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嫌いなやつ・苦手なやつの特徴ほど自分に当てはまっている

暇ではなく、仕事から気持ち的に少し逃げたくて筆を取る次第にあります。

ときたま、嫌な出来事を思い出したり、今まで憎いと思ってしまった人間が頭の中にぬるっとよぎるときがある。

そのときの嫌な気持ちを思い出しつつも、振り返るとどうってことないことで嫌になってしまってるなと感じることもある訳です。

相手のことが憎い、嫌い、苦手と思う自分が嫌で、でも気持ちは忘れ去れなくて、あいつなんて…と思ってしまうのは人間の性ですかね。

心に余裕が出たタイミングでそういう人がよぎると、「そういえば、自分にもあの部分が当てはまったりするな」とか、「この部分全く一緒ではないか」と憎くも、相手の一面を理解することになったりして。

もしかしたら、あのときのあの人は何もかもうまくいっていない状態だから、心もないことをしてしまっていたのかなと勝手に整理するとどうでも良くなる。

そんなこともあり、「学生の頃にマジでこいつは無理だ」と思ってたやつと飲みに行く機会があった。

当時は顔も見たくないほどそいつのことを考えたくもなかった訳ですが、数年ぶりにあってみると距離は置いてしまうものの普通に接した。

しかし、嫌な思い出は残っているもので、いつもの自分のように接することはできなかった。

このままでは良くないと感じたので、相手に気を遣ってみたり、居酒屋の醤油をとってもらったり、それに対してありがとうと言ってみた。

すると、さらに嫌な気持ちはなくなり、だいぶフラットな状態になった。

DaiGoいわく自分の人生にコントロール感が出ると、ストレスは溜まりにくく、幸せな人が多いらしい。

些細なことではあるけど、ある種、嫌いだった人を前に、自分が過ごしやすいようにコントロールできた感覚になったのかなと思ったら、何の感情もなくなった。

結局朝まで飲んだ。

思えば、学生の頃の好き嫌いとかこだわりなんて、些細なことではあるし、当時のあいつは自分の人生を生きていたのだろう。

その動き方というか、進み方が自分と合っていなかったというだけの話だと思うとさらにどうでも良くなった。

時期的に見れば、自分のことだけを考えたいタイミングでもあるし、羽を伸ばしたいときでもある。

そういえば、自分も同じことを別の人にしたときがあったと思うと、自分の器が小さいだけかとまた学びに。

嫌なやつとか苦手なやつなんてものはただただ自分が思い通りにできない人であって、話してみるとある程度分かり合えるものなんだろうに。

そんな風に思った深夜でした。

お粗末。

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