オカルトちゃんねる 書式は斬新ながら内容は本格ホラー


読者による文学賞の二次選考 レビュー5冊目です

今回5冊目の本はこちらになります。

オカルトちゃんねる
KADOKAWA(富士見L文庫) 2019年10月15日 初版発行
lpp(えるぴーぴー)

4つの短編から構成されており、それぞれが掲示板上に書き込まれたレスという形式で構成された話です。
掲示板上で話が展開するという手法をとっているため、読みにくい印象を最初は受けましたが、そんなことは全くなかった。よくよく考えれば、日頃から掲示板を見てるんだから、読みにくいはずがないよね。
掲示板を模した書き方、若い年代を意識したような表紙からは想像もできないぐらいの、本格的なホラーです。

掲示板上で、と書いたけど、ネット上によくある掲示板。あれと同じように書き込みが重ねられることで、物語が進んでいく。もちろん、掲示板なので書き込んでいる人はIDくらいしか判別する手段がないけど、主要な登場人物は全員コテハンにしてくれるのは親切設定だと思う。

短編が4本書かれていて、主人公が「ミドリ」という名前の男と「咬みつき」という狐面の男の話が交互に語られていきます。ミドリは霊能力者ではないが、「ミヅチ」というかつて神の位にいたヘビ?のような存在を相方にしている。「咬みつき」は狐面を常につけており、本人いわく昔から親族にも嫌がられる顔だったため、成り行きで手に入れた狐面をいつもかぶっている。
主人公に関しては、かなり魅力的に設定されてる印象。オカルトを相手に立ち回る主人公なので、このくらいの設定のほうが違和感がないかもしれない。

タイトルとイケメン2人の表紙のイラスト、掲示板を利用するという現代寄りの設定からオカルトとはいえ、そこまで怖い話ではないと考えてましたが、かなり考えられた設定で、背筋がぞわっとするような話になっています。スレッドにオカルト話の情報提供者が書き込むことで話が進むため、この情報というものが圧倒的に不足しています。それどころか、スレッドには掲示板という設定上、多くの方が書き込みを行うため、虚実入り混じった話が飛び交ったりもします。
しかし、この情報提供者の書き込みが行われるまでの間がいいのです。なにせ与えられる情報が少ないため、読みながら妄想も膨らむってもんです。情報→妄想→情報→妄想、のような流れが楽しすぎる。いや、話は怖いんですけど。
結果、一気に読んでしまいました。

伝統的な怪談やホラー系の話は、最初から最後まで怖い雰囲気に包まれた状態で読み進めていくことが多いと思いますが、オカルトちゃんねるは、それこそ本物の掲示板のように煽ってくるような書き込み、ふざけた書き込みがちょこちょこ挟まれてくるため、そこまで怖いという感じはありません。 
いや、よく読めば物語のキモはものすごく怖い結末だったりするのですが、そう感じさせないのが読みやすさにもつながってくるのかな、と感じました。
オカルトや怪談が気になりだしたら、かなりおすすめの一冊だと思います。
続き、読みたいです。

それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。









本当に読みますか?ネタバレありですよ?


では、書いていきます。

この作者、文章のテンポというか、間というか、そういった構成がとても上手な方だと感じました。
文章を書く方って、物語の流れを色々考えて人物を登場させてり、会話を組み上げていくと思いますが、この作品は掲示板のレスを重ねることで物語が進行するため、通常の流れを意識していると違和感が生じてしまうと思うのです。
例えば、主人公の一人であるミドリの登場はかなり唐突です。地蔵峠という話は365レス目の「松」というコテハンの書き込みから始まります。366、367はその受け答えのようなレスですが、368レス目に「たすけて」とスレチのような書き込みが行われます。369~374まではこの368に対する返答や書き込み埋まるのですが、375レス目にIDの書かれていない「ミドリ」が唐突に「≫368 見ているか?現状を書き込め」と登場するのです。
通常、舞台の描写や主人公にまつわるエピソードなりを挟んでから登場することがだいたいだと思うのです。レスをつける、という掲示板での発言方法がこれまでにないストーリー展開を可能にしています。実際、物語はこのミドリ、松、そして368スレの書き込みを中心に進んでいきます。ただし、いくら掲示板を舞台にしたところで、何かを解決するためには主人公が舞台を移動する必要が出てきます。凄惨な場面であったり、緊迫した場面であったり、現地で「会話」が行われていたり、とてもスマホ等を用いて掲示板に書き込めないと思われる場面に遭遇します。この問題点を、作者は「一緒にいる第三者の書き込み」という方法で回避します。地蔵峠の話でいうと、冒頭にコテハンで書き込んだ「松」がその役目を負います。
このあたりの切り替えも、なるほどなぁという感じで読めました。無理を感じさせずに話を進めていくことができれば、読者はストーリーに入り込めますから。

ホラーや怪談は、いかに読者に恐怖感を感じてもらいながら、その世界観に浸ってもらうかにつきると思います。最初の短編「地蔵峠」では、西日本(高知県が有名のようです)でよく語られる「七人ミサキ」を引用しています。この「七人ミサキ」の話自体も恐ろしい話なので、興味があれば調べてみてください。作中では単に「ミサキ」と表現していました。
この作品では七人ミサキをそのまま引用するのではなく、「現代のミサキ」は際限なく人数を増やすやっかいなモノ、と定義して扱っています。
また、地蔵峠という響きにも、恐怖感を感じる方もいるでしょう。お地蔵様は恐怖の対象ではないはずですが、なぜか「お地蔵様が複数置いてある」光景というのは、恐怖感を感じてしまうことが多いようです。
実際のお地蔵様は正式には地蔵菩薩と呼ばれる存在で、人々の苦悩を無限の大慈悲の心で包み込み、救ってくれるありがたい菩薩です。
道祖神として、山道等に祭られていることも多く、それ故複数で置かれていることも多いのかもしれません。
作中の地蔵峠の数は8体で、これは七人ミサキが峠を越えてこないように一人多い数で置かれたということが、ミドリから語られます。
この話の作りかたも好きなのです。さりげなく、「ホラーの世界へようこそ!興味があれば七人ミサキも調べてみたら?」といった作者の意図が見え隠れするような気がします。
私が七人ミサキの存在を知っていたのは、学生だった頃「孔雀王」という密教のお坊さんが主人公の万がを読んでいて、その中に恐ろしいチカラを持った悪霊のように描かれていた記憶があったためです。そのおかげかどうか、ミサキという名称には「おお!あのミサキか!」ぐらいのインパクトをもって受け入れることができました。
はい、余談ですね。

地蔵峠の他の3つの短編についても、さらっと怖い話をそこまで恐怖感を感じないように書かれています。掲示板という形で書かれているのがいいのか、作者が意図的にそのように恐怖感を感じさせない書き方をしているのか、それはわかりません。ですが、ホラーの入り口としてオカルトちゃんねるは最適であると思うのです。
掲示板上で話が進んでいくため、アニメやマンガ等の別のメディアに登場することは難しそうです。ですが、ホラーや怪談は「視えないから恐ろしい」という側面もあると思います。視えないからこそ読者は自分の想像で場面を思い浮かべます。これが一番恐ろしい。想像のイメージと現実の隙間に視える光景はたまにシンクロし、予想もしない光景を視てしまったと思い込んでしまうときさえあります。
それでも、怖いもの見たさを満たすために、新しい話を読んでしまうのがホラーです。

何が言いたいかって、早く続編をお願いします。

サポートを頂けるような記事ではありませんが、もし、仮に、頂けるのであれば、新しい本を購入し、全力で感想文を書くので、よろしければ…