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自己紹介

はじめまして、choco...と申します。
私は東京生まれのいろんなとこ育ちです。
東京赤坂山王病院で産声をあげたらしいです。縁とゆかりはございやせん。
今まで様々なところでぬくぬくと育ってきました。


生後10カ月から3歳半まで父の転勤で香港へ。
思い出す記憶といえば、当時飼っていたチャウチャウと家中に水と洗剤を撒き散らしてスケートリンクを作ったこと。
年末年始特番の「芸人ぬるぬるローションレース」ばりに2人で滑りまくっていたら、帰ってきた両親が発狂してました。

当時の私は英語と広東語が喋れたらしいです。
大好物はワニとカエルと牛乳。
なんやそれ、山犬にでも育てられたんか、自分。

いつか頭をぶつけた拍子にこの頃の脳みそに戻れないものだろうか、とずっと思ってきた。
そしたら英語なんて勉強しなくていいし、ついでに広東語喋れちゃう。トリリンガル素敵。
ワニが食べられなくて泣くかもしれないけど。


帰国後、小学4年までは兵庫県に住んだ。

総じて明るく活発で、机が常に廊下にあった。(とてもうるさかったので。)
前の扉から教室を覗く形で机が置かれたのだが、クラス全体が見えるし、先生を不思議なアングルから観察できるし割と気に入っていた。まさに特等席。

そんなけたたましい私が熱中したのが絵を描くことだった。
とにかく絵を書くことが好きで好きで、ジャングルジムから落ちて吐血してても(すべての段差に顎で受身をとった)、うんこ漏らしてズボンぱんぱんにしてても、図工の時間は絶対に休まなかった。



あるコンテストで私の書いた油絵が賞を頂き、上野美術館に展示されるということで、家族皆でそれを見に行った。
自分より大きなキャンバスが大人の目線に飾られていた。
すごい。これは芸術家になるしかないと確信したが、今現在芸術家にはなっていない。

小学4年の夏の日、横浜の祖父母へ会いに行こうと母に連れられ弟と3人、新幹線に乗った。
その日から関東での暮らしが始まった。


まず、転校先の小学校が全く馴染めずどうしていいか分からなかった。
小学生ながら歓迎されてない雰囲気も感じ取っていた。机も定位置だ。

そんなピンチを救ったのが課題図書であった「子犬の名はチロル」。
きっかけは忘れたが、このチロルの真似として犬の鳴き真似をしていたら、なんかウケたのである。
そこから全力で犬になりきった。


(これでなんとかなりそう、チロルに感謝だ。次犬を飼うときは絶対チロルにするっ!)


私のあだ名がチロルになった。(後にチョコへと変わった。)
山犬に育てられた私は、犬になった。


そんなこんなしてる間に引っ越しがまた何度かあり、転校生をやらしたら右に出るものはいないと思わせるほどに成長したころ、父から全寮制の学校へ行くようにと言われた。


千葉にあるミッション系の全寮制中学校に入学し、高校までをそこで過ごした。
マリア様の心がいかに広いかと、フランス国家を覚えた。

そうして今度は神奈川の大学へ行き、経営学を学んだ後に、ペット用の除菌消臭剤メーカーに就職。その後2度転職し、現在の兵庫にて家業を継いでいる最中となる。


これまでゆらゆらと川の流れに身を委ね、そうして放り出された大海で私はぷかぷか浮いていた。

自分で舵を取る為の脚力が欲しい。行く当てもない私に指針をー、ということで色々と勉強を始めることに。
せっかくだから記録しちゃおうということで、仲間と一緒にnoteに漂着したわけです。


主に経営学や理論、経営者のエッセイなどを読んで書き残していくつもりです。
マガジン『Stairs』にアップします。

でも記録って大事だと思う今日この頃。色々書いていきたい。
生暖かい目でどうか見てやってください。

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