ウマ娘3期がおもんねぇ
へろーえゔりわん。
今回はウマ娘プリティーダービーseason3が、10話まで放送された現在マジでおもんないということをちょっと書きたい。
まずエクスキューズとしてキタサンブラック世代について私は詳しくない。リアタイしてたわけでもないし、周辺の馬についても聞き齧り程度の知識しかない。テイエムオペラオーの世代なら本3冊は書けるんだけど……。
ともかく、当時のことはwikiやまとめサイトで得られる程度の知識しかなく、これはウマ娘2期の時と同程度の予備知識だということは言っておく。
それを踏まえた上で、なんだけどウマ娘3期がまあ面白くねぇ。
というわけで、以下は個人的なアニメの不満点を列挙していく。
◼️キタサンブラックの動機がふわふわ
1番今期のウマ娘に乗れない理由はマジこれに尽きる。キタサンブラックの掘り下げが甘い。幼稚園児の砂遊びか?
キタサンブラックがサトノダイヤモンドに有馬記念で負けてぎこちなくなった後、立ち直るには?ってなったときに出てくるセリフが抽象的かつ根拠を他人に預けているところがあまりにふわふわ。アドマイヤベガも喜ばんわ。
個人的にノリが1期より緩いというか、前半がギャグベースの日常パートで後半が真面目なレースシーン、というテンプレを毎回繰り返して勝ちましたー負けましたーにキタサンブラックが都度リアクションを取っているだけで、物語としての連続性や積み重ねを感じない。そのせいでキタサンブラックの成長や歩んできた道のりの物語として実感が湧かない。これが「主人公」としてあまりにキャラが弱くなりすぎている理由だと思う。
◼️サトノダイヤモンド、一瞬の輝き
3期で2番目に面白かったのはサトノダイヤモンドの菊花賞だと思う。1話の尺ながら、前話で毅然とした姿を見せたサトノダイヤモンドがそれまで背負ってきた夢、願い、挫折、絶望、あるいは呪い。その重さを、後に名前を語られることすらないウマ娘たちを通して描き、そしてそれを救済したダイヤモンドの菊花賞はあまりに見事。
志を叶えられなかったウマ娘たち、その夢の亡骸の山。その中に自分もいるかもしれない、そんな恐怖と不安をきっと今まで何度も噛み砕いて飲み干してきただろう、そんな誇り高く強いウマ娘の、重責から解放された慟哭は本当に素晴らしかった。
なのに有馬記念が終わったら元のノリに戻ったのはなんで??そこは積み重ねるところじゃないん??
サトノダイヤモンドのキャラとしての輝きがマジで菊花賞の一瞬だけだったとは思わなかった。
◼️ドゥラメンテの存在
個人的に1番問題があるのはここだと思う。
史実の聞き齧りの知識ながら、キタサンブラックにとってドゥラメンテの存在が大きいのは分かるんだけど、それって逆にこんな慣れ合えるような関係だっけ……?というか、もう少しキタサンブラックはドゥラメンテを拗らせてた方が話面白くなると思う。
宝塚記念(勝ち馬マリアライト)の時にTwitterで「キタサンブラックがドゥラメンテしか見てなくてマリアライトを『誰!?』扱いしてるのはイメ損」みたいなのがちょっと言われてたのを見たんだけど、個人的にはなんならマリアライトを見てなくてすらいいと思った。むしろあそこでマリアライトに誰!?って言っちゃうくらいキタサンブラックが視野に余裕があったのはむしろ物語の緩急において悪手だったと思う。
キタサンブラックとドゥラメンテって「主役になった馬」と「それが追いかけ続けて追いつけなかった馬」っていう立ち位置が割と重要だと思ってて。キタサンブラックの生涯においてドゥラメンテという馬はいわば「消えない傷」なんだと思う。
皐月で負けて、ダービーで負けてロストシャインして、菊花賞は出て来なくて「主役不在」の菊花賞を勝つことは決して恥じたり引け目に感じることではない!って自分を奮い立たせるのはいいとしても、それを心底から信じることを許さなかったのがキタサンブラックとドゥラメンテの1番ミソなところじゃない?
キタサンブラックがどんなに主役不在なんて言われても関係ない!菊花賞を勝ったのはあたしだ!って胸を張って、その年の有馬記念も3着に大健闘して、春天で古馬混合で苛烈なデッドヒートの末に勝利して。
ようやく名実共に現役/世代最強!!を名乗れるかと思った直後に宝塚記念でマリアライトとドゥラメンテに負けて3着。
最強の称号の前にいつもドゥラメンテが立ちはだかる、それを再度目の当たりにした時、キタサンブラックが飲み下していた「主役不在の勝利」が胃の奥から逆流してくる方がキタサンブラックというキャラに共感というか、説得力が増すと思うんだよな。
で、「結局本当に強いウマ娘には私は勝てないのかな…?」ってなったところで有馬記念でのサトノダイヤモンドとの直接対決、そして敗北。
ヒビの入った自尊心を打ち砕く一撃で、バラバラになった自己をどう拾い集めるのか?ってなった時、史実を踏まえるなら「グランドスラムへの挑戦」に繋がるわけで。
もう他のウマ娘と馴れ合ってなんかいられない、ただの一度の戴冠も譲らない、それをさせないだけの実力があることを証明しなければならない。即ち、「最強の証明」への挑戦。
みたいな、もっと緊張感というか、背筋の凍るような寒気と腹の奥から湧き上がるような熱さのある物語が見たかったな〜、って感じ。
◼️ネームドキャラの扱い
そんで脇役がマジ脇役。名前があるだけのモブ。1億歩譲ってキタサンブラックと直接対決が(多分)ないヴィルシーナとヴィブロスが掘り下げのほぼないモブなのは妥協するとして。直接で何回か対戦があってキービジュアルにいるシュヴァルグランが10話時点でほぼネームドモブなのはどういうことなんだい?サウンズオブアースもトンチキなカノープスってこと以外掘り下げないし。何よりキタサンブラックと他のキャラへの絡みがマジ社交辞令か?ってくらい軽いし浅いから関係性が成立してない。職場の正社員とアルバイトくらいの距離感で会話してるだろこいつら。
なんやかんや、キタサンブラックとその他のキャラのコミュニケーションがバグを起こしてるせいで「みんなに応援される」「みんなの愛馬」という実感がまるで湧かない。これは監督のモブ芸が最悪の形で裏目に出てると思う。同じセリフ繰り返すばっかりのNPCにヨイショされてる様子をして「みんなに愛された」と表現するのは一種のグロよ。
◼️メリハリのないストーリーと紙芝居
で、ここまでの悪い点を振り返ると結果的に尺が足りないのが原因なのかな……?と思うじゃん。だってキタサンブラックは5歳までフルで走ってて20戦12勝GⅠ・7勝。ドゥラメンテにわからされた3戦とサトノダイヤモンドに分からされた有馬、グラスラ中の負けを描くなら更に2戦……と考えると描く必要のあるレースは実に13戦。2期がレースとしてしっかり描写されたのはダービー、大阪杯、春天、オールカマー、有馬×1.5と考えると、2期の倍近く描写しなければならないという話になる。
そこに他のウマ娘との関係性まで盛り込んで、となると少なくとも25話は欲しい、って話になるわけでまあ多少は端折られても仕方ないのかな……と思ってたんだけど。
10話の前半の学祭パートいらんやろ絶対。しかもセリフもなくほぼ紙芝居のぼさーっとしたシーンが結構長いこと続くし。セリフのあるシーンも誰がレースに出る、出ないの説明くらいしかしないし。そんなシーン入れる時間あったらヴィブロスがGⅠ勝って色んな人にチヤホヤされてるのを見ながらパーティ会場の片隅で肩身狭そうにしてるシュヴァルグランのシーンでも入れたらよかったやん。むしろキタサンブラック、シュヴァルグランのこと「誰?」って距離でよかったんと違う?
前年のエリザベス女王杯勝ってるマリアライトが「誰!?」宝塚記念で9着のシュヴァルグラン(主な勝ち鞍:阪神大賞典、AR共和国杯)の方が割と「誰?」だと思うんだよな。それまで対戦経験も無かったわけだし……。
その辺の「メインキャラとモブキャラの線引き」が、脚本や監督の意図するほど書き分けられてない現状で、モブとモブまがいの脇役とネームドモブが入り混じるだけの日常パートがマジ虚無。そんな時間あったらレースシーンを描け!前半と後半で1レースずつやって視聴者にも古馬三冠のスケジュールのキツさを叩きつけろ!!
毎回「前半はゆるい日常パート」「後半レースシーン」「結果を受けてのキタサンブラックのお言葉」っていう流れを繰り返してるからシンプルに飽きる。
物語のメリハリを1話の中でつけることを意識してるのかもしれんが、毎回同じ展開の繰り返しは結局見てる側の感情の最高値と最低値の振れ幅が一定を超えんから1クール通して見た時に単調な物語にしかならんのよ。
2期を見ろ、最低値を振り切るために費やされた9話「ストップウォッチ」を。
◼️偉大すぎた2期
そう考えると、むしろウマ娘2期の出来が良すぎたんだよな。完璧な掴みの「第一話 トウカイテイオー」に始まり、2話の「言わせない言わせない言わせない!『トウカイテイオーが出ていれば』なんて絶対言わせない!!」でいきなり涙腺を破壊し。叶わなかった無敗の三冠から、無敗に夢を変えたのにマックイーンとの直接対決で「不可能」を叩きつけられ心と足の骨を折られ。その強いマックイーンを下すことになるライスシャワーと、人気馬と対抗馬の格差やそれに挑む気高さ、勝つことの正しさを描き。トウカイテイオー3度目の骨折でまたかい!とならず、骨折の回数が増えるたびにテイオーが立ち直るまでにかかる時間も、レースに復帰するまでの時間も伸びて、その分絶望も深まる。そしてとうとう完全に折れるところまでいってからの、再起の理由。
2期は物語1話1話の完成度もさることながら、全話を通して見た時にも緩急がしっかり付いてるし、物語が一歩一歩進んでいってるんだよな。トウカイテイオーは成長し、他のウマ娘たちはそのトウカイテイオーの歩みを見ている。
トウカイテイオーはキタサンブラックのように一人一人を覚えて手を差し伸べたりはしない(例:ダブルジェット)が、挫折や絶望に何度も抗い、立ち向かい、乗り越えてきた姿を他のウマ娘たちは見ている。
それは、まるで流星のように、鮮やかに光り輝いて見えるだろう。
星はその身を燃やしながら、墜落するその日まで空を駆けているのだとしても。
絶望に俯かず、希望を探して空を見上げる者たちに勇気の火を灯すように、希望の星は地の果てまでを駆けていく。見上げる者たちはそれに夢を賭ける。
競馬や競走馬たちへのラブコールのような、ウマ娘というプロジェクトはどうやら2期で燃え尽きてしまったらしい。
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