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とりあえず謝る姿勢について

こんにちは。
突然ですが、先日、なんとなくYouTubeをさまよっていると、ある動画の終盤の一言に強い違和感を覚えました。
そして、その違和感が仕事中に感じていることと似ていることに気付き、「これってどうなの?」とモヤモヤ。

そんなモヤモヤを共有したく。

きっかけ

動画の内容はほとんど憶えていないのですが、確か、様々なハプニングシーンを切り取って集めたような動画だったような。
何気なく観ていた動画のラスト、テロップで表示された作者の言葉に「ん?」と眉をひそめたのです。

それは、

切り取りが雑でごめんなさい。

という言葉。

僕は「んんん?」と思いました。

そして、続けて思ったのは
「自覚しているなら、修正して動画を載せればよいのでは...?」

僕が言いたいのは、「雑な動画載せるな!視聴者の時間奪うんじゃねえ!」という変なクレイマーのようなことではなくて、笑
謝りさえすれば、「ええんやで」と他人に許してもらえることを期待しているのでは? ということです。
恐らく投稿者がした方が良かったことは、謝ることではなく、謝る必要のないように動画を再編集することだったのではないでしょうか。

この「ごめんなさい」が真剣に謝っているわけではないというか、お土産を渡しながら「つまらないものですが...」という、日本の謎のへりくだりの類のものだとも薄っすら分かっています。
しかし一方でやはり、動画のような成果物を誰かに見せるのならば、謝るならば何かするべきだとも思うのです。

そして、動画の終わりの言葉から連想したのは、仕事中に同期の発する言葉の数々でした。

過剰に謝罪する方がいる

社会人になり、4か月ちょっと。
ファッkピーーコロナの影響で、入社以来、リモート勤務が続いていますが、その中でも同期とチームを組み、活動することが増えてきました。
チームのメンバーはコロコロと変わり、様々な同期と組んできましたが、その中で度々耳にする言葉が次のようなもの。

「〇〇が出来なくてごめんなさい」
「チームに迷惑かけて申し訳ない」
「僕(私)のせいで...」

これらの言葉に、当初は「謝る必要なんかないで」と軽く受け流していたのですが、何度もなんども聞く度に「おいおい」という気持ちが強くなってきました。
YouTubeの動画に付いていた言葉と同じく、謝るのはちょっとした自己防衛に過ぎないのではないかと感じるのです。

ちょっと冷酷かもしれませんが...
どうして僕が謝罪を自己防衛だと思うのか、もう少しだけお付き合い下さい。

そもそも、謝る必要はない

チームで活動をしている以上、特定の個人の能力のせいで失敗することも、上手くいかないことも、まあ、ないかと存じます。
チームが失敗するのは、時間配分や作業前の準備が足りないことに起因し、個人の能力はあまり関係がないと僕は考えています。

そしてこれまでも、社会人一年目ながら、チームでデータ分析や書類の作成などに挑戦してきましたが、その中であまり満足のいく結果が得られなかったことが何度かありました。
その度、僕が感じるのは「〇〇さんのせいで...!」ではなく、「時間配分ミスったな」とか「あの作業を舐めてた」というチームとしての反省。
特定の個人に失敗の責任があると感じたことは、一度もありません。

しかし、その中でも、謝る方が出てきます。
「僕(私)のせいで...」と、自己申告する方がいらっしゃるのです。

僕は、それは違う、と思います。そもそも謝る必要はないはず。
まず、同期として同日にスタートを切り、一緒に(なかなかタフな)研修を受けてきたため、同期間の実力差はほとんどありません。
そりゃあ、学生時代の経験を活かせている方もいますが、ほとんどは研修を通して技術を身に着けていた方ばかり。

そんな中で、一人だけ極端にできないということは、まずありません。
そして、謝罪を受けた後も、その人に対して「確かに〇〇さんできなかったよな」と感じたことも一度もありません。

謝る必要があると感じているなら...

実力にほとんど差はないのだから、そもそも謝る必要はない、というのが僕の思うところ。
そして、もう一つ思うことは、謝らなきゃと感じているならば、それを払拭するくらい成果を出すよう行動すべきだということです。

体育会系っぽい考え方に聞こえるかもしれませんが、ちゃいます。笑

(そもそも感じる必要のないことですが、)もし仮に「自分のせいでチームがうまくいっていない」「成果が出ていない」と感じているならば、実行すべき行動は謝罪ではなく、チームの成果を上げるために自分のできる行動を模索することだと思うのです。

チーム作業で謝罪をする人の傾向として、あくまで大変個人的な意見ですが、「何をしたら良いのかわからない」という様子で作業時間を過ごしている方が見受けられます。
分担した作業が上手く行えずに困っている方も、作業が終わって次の作業を待っている方もいらっしゃいます。
が、それでも、助けが来るのを待っていたり、作業が割り当てられるのを待っていたりと、受動的な方がほとんどです。
僕は、自分から声を上げて積極的に何かを行うべきだと思います。
最後に謝るくらいなら。

人によって得意不得意があることは、否定しません。
が、不得意は少しも悪いことではなく、むしろ個性のようなもので、得意な何かでチームに貢献できる場面はあるはずです。
コードは書けないけどスライドは作れる、スライドは作れないけどリーダーシップは取れる、など。

作業を終えた後に謝るくらいなら、自分の得意な作業を進んで受け持ち、チームに対して何かを成し遂げたという自覚を持つべきなのです。
自分のせいでチームが...なんて否定的な考えを持っても、何ら良いことはありません。
自信を失うだけでなく、自身の行動の価値も過小評価してしまい、ますます何もできなくなってしまいます。

よって、チームで活動していく中で、自分から謝るという姿勢は、自信のない部分を他人から責められないように防衛しているだけに過ぎない、と思うようになりました。
自責の念を抱いているからこそ、これ以上責めないで、と守っているような。
言うつもりは端からありませんが、一旦謝られると、それ以上何も言えなくなりますので。

繰り返しになりますが、できないこと、苦手なことがあるのは仕方ないことですし、当然でもありますが、それならば、助けを求めたり他の得意な作業に力を注いだりと、やり方を変えるべきなのです。
それをせずに最後に「俺のせいでごめんね...」というのは、余りに情けないではありませんか。笑

このように思うようになって以来、同期が謝罪してきたときは、謝る必要なないから、とはっきりと伝えるようになりました。チームで活動している以上、チームの実績・成績であって、個人の成績ではない、と。

それでも延々と謝罪する同期がいまして...うーむ。難しいものです。

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