【エターナル】 受け継がれる想いは永遠に…
エターナル
実業之日本社 2020年11月6日発行(電子書籍版)
日野草(ひの そう)
この作品は、#読者による文学賞2020の推薦作品です。
私は二次選考を担当いたしましたので、読者による文学賞のHPに、読書感想文とはちょっと異なる「選評」なるものを書いております。
偉そうに書けるほど文学に精通しているわけではありませんが、そちらもリンクを貼っておきますので、読んでいただけるとありがたいです。
読者による文学賞のHPはこちらです。
いやぁ、これは大変な作品を読んでしまった感じがある。
この「読者による文学賞」は2020年で二回目なのですが、やはり参加をして良かったと、心から感じる作品に出会えました。
読書が好きな方が、その年度にお勧めしたい一冊を推薦してもらっているので、基本的に外れがほぼ無い文学賞だと思っています。
自分が全く知らなかった作者の作品を読み、その作品から感じる圧倒的な力を感じ、それは作品によって異なる力で、その力を持っているからこそ読み手に強い印象を与えてくる。日野先生の作品を読むのはこの「エターナル」が初めてなのですが、私が「エターナル」という作品から感じた印象は、
「清廉」
という言葉でした。
作品の紹介文には、「5つの時代をつなぐ、5組の優しい殺し屋たちが見守った殺意と命の物語。」と書かれています。
優しい殺し屋、というフレーズが、なんとも違和感を放っていますが、これは読めば解るやつ。まさしく優しい殺し屋としか表現できません。
とはいえ、そこは殺し屋。殺人の描写は当たり前ですが書かれています。
その描写を読み、その行為に至る行動を読んでもなお、やはり清廉さを感じます。
清廉という言葉と優しさという言葉では意味は異なりますが、共通項があるとすれば「心」につながる言葉であること。
殺し屋である以上は、殺人の依頼を受け、ターゲットを調査し、手を下す。その一連の流れの中にターゲットの人となりを知ることとなり、自分の心にある「葛藤や迷い」と折り合いをつけていく。
もちろん、心の折り合いをつけるのは殺し屋だけではなく、依頼者も同様。
この殺人に至る心の動き、人の行動、考え方。
読み応えがあります。
また、エターナルというタイトルの意味。
「永久の」とか「永遠の」という意味なのですが、なぜこのタイトルがつけられたのかについては、作品を読み進めていけば理解できます。
理解できるというか、登場人物の言葉を読んで、自然とそう思ったって感じかな。
もしくは、そうであってほしいという、希望かもしれない。
この作品は、多くを語ってしまうと魅力が半減してしまうと思います。
できれば、手にとって読んでいただきたい。
いろいろな小説の要素を、各章に詰め込んで贅沢に作られているにもかかわらず、読みにくさを感じさせないまま読み進めることができたのは、全体に共通して存在する思想、もしくはテーマのおかげ。
極上の小説、極上の読後感でした。
それでは、ここからは触れてこなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
久々にとても良質の小説を読んでしまったと感じる作品でした。
各章が独立した話しでありながら、共通するのは久遠という殺し屋とそのパートナーである朔が物語の中心となること。もちろん、それぞれ年代が異なるので同一人物ではないが、初代から受け継がれる想いは同一のもの。これにより、異なる話であっても一本のストーリーと感じてしまう。
第一話から第四話までは一話毎に時代が古くなっていき、第四話では久遠という存在が如何に誕生したのか、まで語られる。そこまで時代を巡っておいて、最終話である第五話は2040年という近未来に飛ぶ。そして、この近未来における設定が、現在の地続きになっていると思わせるほどに「予測できる未来」であることがいい。
一話目の2019年が、まさに現在と同じ時間軸であり、私たちが生きている世界に殺し屋というフィクションの世界の住人を登場させ、その異分子の違和感を際だたせる。そこから時代が遡っていくので、読み手は自分の生きている世界から離れていくにつれ、殺し屋という存在を容認していく。そして、久遠という存在が誕生となる第四話の1945年だ。
ここで、この物語を終える選択肢もあったかもしれない。「なるほど、この悲しくも強い者たちはこうして誕生したのか」と、読み手に思わせて終わることもできただろう。
それであれば、私はここまで感銘を受けることはなかったと思う。
しかし、この作品は一気に時代を進めて「エターナル」という、もっといえば久遠という名前の決着をつけるために第五話を用意したのではないか、そう感じる程に第五話でそれまでの久遠の想いをまとめてきた。そう、この第五話は、バラバラだった一話から四話の想いや繋がりを回収する話である。
第一話目は、ギフトというタイトル。
殺し屋、依頼人、ターゲットという関係を上手に組み合わせた短編ミステリーのような感じで楽しめました。この一話目で、2019年という、現代に近い時代設定の中に、殺し屋という設定を盛り込むことで、作品全体の方向性を示しながら、おおよその流れを作っているように感じました。
幼い頃に交通事故で家族を失った咲子を中心に物語は進んでいくが、序盤の時点でよもや咲子もまた犯人となりえる側面を持っていることに気がつけた方は、果たしてどれほどいらっしゃるのか。多くの読み手の方々は、咲子が情と憎悪の板挟みになりながらも、久遠への殺人依頼は撤回するのではないか、そんなふうに考えたのではないでしょうか。私はそれ以外に考えられなかった。
このあたりの展開は見事でしたし、ぐいぐいと引きつけて読ませる魅力があります。そんな見事な短編の中でも、第二話以降に続くように望と朔の関係性をさりげなく説明してくれる点もすばらしい。
ギフトというタイトルは、一見祖父から孫への復讐の選択肢をプレゼントしたようにも見えますが、実際には祖父から孫への愛情が贈り物だったのでしょう。
咲子の両親と妹は悲しい亡くなり方をしましたが、その事故に関わった人が、過去に引きずられることなく、未来に目を向けてほしいと祖父は考えていたのではないか。そうでなければ、すべての真実を知っていた祖父が、このような行動をとれるとは思えません。
そんな祖父の想いに気づき、想いを受けとった時点で、タイトルのギフトという言葉が強く響きます。
第二話目は、一話目から30年ほど時代を遡った1991年が舞台。
この短編は、子供の持つ無垢な自尊心とその熱量に惹かれてしまったことがきっかけとなった悲しいお話。
その子供たちにしか通用しないような出来事を、目撃者の通孝は大人まで持ち越してしまった。それがもたらした結末は、加害者と目撃者の間に存在する圧倒的な正反対の立場。
通孝はヒサが不幸になっていると信じており、自分がどのような立場になっていてもそう信じている。そうなることが当然と思っているし、それを信じることで精神のバランスを保っているように感じる。それはラストシーンのヒサとおばあさんの会話でも理解できる。
通孝はヒサを待っていた。自分が信じているように、不幸な境遇となりはてたヒサを。
そんな通孝の前に現れたのは、朔として過去を清算したヒサ。この朔=ヒサには、通孝がいくら過去を語っても伝わらない。朔は久遠として、現在を生きていたから。
通孝がヒサに固執しすぎたのだろう。ある程度でやめておけば、通孝はそれなりの成功を収めただろうし、ヒサは自ら罪を償い、心に闇を抱えたまま生きていたに違いない。それは、通孝がそうあってほしいと考えていたヒサそのものであっただろう。
久遠という希有な存在が、二人の一生を大きく変えてしまった。
一話目では、久遠という存在は家系、つまり親族に受け継がれるものと思わせておいて、二話目で早くもそれを打ち砕くのも面白い。二話目でそうなるからこそ、初代からの繋がりにも大きな楽しみができる。どのような系譜で、久遠は名前と技術を受け継いできたのか。そして、久遠の掟はどのように作られていったのか。
第三話のタイトルはホーム・スイート・ホーム。
物語の最後に、久遠が作中で口ずさんでいた曲のタイトルも同じタイトルです。
ちょっと気になって調べてみたのですが、モトリー・クルーというバンドが1985年に同名の曲をリリースしておりました。が、この三話目は1965年が舞台。うーん、20年も差があるということは、久遠が歌っていた曲はこれではないということか。このホーム・スイート・ホームという曲の原曲が気になります。
三話目は久遠の優しさに注目しました。
いや、人を殺しておいて優しさってのもちょっとおかしいかもしれませんが、そうとしか表現できないのです。
人生をドロップアウトしそうな青年に弟子入りを懇願され、おそらく最初から殺し屋にするつもりは無いのに、弟子として帯同させて、人生の厳しさや生きていく中で必要な信念、自分よりも大事な存在なんかを言葉にせずとも教えてくれる。
これは優しさ無しでは出来ない行動でしょう。
ラストシーンに至る仕掛け、そして一時は朔と呼ばれていた青年が英二に戻ることを決意させるラストシーンの会話が素晴らしい。
安心してタバコを吸うシーンなんかは、胸に熱いなにかを感じてしまいました。
第四話は1945年が舞台。いよいよ久遠誕生の話。
この1945年という年は、第二次世界大戦が終結した年。これ、作品とは何の関係も無いのですが、第二次世界大戦という大きな戦争が遠い昔の話ではなく、思っていたよりも近い年代だったことに驚きました。学校で習っていたはずなのに、何故今更そう感じたのか。不思議です。
四話目は久遠の原点の話でありながら、第五話につながる話でもありました。
この四話を読んでいた時点では想像すらできなかったのですが、なぜ原点の話の後に現代よりも未来の話を用意したのか。
伝えたい、書きたかったことがあるに違いありません。
第四話で特筆すべきところは、久遠という姓と望、朔という名前の意味を説明するところでしょう。殺し屋をするべき人間に、生命の誕生という行為を名前に込め、姓には人の苦しみを遠ざけることができるようにとの想いを込めた。ただの殺し屋という職業で終わらなかった久遠という存在の核となる部分。この四話目には、作品全体に影響するエピソードがありましたね。
そしていよいよ第五話。
私たちが生きている現代よりも20年先の未来が舞台。
子供の頃は20年先を想像すると、まるで別世界のようなよくわからないテクノロジーで支配された世界が描かれていました。
ある程度年齢を重ねると、どうしても常識というフィルターがかかってしまうので、現実的に成立しそうな風景しか描けません。
そういった意味では、第五話の世界観は非常に納得できました。
老人が過去を回顧するクラブ。
私、20年後にこんなクラブがあったら、間違いなく通いますよ?想像できましたもん。
いや、恐ろしいなぁ。。
初代から続いた久遠の物語も、ひとまず終わりです。おそらく、作中では描かれないだけで、この先も久遠の掟と想いは受け継がれていくのでしょう。
作者はこの第五話目までを書ききって何を言いたかったのか。
久遠(くどう)という名前は、久遠(くおん)とも読むことができる。「くおん」は「永遠」という意味を持つ言葉だが、同時に「遠い昔」という意味も持っている。
久遠の原点は、初恋の人を守ろうとしたこと。
その方法が殺人ではあったとしても、自分たちに掟を律し、決して感情で人を殺めず、その思いを未来に託していく。
それは、人は必ず終わりが存在するが、人の想いというものは継承する人さえいれば永遠の存在でいられる。そして、その想いというものは、はるか昔に存在した人の中で育まれたもの。
エターナルというタイトルには、そんな「人の想い」を忘れずに、そして未来の人にも届けてほしいとの意味がこめられているのかもしれない。そうなれば、各章のタイトルに使われた言葉にも意味が存在するかもしれない。
各章のタイトルを順に並べると、
ギフト
月が昇る
ホーム・スイート・ホーム
久しく、遠く
未来
となっていました。これは、
人の想いという贈り物を
月が毎晩昇るように蘇らせ
自分の場所を思い
いつまでも、どこまでも
はるか未来の世にも届けてほしい
と、読み替えることもできると思います。
こじつけですが、そこまで無茶なこじつけでもないと思ってます。
どうでしょうか?
サポートを頂けるような記事ではありませんが、もし、仮に、頂けるのであれば、新しい本を購入し、全力で感想文を書くので、よろしければ…