ボーズ・ミーツ・ガール 1 住職は異世界で破戒する オショウの尽くす生き様を見届けたい

読者による文学賞の二次選考 レビュー9冊目です

今回9冊目の本はこちらになります。

ボーズ・ミーツ・ガール 1 住職は異世界で破戒する
講談社 2019年12月5日 第1刷発行
鵜狩三善(うかり みつよし)

読みやすくて面白い、というエンタメ小説の見本みたいな作品です。
SFかなぁって思って読もうと思ってたんですけど、SFというか最近よくある異世界転生モノでした。副題をよく読んでいれば気づいていたでしょうが、全然気が付かなかったです。
本人が死に瀕した瞬間、異世界からの召喚に応え転生し、その世界を救うために行動する。設定自体はよくある異世界転生モノなのでしょうが、この作品は言葉の使い方や造語に関してのセンスが独特でオリジナリティーを感じさせてくれます。仏教に関係ありそうな、なさそうな、そんな絶妙な漢字を用いて、その漢字に「なるほど」と思わせる読み仮名をふっています。例えば、戦闘の前に行う構えに「金剛身法」と書いて「ゴンゲン・スタイル」と読ませる。全然読み方はあってないけど、なんとなくそう読めそうな気にしてしまう、この強引な説得力。
これ、好きな人はものすごく好きでしょうし、わからない人は何がなんだか、って感じでしょう。
私はこの感性、大好きです。
主人公は「テラのオショウ」という、地球では僧兵だった男。この男が召喚によって異世界転生するのですが、この男だけで世界を救うわけはありません。この作品のいいところは、脇を固めるキャラクターもまた、キャラがたってる方が多く、その方々でサイドストーリーを作ったとしても、長編もできそうなくらい設定もきっちり作られています。
もちろん、オショウの設定もきっちり作られています。最初は名前もなかったオショウ(HTF-OB-03というコードネームはあった)が、なぜ「テラのオショウ」を名乗ったか。そもそも、なぜオショウはコードネームで呼ばれていたのか。なぜオショウは召喚されることになったのか。
丁寧な作品です。このあたりがきっちり書かれているのは読んでいて気持ちいいですね。

この作品は、タイトルに「1」と書いてあるので、おそらく続巻がでるのでしょう。この作品だけでも、プロローグからエンディングまで派手な戦闘シーンがあり、仲間の活躍はあり、ピンチに陥り…。
この作品だけでも楽しめるのに、続巻ともなればどうなってしまうのか。いい意味で吹っ切れた作品だと思います。方向性を見失わず、小さくまとまることなく、このまま2巻、3巻と楽しませてほしいです。

そういえば、タイトルを見て「ボーイ・ミーツ・ガール」と読んでしまい、最初は「青春小説かな?」と考えてしまったことは内緒です。

それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。









本当に読みますか?ネタバレありですよ?


では、書いていきます。

主人公が強大な力をぶっぱなし、ランクの違う強さを見せつけて敵を圧倒する。
そんなよくありそうな設定ですが、ここまでキャラが作りこまれているとそれも爽快さに変わってしまう。そんな作品の一つですね。

私は基本的にハッピーエンドになる作品が好きです。感動ものや泣いてしまうような悲しい作品は読むのも見るのも苦手でして。そういった意味では、例え必然性があったとしても、活躍しているキャラクターが亡くなってしまうような物語はあまり読みたくありません。
で、この作品です。
いやー、安心して読めますね。オショウの圧倒的な強さはもちろん、脇を固める登場人物も圧倒的な強さ。
オショウを召喚した自分の命と引き換えに魔皇を倒せるほどの力を持つ女性、ケイト。
冷静な判断力と無慈悲に番える速射の弓を操る、ミカエラ。
常人を遥かに上回る霊素許容量で無詠唱術式を行う天才、セレスト。
召喚人の子孫であるクランベルの聖剣、カタナ。
これでも全員ではないところがすごい。なんなら各人が主人公を張れるような強さなんですよね。

敵の設定も、これまたいいのです。
数十年から数百年に一度という長いスパンで誕生する災いの主、魔皇。
魔皇に従う直属の将である、五王六武。
この魔皇と五王六武がただの敵なら、私もここまでこの作品を好きにならなかったかもしれません。
この敵将に与えられた設定は「干渉拒絶」と呼ばれる能力。戦いの前に、相手に自分の能力を宣誓することで、自分への攻撃を縛り、無効化する。
この設定すごくないですか?
RPG等のボスキャラだと、攻撃の種類に応じて有効・無効が決められています。戦いの前に情報を仕入れ、自分の能力と相手の性質から有効打を探し出す。これはゲームだからこそ成り立つ設定なのですが、それを小説に落とし込む際に使われた方法が「宣誓」という言葉による表現。
例えば最初に戦う六武のムンフは、
「この身、鼓動伝わらぬ物にて傷つくること能わず」
という宣誓を行います。
人間が戦う際に、特殊な能力を持っていない一般的な兵士は、武器というものを使うことにより強靭な肉体を持つ魔物と戦うことができるようになるが、このムンフの宣誓による干渉拒絶は「鼓動伝わらぬ物、つまり肉体による攻撃を除いた武器や術式に関する攻撃を無効化する」という能力ですので、一般兵では対抗する手段を失ってしまうということになりますね。
これ、よく考えられていますよね?
やってることは「ワシには武器は効かん!」とかってのと同じことなのですが、宣誓という行為をすることによって、自分の無効化できる範囲を教えると同時に、読者には「どうやって倒せるんだ?」という弱点探しの楽しみまで与えてしまうという。
この設定、本当にすごい。
敵将に対して、日本の戦国時代のような、戦いにおける潔さのようなイメージを抱かせるのは、この言葉による宣誓を行うことが影響しているかもしれません。
ただ、この宣誓に関して一つだけ残念なこと。
魔王ラーフラの宣誓。これはオショウの前に戦うセレストやカタナのときには文章を出さず、宣誓を聞いた後の絶望感だけを表現したほうが、クライマックスに向けて盛り上がったのではないかと。
あの宣誓は最後まで秘密にしなきゃダメなやつだと思いました。そこだけは残念。

だって、絶対あの宣誓を聞いてしまったら、気づいちゃうでしょ。あれはオショウが来るまで伏せておいてほしかったなぁ。

ラストの展開も多くの読者の想定を超えていたのではないかな。
まさかの魔皇の降伏。
屈服させるという意味ではありかもしれませんが、普通は倒すと思いますよね。予想外だったな。
オショウ様ということで、不殺という意味もあったのかもしれませんね。

続編はどうなるのでしょう。
魔皇が降ったとなれば、オショウ達に敵は存在しないということになります。
魔皇が存在するため、新たな魔皇が誕生する可能性も低いでしょう。今作では、魔皇の他には災厄があるとは書かれていなかったので、別の問題があるとも考えにくい。
今回の後始末編や登場人物達の生い立ちを語るような短編集になるのでしょうか。
楽しみに待つとしますか。

そうそう。
続編はもちろん楽しみなのですが、この作品ってアニメ化するとものすごく映えるような気がするのです。
コミックでもいいとは思うけど、この作品はなんとなくアニメ化がいいような気がするのです。
私は普段アニメはほとんど見ないのですが、この作品はアニメで見てみたいと思いました。
なぜでしょうね。
それだけ、キャラクター達が生き生きと描かれていて、動いている姿を見てみたかったのでしょうか。

サポートを頂けるような記事ではありませんが、もし、仮に、頂けるのであれば、新しい本を購入し、全力で感想文を書くので、よろしければ…