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小さな幸せ。

総武線に乗って水道橋(のホーム)。
オードリーのオールナイトニッポン15周年展に行くか、行かないかで迷っていた。
先日のオードリーのオールナイトニッポンin東京ドームではオープニングの「おともだち」で熱いものが込み上げ、チャリに乗ってる若林さんを見て溢れた。
「だせぇな!」
「ベタだな!」
俯瞰して見てるもう一人の自分にオートで突っ込まれた。
ただ、オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームの終演時には、謎の悔しさが込み上げた。

オードリーANNは普段から、特にここ数年の疲弊した心のオアシスとなっている番組。
麻布十番に19時集合で時刻は16時30分。
結局、時間潰しにもなるなと、改札をくぐり15周年展に向かった。
15周年展には、二方の私物に過去回の名言集、若林正恭ぶってる写真展、ウンコと書かれた春日の日本史の教科書などオードリーANNに関するものが沢山置かれていた。
一周し、これで1800円かよ。高えな!そう思った。

ただ、展示の中で一つだけ強烈な言葉があった。

「もう、どうしても今、幸せなんですけど。幸せじゃないと努力って人間できないんですかね。」

正しくは
「どうしても幸せなんですけど、やっぱり不幸じゃないと努力って出来ないんですかね?」
(社会人大学人見知り学部卒業見込み 若林正恭 著)

28歳の春日さんが放ったこの言葉が胸の奥にぐさっと。刺さった。というより抉った。

2012年12月8日放送のオードリーANN、または上記した本でこの春日の「生きるセンス」について語られているのでぜひ聴いてほしい、読んでほしい。

若林さんによると、
春日さんは生きる才能がある、生きるのに向いているという。

春日さんは、人と比べないという才能を持っている。
幸せすぎて努力ができない春日さん。嫌なことを覚えていない春日さん。
一方で、漫才師として、プレッシャー、ぎりぎりの精神状態であった当時の若林さん。

風呂なし、金がない、飯が食えない。
若林は不幸をクローズアップして自らを奮い立たせ、妬み嫉み恨み辛みの中もがきながらも前に進む。

ピノがおいしい、オムライスのおにぎりが割引されている、友達とゲームをしている。
春日さんは、嫌な思いは捨ててこの小さな幸せをつなげて生きている。

脱帽。
自分を心底愛しているから故に、
人と比べず、今の自分が感じる小さな幸せをエネルギーに生きるザ・春日のライフスキル。

僕は小さな幸せを感じながら生きていくことができない。
ひとと比べては劣等感に苦しむ。分かってはいても、この「比較」から逃げられない。
些細な出来事、一言に引っ張られたり、全く関係のない範囲にまでその妬み嫉みの矛先は向く。
比較して、それ以上の人間になることで自分を正当化しようともがく。
何もなし得ていないのに、立ち止まっている自分に苛立つ。進んだら進んだで、自分がどこに向かっているのか、本当の気持ちがわからなくなる。

15周年展を出て、麻布十番へ。
3月だが「新年会」と称し、ピザを食べるために僕含め3人が集まった。
彼らは僕にとっての「おともだち」といえる存在で居心地がいい。
アメフトの話、バスケの話、ラジオの話、マンガの話、基本的にプライベートな会話はしないのが僕らの会食の特徴だ。お互いに興味がないというより、プライベートな会話より娯楽について話すほうがシンプルに楽しい。心が軽くなる瞬間で、そんな中学から変わらないこの関係と時間が僕は好きだ。

肝心のピザに関して。いつも通りピザというよりピッツァで、味は確かだった。和牛(そぼろ)のピザ。
バカにしてたけど、うまかったなあ。
苦しいとは言え、ピッツァはうまい。

これが、この時間が小さな幸せなのは理解している。
ただ、この小さな幸せは刹那的もので自身の置かれた現状はなにも変わってないだろ。
またも、もう一人の自分に強めのツッコみを入れられた。

帰路につく新宿のホーム。
ひとりになると直ぐに我に返った。
きっちい。人生。
ホームに差し掛かるこの電車に飛び込めば全て終わるのかな。でもそれって人生に負けたと、認めることになるし、第一そんな勇気ない。電車に飛び込んで死にゆく人って、どんな気持ちなんだろうか。電車に轢かれ死ぬことほど迷惑な死に方はない。だけど、それでも轢かれ死ぬ人は苦しくて、苦しくて自分が轢かれ死んだ後のことなんて何も考えられないんだろうな。
いや、そもそも、電車に轢かれて死ぬような奴は大した覚悟も責任も努力もしちゃいないだろ。死んで逃げるなバカが。お前は電車に轢かれ死ぬような人たちを基本的に見下してきただろ。
人に迷惑かける死に方だけはダメです。


満員電車。閉鎖感。暑さで気持ちが悪い。
特に今日は押しつぶされそうな感覚で、呼吸が苦しい。
来年は、4月になったら、なんなら来週どうする?
電車に限らず、何気ない未来に対しての会話を聞くと最近は苦しくてたまらない。
想像していた25歳と現実のギャップは凄まじいもので、今まで積み重ねてきたものが無意味かのように自分の身、特に心に降りかかる。
競技をしたい自分と、競技から離れることを勧めてくる自分。どちらも、自分自身ではあるものの答えは一向に出ない。競技との決別を確実なものとするためのN社をはじめとした就職活動。受かっててくれ!と思いつつも受かったら終わるのか。面倒くさい自分、諦めの悪い自分、逃げたい自分。
何回同じこと書くんだよ!って言われるかもしれないけど、僕の頭の中では一日のほとんどの時間でぐるぐるとお前の本当の気持ちはどっちだよ、この問いが今日も頭を駆け巡る。

小さな幸せを1日3つずつ書く。
若林さんが阿佐ヶ谷、高円寺、線路沿いを彷徨い続けた時代にやってた、劣等感への対処法。
試してみようと思う。

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