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バリ島のNGABEN火葬式

なぜ、インドネシアのバリ島に移住したか、というテーマで記事を書いたので、一部抜粋。
サムネの画像は、30年前のバリ島、バトゥブラン地区の火葬式。
現在もあまり変わっていないのが本当にビックリです。

世界的リゾート地として有名なバリ島は、インドネシアの一つの州です。
インドネシアは世界第4位の人口(2億3,764万人)を持ち、赤道にまたがる1万3千以上の島からなる大きな国で、バリ島はそのうちの島の一つで、人口は436万人ほど。
5,632平方キロメートルで、広さは和歌山県の1.2倍ほど。愛媛県と同じくらいの大きさで、結構広いのです。
バリ島民の39万2,400人ほどが、バリ・ヒンドゥー教の信徒で、これは世界最大のイスラム教徒人口を擁するインドネシアにおいては、1.6%程度になります。
インドネシアは、信仰の自由が保障されていますが、無神論は違法になります。ですので、国民は、イスラム教、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教、儒教、などのどれかに属して、それをアイデンティティーカードに表記しなければなりません。
私は、バリ人と結婚する時に、インドネシアの宗教省にて書類上、改宗の手続きをし、それからバリ島の地元の習慣・儀式により、バリ・ヒンドゥーのお坊さんと村役員立会いの下、ヒンドゥー教徒として結婚式を挙げました。
このように、インドネシアでは、宗教的生活が非常に重要です。

さて、私がなぜインドネシアのバリ島に移住したかというと、「結婚」によってです。そもそものきっかけは、大学生時代に初めて旅行で訪れたバリ島が楽しすぎて(今から30年ほど前です)、その後、何回も通うようになり、主人となる人と出会い、5年ほどの交際ののち、彼の家に嫁ぐこととなりました。
神戸市や大阪市の賑やかな都会で暮らしていた私が、なぜ南半球の、ほぼ赤道直下の小さな島に惹かれたのか。

それは、初めてのバリ島旅行で見た、「お葬式」と「結婚式」がきっかけでした。
バリ島では、公開火葬式、という珍しい形態で、亡くなった人を送ります。火葬式は、バリ人の通過儀礼の中で、最も大切な儀式と言っていいでしょう。村人、そして血縁者全員で、盛大に、賑やかに故人を天に送るのです。
その初バリ島旅行では、地元の方の結婚式とお葬式を二日連続で見に行く機会を得ました。結婚式は、友達になったバリ人に連れて行ってもらいましたが、火葬式は、「クリメーション・ツアー」という名前で旅行会社が見学ツアーを催行しているところが多く、それに参加してみたのです。

まず、ご遺族のお宅から始まり、そこから大勢の人たちと歩いて火葬場までご遺体を送っていき、広場のようなところで、火葬に付すのですが、儀式中には仮面舞踊あり、歌あり、大勢の人が歓談していたり、と、前日に見た結婚式と変わらぬ賑々しさ。
泣き暮れている人はパッと見た限りではおらず、皆さん、笑顔で晴れやかに故人を見送る、といった感じ。この時のバリ人の説明では、「お葬式というのは、人生の中で最も晴れやかで最も祝福されるべき儀式。いろいろあった人生から、この世から、無事旅立てておめでとう!っていう事なんですよ。」というもので、その言葉に、非常に衝撃を受けました。

その時の二十歳までの人生の中で、「死」というのは、怖いもので悲しいもので辛いもので忌むべきもの、という認識しかもっていなかったので、この、華やかと言っていいほどのバリ人の死生観に圧倒されました。

その後、バリ人の家庭に入って20年間、バリ人の冠婚葬祭にどっぷり浸かって生活してきた中で、大方の火葬式は故人の死後すぐに行われるものではないこと、なので、遺族の悲しみは時間の経過とともに、火葬式のころにはかなり薄れていること、バリ・ヒンドゥーの儀式の中で、歌舞音曲は欠かせないものであること、が分かってきましたが、「死を恐れない生活ができるんだ」という、最初のあの衝撃が、その後バリ島に惹かれ続け、通い続け、暮らすようになるまでの原因だったと思います。

以下に、バリの火葬式について以前に書いたもののリンクを貼っておきますので、興味のある方はご覧くださいませ。

NGABEN バリの火葬式

バリ人の、火葬式ではないお葬式。

NGABEN 主観的追記。



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