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忘れたことと忘れられないこと

年に一度の検診を受けに乳腺外科に出かけた。
会社の健康診断でひっかかって通うようになったので、働いていた職場からものすごく近いところにある。

検診を受けるだけで憂鬱だというのに、職場の人がうろうろしていて出くわさないか、無駄に神経を使うので、今となってはもう少し別の病院にしておけばよかったと思う。
ぱっと見あまり変わらない景色、でもお店が入れ替わったりして、なんとなく変わったその町を歩きながら、あの時も辞めたかったけどほんの数年で本当に辞めることになると思ってなかったから仕方がないな、と考えていた。
そもそも、「乳腺外科」がこんなに近くにあるなんてラッキー!と思っていたんだから(当時の自宅近くにはなかった、今もそうだけど)。

検査に診察を受けて(といっても超音波だけだったのでほんの僅かの時間で終わるし、きっちり予約管理がされているので非常にスムーズな病院)、会計して、予定していた通りお気に入りだった蕎麦屋に向かった。

職場の事務所が移転したのは、私が休職から復帰して1年ほど後のことで、その時にはほぼ在宅で仕事、出社するのは週に1、2度だった。
それでも出社後に後輩たちと飲みに出かけることもあって、その蕎麦屋は私が好きなのでよくリクエストして行ったものだ。
昼の時間帯に行くようになったのは、辞めた後のことだ。つまり、検診を受けに行ってそのあとに寄るようになった。
今当時の後輩たちもほとんどが辞めてしまったと風の噂で聞くので、まあ、顔を合わせることもないだろう。昼には来ないだろうし。来ててもいいけど。

昨日のnoteを書いている時に、仕事で言われたあれこれ、起こった出来事は、もう大方忘れてしまったと思い至って、びっくりした(公開した後に少し手直しして追記した)。
一昨年は確実に、昨年もまだおそらくは、ずっと重い気持ちとドロドロした何かと一緒に覚えていた気がするのだが、今はあんまりその実感がわかない。
「あった」という記憶だけが残っている。
代わりに、成し遂げたことも、認めてもらったことも、自信として持っていた何かも同じように何かどこか実感がなくなってしまっている。

社長や上司に言われてキツかったこと、仲が悪かった先輩のこと、褒められてるんだか貶されてるんだかわからなかったなにかの折の表彰……あんなに忘れないと思っていたはずなのに、繰り返し繰り返し望もうと望むまいと頭の中で再生されていた記憶と感情が、どこかへ行ってしまっている。

もしかしたら、そういう心持になれたから、忘れることができたら、そろそろ社会復帰したいなー、アウトプットしてみようと思えるようになったのかもしれない。
十分恨みつらみが入っている気もしないでもないが、それだけではない何かと向きあうことができる気持ちになっているというか。

「恨みつらみ」とはいうものの、私は一度だってあの会社に入社したことを後悔したことはない。それは、辞める時にも言ったし、辞める前にも何度も思っていた。
どんなにしんどくても、人として嫌いだった同僚は数えるほど(避けていたからあんまり私の人生には関係ないと自信を持って言える)だし、今現代からすれば働きすぎのワーカホリックだったかもしれないが、それがなければ、未経験からある程度認めてもらえるレベルの業務系プログラマにはなれなかっただろう。

努力した自信があるし、頼られていた自負もあるし(頼られすぎて倒れたんだけど)、いや、頑張ったと思う。
だから最初は体調に出たとはいっても、どんどん歯車がかみ合わなくなって、精神的に追い詰められて爆発して、それでもまだ辞めないで働いていた。

転職は考えなくもなかったが、生来面倒くさがりなので、履歴書を書くことと面接を受けることがしんどすぎて、そこまでエネルギーが残らなかった。
今も残ってないからこんなグズグズなんだけどさあぁ。
でも、そういうふうに「なった」のは私で、そういうふうになるまで続けたのも私で、それを会社のせいにしたことはない。
感謝をしているかというと別に感謝まではしていないけど。
個人的に感謝をしている先輩や上司はいても、会社は基本的に嫌だった。会社は嫌いだよ。人は好きだよ。そういう感じ。

それにプログラマという仕事は嫌いではなかった。なんでもできる気がしたし。貢献していると思っていたし。
まあ、それも倒れる前までの信用信頼を食いつぶしていただけだということもわかっているけど。

辞めた経緯は今でも覚えている。
覚えているけど、やっぱりドロドロした気持ちは薄れてしまった。
人間、つらいことは忘れないと生きていけないからね。忘れた方がいい。
休職をした前後のことも、具体的なきっかけの一つとか二つは覚えているけど、あれもこれもそれも!!!とカウンセラーさんに吐き出していたものはどうも詳しく思い出せない。
健全なような、また繰り返してしまうからメモしておいたほうがよかったような。でもやっぱり休職前後のことって、復帰して1年後、それこそ事務所の場所が変わって、今日行った町の空気を吸う頃には思い出せなくなっていて、やっぱりつらいことほど忘れるのが早いのかな、と思ったのを覚えている。今歩いている道の上で。

もちろん、人生の中において本当につらいことや悲しかったことで、忘れられていないこともあるけど、方向転換するときに「これは忘れとこうよ」と脳だか心だか何だか知らないけど、そういうものが判断して忘れさせてくれたことなら、無理に思い出すこともないなと思う。
それこそ水に流すように。
嫌だったことは嫌だったこととしてまた似たようなことが起きれば思い出して警戒はするだろう。時々は夢に見てうなされるぐらいなんだから。

やっぱりここのお蕎麦はおいしいなぁ、沁みるなあ、と蕎麦をすすりながら、そんなことを思った。
1年に1度じゃなくて、もう少し頻繁に来てもいいな、この蕎麦を食べに。だってこの味は他では食べられないし、忘れられないから。
ランチで食べるには若干高いけど。


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