医薬品における残留溶媒について

探索研究を通じて、化合物の構造最適化が進行すると、バルク合成(パウダー合成)の必要性が生じる。探索研究においてバルク体は、in vivo 薬効薬理試験、PK試験、毒性試験など様々な用途で用いられる。バルク合成で準備する化合物の純度は、SAR探索の際に許容されるものより、さらに高水準のものが求められる。もし、毒性試験に用いたバルク体の中に "何らかの不純物" が混じっていて、それが原因で毒性が発現した場合、プロジェクト全体を大きくミスリードすることになる。

毒性試験の結果はプロジェクトの進退に関わることが多い。バルク体に含まれる不純物の分析は、非常に重要である。

本エントリーでは、ICH によって規定される「医薬品の残留溶媒」について述べる。

通常の有機合成は溶液中で行うわけだが、溶媒によって毒性は大きく異なる。要するに、「より毒性の少ない有機溶媒を積極的に使いましょう」という話である。これはグリーンケミストリーの観点でも、一つの基本的な提言であると言える。

現行のガイドラインについては、医薬品医療機器総合機構のHPで確認できる。

ガイドライン / 医薬品医療機器総合機構

不純物に関する規定は、以下で確認できる。

ICH-Q3 不純物 / 医薬品医療機器総合機構

本エントリーでは、Q3C で規定される残留溶媒ガイドラインについて述べる。

医薬品の残留溶媒ガイドラインについて (Q3C, 1998.3.30)

■ 溶媒の分類

有機溶媒によって、人体に対する毒性が高いもの、低いものとがある。

・クラス1の溶媒(医薬品の製造において使用を避けるべき溶媒)

『ヒトにおける発がん性が知られている溶媒,ヒトにおける発がん性が強く疑われる溶媒及び環境に有害な影響を及ぼす溶媒』

クラス1には、人における発がん性が知られている溶媒が分類される。候補化合物のバルク合成において用いないのはもちろん、通常の有機合成研究においても、特別な事情がない限りは、避けられるべき溶媒群である。

・クラス2の溶媒(医薬品中の残留量を規制すべき溶媒)

『遺伝毒性は示さないが動物実験で発がん性を示した溶媒,神経毒性や催奇形性等発がん性以外の不可逆的な毒性を示した溶媒及び,その他の重大ではあるが可逆的な毒性が疑われる溶媒』

クラス2には、実験動物において発がん性を示した溶媒、毒性を示した溶媒等が分類される。ここには、有機合成において常用される有機溶媒も多数含まれている。化合物の大スケール合成の際は、ここに記される溶媒は可能な限り避けて、後述するクラス3の有機溶媒に代替することが望ましい。

(毒性試験に用いるサンプルの場合などは、特に注意する必要がある)

ICH ではPDE値 (Permitted Daily Exposure) を基準に、クラス2とクラス3の有機溶媒を分類している。

※2002.12.25の「医薬品の残留溶媒ガイドラインの改正」にて、
 テトラヒドロフラン (THF) をクラス2に分類することが勧告されている。
 → Q3C(M)
※2011.2.21の「医薬品の残留溶媒ガイドラインの改正」にて、
 クメンをクラス2に分類することが勧告されている。
 → Q3C(R5)
※2018.7.19の「医薬品の残留溶媒ガイドラインの改正」にて、
 メチルイソブチルケトンをクラス2に分類することが勧告されている。
 → Q3C(R6)
※2021.8.13の「医薬品の残留溶媒ガイドラインの改正」にて、
 CPMEをクラス2に分類することが勧告されている。
 → Q3C(R8)
※2021.8.13の「医薬品の残留溶媒ガイドラインの改正」にて、
 tert-ブチルアルコールをクラス2に分類することが勧告されている。
 → Q3C(R8)

・クラス3の溶媒(低毒性の溶媒)

『ヒトに対して低毒性と考えられる溶媒。健康上の理由からは曝露限度値の設定は必要ない。クラス3の溶媒は,50 mg/day 以上の PDE 値を持つものである』

人に対して低毒性と考えられている溶媒群で、曝露限度値の設定は必要ないとされる。医薬品探索でバルク合成を行う際は、クラス3の溶媒群を積極的に用いるべきである。仮に、SAR探索における化合物合成を、クラス2の溶媒で行っていたとしても、代替が可能ならば検討すべきである。

ただ、以下の記述にもあるように、基準を鵜呑みにすることは禁物である。

『クラス3の溶媒の多くについては, 長期毒性試験又は発がん性試験が行われていない。現在入手可能なデータによれば,これらの溶媒は急性毒性試験又は,短期毒性試験において低毒性であり,遺伝毒性試験においても陰性である。これらの溶媒の残留量が,50mg/day以下であれば,その妥当性についての理由を示さなくても許容される。』

自然科学は経験の蓄積により発展している。新しい事実が後から見つかることもある。基準を盲信するのではなく、判断材料の一つとして活用すべきであろう。

※2002.12.25の「医薬品の残留溶媒ガイドラインの改正」にて、
 テトラヒドロフラン (THF) をクラス2に分類することが勧告されている。
 → Q3C(M)
※2018.7.19の「医薬品の残留溶媒ガイドラインの改正」にて、
 トリエチルアミンをクラス3に分類することが勧告されている。
 → Q3C(R6)
※2018.7.19の「医薬品の残留溶媒ガイドラインの改正」にて、
 メチルイソブチルケトンをクラス2に分類することが勧告されている。
 → Q3C(R6)
※2021.8.13の「医薬品の残留溶媒ガイドラインの改正」にて、
 2-MTHFをクラス3に分類することが勧告されている。
 → Q3C(R8)

・その他(適当な毒性データが見当たらない溶媒)

■PDE値の定義について

クラス3の溶媒に分類されるためには、PDE値が 50 mg/day 以上である必要がある。PDE値は、動物実験における最大無作用量(NOEL)又は最小作用量(LOEL)から導かれる。一般的には、NOEL から求めることが推奨されている。

F1 = 種間で外挿を行うための係数

ラットからヒトへの外挿: F1 = 5
マウスからヒトへの外挿: F1 = 12
イヌからヒトへの外挿: F1 = 2
ウサギからヒトへの外挿: F1= 2.5
サルからヒトへの外挿: F1= 5
その他の動物からヒトへの外挿: F1=10

F2 = 個人間のばらつきを考慮した係数

F2 = 10

F3 = 毒性試験の期間が短い場合に適用する変数

少なくとも半生涯の試験: F3= 1
(げっ歯類又はウサギでは1年,ネコ,イヌ及びサルでは7年)

器官形成の全期間を試験期間に含む生殖毒性試験: F3 = 1
げっ歯類の6ヵ月の試験又は非げっ歯類の3年半の試験: F3 = 2
げっ歯類の3ヵ月の試験又は非げっ歯類の2年の試験 F3 = 5
より短期の試験: F3 = 10

F4 = 重篤な毒性,例えば,遺伝毒性を伴わない発がん性,神経毒性又は催奇形性の場合に適用される係数。

生殖毒性の場合には,下記の係数が用いられる。

母体毒性を伴う胎児毒性: F4 = 1
母体毒性を伴わない胎児毒性: F4 = 5
母体毒性を伴う催奇形性: F4 = 5
母体毒性を伴わない催奇形性: F4 = 10

F5 = NOEL が得られていない場合に適用する変数。LOEL しか得られない場合には,10までの係数を毒性の重篤度に応じて用いる。

【計算例】

マウスを用いたアセトニトリルの毒性試験(医薬品医療機器総合機構の資料より)

NOEL = 50.7 mg/kg/day (実験データ)

マウスからヒトへの外挿
→ F1 = 12

個体差
→ F2 = 10

試験期間が13週間
→ F3 = 5

重篤な毒性が見られなかった
→ F4 = 1

NOEL が得られている
→ F5

以上より、アセトニトリルのPDE値を体重 50 kg で計算すると、

となる。

アセトニトリルのPDE値は、4.22 mg/day であり、基準値である 50 mg/day を下回る。したがって、クラス2の溶媒として分類される。


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