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「こんな自分」でも未来に希望が持てる方法

フォトグラファーのクロカワです。
コロナ自粛が明け、ハードな撮影をした結果12時間爆睡して尚疲れが取れずウーバーイーツでカレーを食べ、頭ボサボサでnoteを書いています。

千原徹也さんのnoteを読みまして、色々と感じることが多かったのでnoteを書き殴ろうと思いました。

もちろん詳細は千原さんのnoteを読んでください。
このnoteでは上記記事への言及はせず、また読まずとも理解できる内容になっています。ただただ、このnoteが僕の希望、心の栄養剤となり、疲れた体に活力がみなぎり、自身の文章もまた誰かの活力になり得るかもしれないと思い、noteを書いている次第です。

希望とはなにか

定義しようというわけじゃないですが僕が思う希望というのは、「XX年後の未来の可能性」みたいな、こうふわっとしたものです。

想像できるかどうか、とも言えますし、こんな未来もあるかも(あったかも)しれないと可能性を感じることでもあります。

そういった可能性(希望)を感じる上で、僕は今の自分を一旦頭から外します。自分のことなのに、自分は一旦置いておく。

そもそも自分というのは過去の積み重ねの結果の今の自分です。
希望という未来方向の考えをする歳は、変えることのない自身の過去を見つめても辛くなることが多いので、考えないようにしています。

抽象的に希望を掴む

今の自分は一旦置いておいて、じゃあ何を考えると希望が得られるのかというと「諸先輩方」ってやつです。

疲れたり閉塞感を感じた時は、4歳上だとか10歳上だとか、年齢的に上で活躍されている方の記事やSNSを見ます。
活躍の裏側には、その方々の過去の経歴や努力や実績が存在しているのは言うまでもないですが、細かいことは考えないです。疲れている時はそういう事を考えていると「自分なんて...」と凹みますから。

例えば10歳上の方の活躍やnoteを読んで、ただただシンプルに
「10年後にこういった活躍ができるかもしれない」
こう考えることが、僕の希望です。

裏を返せば年齢的な焦りや絶望を感じているのかもしれません。
もう35歳だとか、この先いつまでバリバリと働けるのだろう、とか。
加齢に絶望を感じやすいからこそ、希望を年齢的な諸先輩方に感じるようにしているとも言えます。

希望に関してはなるべく具体的に考えず、雲の隙間から薄く見える太陽光を見上げるくらいのイメージで。
目標ではなく、ただただ心の栄養剤として受け止める、そしてそれだけに留めるようにしています。

ただ、アクションを考える時や行動を決める時は、希望ベースではなく、具体的かつ半年〜1年先の短期的な目標をベースにしています。

希望はあくまでも心の栄養剤と捉えています。
一歩踏み出すきっかけであり、明日への活力。

僕が希望として見ている方々でいうと、おなじ写真関連の業界では濱田英明さんや黒田 明臣さん、もちろん他業種の方も目標や希望にしていて、今回だと千原徹也さん。なるべくいろいろな業種、さまざまな分野の人を見るようにしています。

僕自身も30歳を超えてから本格的に撮影を仕事とし、33歳の終わりに独立。今35歳に突入してあくせくと日々撮影のお仕事に勤しんでいます。

僕の様々な活動が、誰かの何年後かの希望になれたら幸いですが...
ぜひ今回ご紹介した記事や、諸先輩方の活躍を見て、読んで、「自分も何年後かは!」と希望として、心の栄養剤としてこの鬱々とした梅雨を乗り切っていただければと思います。

ではまた。

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