見出し画像

消化と昇華

「とりあえず引っかかっていることを書きなぐったら、考えもまとまって何かすっきりするんじゃないか」という目論見が当たりすぎていて、ぐるぐる考えていたことを書いたら、それらについて思い悩むことがなくなっていた。

なんとも素晴らしいことではあるんだけど、……というわけでずっと何も書く気が起きない。
消化しようとしたら、昇華されちゃったみたいな。上手く言ったつもりではないけど。

去年なんか年末に駆け込みで、ぜーぜー言いながらもなんとか1本、ようやく書きあげられた程度だ。どういうことだ。

すっきりしたら、もっと建設的なことを書いたり、ゲームやったり本を読んだ感想ぶちまけたり、そういうことができるようになるはずだった……むしろそういった楽しいはずのことすら、何もできなくなっている。

無気力に拍車がかかっていないかね、と自問自答するまでもなくその通りで、じゃあどうすれば改善するのかという、そこがわからない。

別に書きたければ書く、書きたくなければ書かない、それで全然良いしそういうスタンスで居たいのは居たい。
ただこのままそうしていると、恒久的に書かないという恐れがかなり現実味を帯びてくるので、とりあえず今回は「書きたい気分ではないけど、無理矢理書く」に挑戦してみている。

書こうと思っていたこと、というのはまだ確かにある。
ぐるぐるしているモノもそうだし、今までに書いてきたことで変化したことについては書きたいとは思っていた。

例えば、「エレクトーンのことは大切すぎて母にはまだ言えていない」ということとか。

あの当時はそうだったのだが、2022年の秋に(コロナ禍になって以来久しぶりに)帰省したときに、言えた。

私が構えていたほど強い反応はなかったし、かといって、買ったときに言っておいても大丈夫だったなと思うほどでもなかった。
拍子抜けはしたかな、そのぐらいには弱い反応だった。

思えば母はいつもイライラしていた。
体の痛みもそう(母は股関節が悪く私が大学生の時に2回手術をしており、それまではとにかく痛みで八つ当たりが酷かった)子育てもそう、彼女の両親の介護もそう。
いつだったかの帰省時に言い合いになったとき、「じゃあ私の愚痴は誰が聞いてくれるっていうの!」と言われたことは忘れられない。
まあ、娘としてはそんなことは知らんが……という感じではあるけど、父には言いたくない、Twitterみたいな吐き出す先もないとなったら、娘に言いたいとかはあるのかもしれない。まあ、知らんが(2回目)。

子供も手を離れ、看ていた両親も亡くなり、引退済みの夫と二人ゆっくり毎日を過ごし、多少そのイライラが軽減されたおかげだろうと思っている。
私に当たる必要がない。自由にしている私を羨む必要がない。

かといって、じゃあ前の通りに何でもかんでもまた伝えようとも思わなかった。
その必要が私にはもうない。
それが確認できて良かったなと思う。

……という話ぐらいは、書きたいなと思って時折頭をかすめてはいた。2年弱?長くない?
こうやって無理矢理書こうとしなければ、多分満足したまま、また書かないでいただろうと思うけど、やっぱり書いたら書いたでまた違う効果もあるかもしれない。
それは書かないとわからないことだから、書いてみて良かったなーと思えることを願っている。

消化して昇華されれば、また違う景色が見られるかもしれないし。
上手いこと言っ(以下略

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?