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人工知能が人間の感情や思想の領域にまで踏み込もうとしている件について。


※自分は反体制側の人間ではありません。

NECの未来創造計画、政府主導ムーンショット目標など、AIが人間の感情や思想の領域にまで踏み込もうとする計画が表立ってきた。

 一例を挙げるなら、共感性、創造性を高めるためのサポートをし、人としてあるべき姿や、美しさとはなんなのかを教えてきたり、自分に向いていることや、夢を提案してきたりするらしい。

 そして人々が、感覚を共有し心を一つにすれば、人の痛みがわかるようになるから、世の中が良くなる。といった発想のようだ。
 とにかく耳触りだけは凄まじくいい。

 AIによるサポートを、望む望まないの自由は与えられるという建前だが、人類の感覚の共鳴と統合が前提の計画であり、かつ政府が、前時代的価値観に対する、破壊的イノベーションとまで謳っているのだから、それを望まない者の肩身の狭さや生きづらさといったら、悲惨なものになるだろう。つまりどちらに転んでも、個人の尊厳の自由なんて無くなってしまうのだ。

 表向きは、答えを選択するのは人間だとも言っているが、選択肢をAIに与えられている時点で、導き出される答えの自由なんて、あってないようなものだ。

  NECに至っては、あくまで一例としてではあるが、奥さんが怒っている理由をセンシング(解析、数値化)したいとまで言っている。
 私の感覚だと、なぜその必要があるのかが全くわからないし、仮にそんなことをしたら、奥さんが余計怒る気がするのだが、具体的にその発想の何がおかしくて、何を嫌だと感じるのかを、いきなり説明しろと言われても、なかなか難しい。

 だから私は、今からそれらに対する疑念や違和感、この計画によって生じる、決定的な過ちについて説明し、AIによる思想介入計画に対抗する主張を行う。


★これから話す内容は、NEC主催【未来創造計画】の理念に対し、意見を述べたものであり、実際に私が、意見としてNECに送信したものです。

 一文一文を見ると、感情的なようにも見受けられる文章ですが、全体を見ると、きちんと構造化されているものです。

 この文章は、今後、人間の心の領域に侵入することを、試みてくるであろう人工知能から、人間の尊厳を守るため、日本語言語により構築された、
『意見書に見せかけた、強力なAI撃退プログラム』です。

以下本文。

 【NEC様】(挨拶部割愛。誤字脱字、一部修正済。)

 
 環境問題対策や製品の品質管理、医療や福祉分野にAIを用いたり、通貨処理にブロックチェーン技術を用いたりするようなインフラ整備案には、AI利用の有用性を感じますが、人間の思想や感情の領域にまでAIを踏み込ませることに、私は反対です。
 
 人間の至らなさを科学技術で補って、想像する力や、人生の感動や喜びは、どこから生まれるのでしょうか。
 夢を見るために、やりたいこと、向いていることを、過保護にご提案、お膳立てまでしてもらって、それって夢でしょうか。
 夢というものは、それぞれが自分で勝手に見つけるものだと思っていました。
 
 人生とは、思い通りにいかないなりに、なんとか生き抜いていく中で、自分というものの存在が、少しずつ形づいていくものなのだと思っています。
 
 そして、自分の人生はこれでよかったのかと、なんとも答えを出せないのも人生というものであるし、同時にそうする中で、何か大切なものの存在が見つかったりなんかして、思い通りに行かなかった人生のことすら、肯定しなければならなくなっていくような、私は、そういった不確定で何とも言えない曖昧な部分に、人生のドラマや感動が詰まっているのだと思います。それなのになぜ、AIなんかにその領域を明け渡さなければならないのでしょうか。
 AIが介入した所で、結果が不確定であることに変わりはないと思いますが、それならなおさら、心の領域にAIなんていなくていいです。状況がより良くなるようなこともありません。
今からその事実を説明します。

 
 目に見えないものに思いを巡らせる想像力がないのであれば、目に見えるようになる技術を手に入れた所で、相手のことなんて思いやれないと思います。
 なぜなら、まず第一に、何かしらの相手の思いや状況を可視化できた所で、可視化されたことによってもたらされる、新たな思いや現実が、結局そこには存在するはずだからです。
 例えば、NECさんが仰っていた様に、AIによって、苦労をした人としていない人を明確にしたとします。そうすると、仮にもその苦労をしていない人は、なんかよくわからない引け目の様なものを感じたりするでしょうし、苦労をした人にしても、引け目を与えたことや、同情を買ったことによって、居心地の悪さを覚えたりするかもしれません。
 
 そうした中で、AIによってもたらされた新たな苦労だって生まれてくるはずなので、それをまたAIでセンシングするのですか?つまりですね、いくらセンシングを行った所で、その行為によってもたらされた、新たな感情や状況がそこには存在しますので、どこまでいっても、センシングなんて、ただのAIの自己満足です。そして同時に、人間の想像力は失われていくことになるでしょう。AIから想像力を得ようとしたばかりに。
 
 そもそも、相手を丸裸にすることが思いやりだとは思いません。
 それこそ、知られたくない生い立ちや状況だって、人それぞれありますから、それら全てを暴いて、本当の正しさを決めましょう!なんてことをして、幸せになれるのは、Aiとサイコパスくらいではないでしょうか。
 かといって、センシングの範囲に適当な線引きを行ってしまうと、やはり自己主張の強い人達が有利になり、アンフェアなことに変わりはないですし、その中途半端な状況だと、結局取りこぼしは生じる上、かえって人生の選択の幅は狭まりますよね。

 そしてその中途半端な状況下における一番の問題点は、誰にも知られたくない傷を胸に抱いている人達ほど、取りこぼされてしまうということです。
 その上、不本意に定められた正しさの下で、救いの見えない不当な評価まで受けることになるので、本来救われるべき人達の状況が今より更に悪化します(少なくとも精神面でかなり)。

 もし仮に全員が、胸の内にある不幸を、第三者的存在のAi相手に、ブロックチェーン技術の秘匿性をもって、判断材料として伝達したと考えるにしても、結局その情報は、あらゆる生活インフラに反映されていくわけですから、先ほど言いました通り、そこにまた新たな心的利害や格差が生じるだけです。

 なぜなら、人間社会の"感情領域"において「最適化」された状態なんて幻想だからです。社会という場所には、自分だって本当は!環境があれば!何であいつばかり!俺だって苦しいはずなのに!そんな感情が常に蠢いているからです。
 だからそれをAiに管理させようとしているのだと思いますが、そんなことをしても人間の感情を変えられるわけではないですし、変えられるくらい感情を支配されてしまう社会に、人間が生きる希望なんてありません。
 
 つまり、みんなそれぞれ事情はあるよねと、時に必要以上に知りすぎることもなく、相手との関わり方を模索していく人間の営みの中において、AIに生き方や考え方を教えてもらう筋合いはないですし、選択肢すら用意してもらう必要はないです。
 
 NECさんが例え話で、奥さんが怒っている理由をセンシングしたいと仰っておりましたが、仮にそれを実行できたとしても、奥さんは余計怒るだけだと思いますし、いくら例え話にせよ、全く求められる道理のないことを例えに用いている時点で、AIの必要性に対する認識に問題を感じます。

 そこにある感情の機微にしても、取りこぼしがあっても無くても問題になり得ます。なぜなら、知らなくていいこともあるし、知らないのに知ったつもりになってしまうのも問題だからです。そしてそこの判断にも、当然、AIは必要ないです。
 
 農家や製品の生産者さんの「思い」を可視化するという案に関しては、「思い」とは言っても、工程などの数値化できる要素も多いですし、実際に不誠実な業者も多いですし、地球環境にも関わることですので、検討する余地はあると思います。

 そしてこれは、貧困などを肯定しているわけではありませんが、無いなら無いなりに、工夫とか発想力とか情熱とか哀愁とか、えも言われぬ底力のようなもの達が、そこにはあるわけでして、そういう所から文化は生まれてきたのも事実ですし、実際のところ、お膳立てなんかしたところで、やらない人間はやらないですし、やる人間は、何もないところからでもやりますので、人間ってそういうもんなんだなあ、で良くないですか。
 
 革新って、本質的には、言うほど人間の幸せまでを革新できるものではありません。
 すでに文明は十分発達して、世の中は便利になったはずなのに、胸を張って幸せだと言える人って、そんなに多くは無いと思います。
貨幣制度を改めたって、お悩みを聞いてくれるロボットが現れたって、それらのおかげで社会から悲しみは消えることはないと思います。
 
 なぜなら幸せなんて、本質的な部分では、社会構造の中から探すものでは無くて、人間や個人としての誇りが守られ、それぞれが、自分の人生に納得できるかどうかで決まると思うからです。
 
 お金や何か突出した才能がなくても、なんだかんだ幸せな人は沢山いると思いますし、逆も然りで、それが証拠です。文明が発達していない昔の人達が不幸だったかといえば、そんなことはないと思いますし。
 
 つまり結論として、僕がお伝えしたいことは、それが幸にせよ不幸にせよ、人間がその自分の人生と向き合うための領域だけは、絶対に守られていなければならないということです。いくらそれが非合理的だったとしても。
 
 心の中にAIが入ってくるとか、人間の存在意義は、AIの承認欲求を満たすためにあるわけではないのです。
 
現在どの程度、方針が纏まっている段階なのかはわかりませんが、
インフラ整備にだけAIを活用して、人間の感情の領域にまで、AIを踏み込ませないという結論に至ることを期待します。
 生活に余裕ができて、人々の心に余裕ができるくらいが丁度いいと思っています。
 
 ですから、思想や感情の分野において、わざわざ人間とAIの存在をすり合わせようとする前提で、議論が行われていること自体が、おかしな話だと思います。
 おそらく、存在し得ない未来に、幻想を抱いているだけです。
 
 平和を願うがゆえの気持ちとしては、わからなくは無いですが、人間の思想や感情にAIを踏み込ませ、人間の幸せをつくろうとする発想は、例えるなら、
 人を生かしながら殺せと言っているくらい、原理的に破綻しています。AIに人間の幸福を委ねたところで、思った通りにはならないと思います。
 
 ですからNECさんには「実現すべき未来像」と「解決すべき課題」の他に
「実現すべきではない未来」についても考えて頂きたいです。
 
 人類を月に運ぶロケットにせよ、インターネットにせよ、スマートフォンにせよ、今までの革新というのは、どんなに便利であっても、あくまでツールであったから、人間や社会と共存してこられたのであって、人間の感情や尊厳の部分にまで踏み込んでくる革新は、ただの不毛な越権行為だと思います。
 
 有識者という方々が、歴史に爪痕を残したいがために、価値観や生き方にまで踏み込んでくるような現実に私は辟易としています。
 ネットワークの構築や、製品の開発など、インフラ整備に関しては、感謝してもしきれませんが、最低限生命を維持できるようになった現代先進国社会において、必要以上の社会構造の革新は、必ずしも人間の幸せを創れるものではないと思います。
 感情にまで踏み込まれたら、拗れるだけです。


【用語】足るを知る...身分相応に満足することを知ること。

 
 AIを用い「足るを知る」を人間に学ばせたいとのことですが、
足るを知らない人間の行為によって、AIが生み出されるに至ったこの現実とは、どう向き合うつもりでしょうか。
要するに、もし「足るを知る」を肯定したいのであれば「AI」の存在は否定しなくてはなりません。なぜなら、人類文明の存在と、足るを知る行為って、絶対に相容れない概念だからです。 
 
 足るを知るという言葉は、あくまで自らを追求するためにある言葉であって、価値観を押し付けるために用いた瞬間に破綻します。どちらにも言えてしまうので。
 
 そこで中立性のあるAIを用いようという発想なのかもしれませんが、それをやってしまうと、人間の感情、思想、尊厳、自由、生きている意味そのものが脅かされるという話です。

 
 ですから結論として、もし、今後AIによって、人間の感情や尊厳の自由まで奪われてしまうのであれば、むしろ、足るを知るべきなのは、AIや、この計画の関係者の方々だということになります。
 
 人間は、AIに幸せにしてもらうために、生まれてきたわけではありません。
 人間が存在する意味や、存在そのものを否定したいのであれば、この計画に説明はつきますが、僕はその結果を望みません。
 
 正直、イノベーションを起こしたい有識者の方々の欲望が先行しているだけで、大義なんてただの後付けにしか見えないです。
 
 
以上 2022.3.26送信済
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