には厳重な鍵の掛かった部屋があった。
薄暗い部屋の中には何人もの痩せ細り怯えた目をした裸の少年たちがいた。
奥にうずくまる年長に見える青年には誰もが見覚えがあった。ニャジーが連作で発表した絵画──精悍な顔つきと凛々しい体つきをした──によく似た若者。
しかし全身痩せ細り骨ばって恐怖にゆがんだ表情からは信じがたい隔たりがあったが、灯の消えたうつろな瞳には確信を促す憂いだけが残っていた。

ニャジーの創作の源となっている秘密の部屋、広大な彼の家の世話をする大勢の下人たちから「実しやかな噂」は街中に広まるも、ある者は噂自体に怒り信じず、ある者は「大きな喜びの代償の小さな贖罪」と関心を示さなかった。
ただその子たちがそこにいなければ、皆を愉しませる芸術が生まれないことを皆が知っていた。
日々の素晴らしい幸福に満たされた、何物にも代えがたいこの街の美しさ、世界中から一目見ようと訪れる客人たち、歓待する人々の優しさ、笑顔を絶やさないこの街の子供たち・・・全てこの暗い地下室に閉じ込められた少年らのおぞましい不幸に負ぶさっていることだけは、皆が知ることになった。

幸せな表情と笑い声の絶えないこの街で、ごく少数のそうでない人たちがいる。
ある者は憤りに震え役人や有力者に訴えるが、繁栄の受益者たちが聞き入れることは無く、己の無力さに苛まれ静かにこの街を去っていった。
真実を知り耐えられなくなった人たちはそれぞれのタイミングでこの幸福な街を去っていく。
物心ついたばかりの少年や少女、仕事や子育てに追われ駆け足で人生を駆け抜け一息ついた夫婦、慕う家族や知人に何も告げず独り旅立つ老人、彼らは街を後にし暗闇の中へと歩み続け、そして二度と帰ってこない。

一人、また一人、去っていく人を見ても、残った街の人々は何の関心も無い。意見の異なる人が去る悲しみよりも日々の幸せのほうが勝るからなのだろう、今夜の公演で披露される新作や新曲のほうが彼らにとってより重大な関心事なのだから。

《第二章 ニャジーの死》へ続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?