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92年から93年くらいのガールポップについて凄い勢いで語った話


最近は歳食ったのか、よくよく昔のことを思い出す。

多感な10代の頃に好きだった音楽。漫画。ゲーム。その他もろもろ。

今日は音楽の話。

僕の音楽好きの歴史というのは中学1年生の時に本格的に始まっていた。13歳の頃から自分の小遣いでCDを買い、CDシングルをレンタルしまくって、結果として20代・30代の大半でCD売ってたんだからある意味大したもんだよなと思うのだけど、先日、とあるきっかけから「音楽好きとしての歴史」としても最初期の頃を掘り起こしてしまったのでその話をしようと思う。90年代前半の話をするんだ。

1時間くらいtwitter連投しまくった割には特に誰も反応してくれませんでしたが、とても良い再発掘もあったし、記録として残しておく。

きっかけはキョンキョンでした。1991年の小泉今日子「あなたに会えてよかった」なんだけど、いまさら語るに及ばない名曲中の名曲である。作曲が小林武史というのは初めて知ったかもしんない。

今もなのだけど、男性シンガーより女性シンガーに惹かれる傾向があった。健康な男子ゆえ、至極真っ当であると思うのだけど、そんななかでもどんぴしゃりだったのがこの方。

永井真理子。

・・・の「OPEN ZOO」というアルバム。中学生のときに死ぬほど聞き込んでいた1枚です。リリースは1993年の3月でした。すごく大事にしていたなあこのアルバム。ブックレット表紙に銀の箔押し。質感まで覚えています。

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このアルバムのなかでもシングル曲だった「大きなキリンになって」という曲が大好きでしたね。ライヴ映像が残っています。横浜スタジアム!

正統派の「元気になる女子ヴォーカルのポップス」って立ち位置は、現代の音楽シーンで言えば、いきものがかりあたりが担っていると思う。

永井真理子の代表曲はこの2曲でしょう。


「ミラクルガール」はアニメ「YAWARA!」のテーマ曲でした。

永井真理子は2003年からオーストラリアに移住していたんだけど、近年は日本に帰ってきており、再び音楽活動を再開しています。サブスクにないんだよなあ~ ブックオフ漁るか~


その永井真理子とも盟友関係にあったのがこのひと。

辛島美登里。

代表曲にしてクリスマスコンピの定番「サイレント・イヴ」でバラードの人というイメージが大きいのだけど、ポジティヴになれてポップなこの曲、大好きでした。1993年リリース。

「♪会社を辞めたよ 半年悩み続けて 三日間眠れなかったのに 」という歌い出しで、中学生だった自分は「社会人って大変なんだな~」と他人事みたいな感想を抱いたという思い出。


そしてウン10年ぶりに聴いて新鮮な衝撃を受けてしまったのが・・・

久松史奈。

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1971年名古屋に生まれ、1990年にデビュー。

5枚目のシングル「天使の休息」は50万枚も売れたのだけど、いまや埋もれた名曲扱いな気がする。俺も忘れてたし。めちゃくちゃめちゃくちゃいい曲なのに後年カヴァーされた事例は1件くらいしか見つからないのだよなあ・・・

この方はヤマハのオーディションにて合格後、しばらくアイドル然とした売り出し方をされていたそうなのだけど、本人が反発してロック寄りに路線変更。奏功してヒットが生まれたのだから結果論として良かったなと思う。あの時代にアイドルはマッチしなかったと思うし。

MVが残っております。サムネなんとかして差し上げろ。

ここ数日で何十回レベルで聴いているのですが!

いやあ・・・ソングライティングは言うまでもなく、モロに80年代を引きずった90s前半なギターメインのアレンジもクリアなヴォーカルもすとんと胸に落ちる。全てが完璧すぎる。未だここまでの輝きを放つか・・・!!あとクッソ上手い。歌。ライヴ映像みるとCD音源とまったく変わんない。

女子同士の友情を描いた歌詞は、当時もいまも自分の琴線には触れないテーマなんだけど、フレーズのハマり具合が素晴らしく小気味よいのだ。

言いたいことなら腐るほどあるのに なぜかひとつも言葉にならない
いいよね今夜は ひさしぶりに会った とりあえず飲んで 天使の休息


で、いろいろ調べてたら久松史奈さん、いまもガンガン活動されていて、「天使の休息 2020」なる音源がyoutubeに・・・!おお、今年だ。ベスト盤をリリースする予定だったのだけどコロナで頓挫してしまった模様。この2020年Versionはそのベストに収録される予定の曲。

1992年当時の映像見たあとだと「別人かな・・?」と思ってしまうほどグラマラス&セクシーなイメージに。ちょっと椎名林檎に似てるかも。ピアノメインでしっとりと2020年Versionを披露しております。

デビュー曲はTOM★CATのカヴァーなんだけどこれも良い。CHAGEとの共演ライヴ(2014年)。




そして、忘れちゃいけない・・・

LINDBERG。

「元気印の女子ヴォーカルバンド(他全員男子)」という流れは確実にのちのJUDY AND MARYの大ブレイクの先鞭をつけたと思う。もちろんLINDBERGもめちゃくちゃ売れたバンドではあるんだけど。JAMの名前出して並べたくはあるのだけどデビューはJAMより前なのに、解散したのはJAM解散後という事実。いまは再結成して活動中。




とまあ、色々と挙げましたが、90年代前半のこういうガールポップ大好き的な流れが1994年のJUDY AND MARYとの出会いに繋がるわけですね。



ぜんぶ繋がってた。

そして、JUDY AND MARY以降も繋がっている。










・・・・と綺麗に終えようと思ったんだけど最後にちょっと毒を吐く。

この記事で挙げたような、30年近く前の曲のyoutube動画を見てると判で押したように似たようなコメントが目に付いた。だいたいこんな感じ。

懐かしい!めちゃくちゃファンだったよ!

というのはまあいいんだけど、

いまの曲は全然だめだね
2000年代にはないキャッチーさ
昔はよかった

こういうコメントが必ずひとつはある。これは残念だった。

人はどうしても自分の世代を美化してしまうものだし、自分の青春時代を彩ったアーティストや曲に酔うのは悪いことではない(と、最近強く感じている)んだけど、だからといって「現在」を下げるのは違うと思う。

「現在」を生きている若者たちにとって、あいみょんや米津玄師、official髭男dismが、90年代を生きた若者たちにとってのZARDでありglobeであり、PUFFYやGLAYになっていく。そこに優劣はない。「最近の流行りの歌手」を理解できなくてもいい。世代が違うのだから当然の感情だ。でも、「昔と今」を意地悪く対比したり貶したりするのだけはやめて欲しいのだ。

大人なんだからわかるのでは?と信じたいのだが如何なものだろうか。

歳をとるとどうしても頭が硬くなってゆく。自分はそうならないようにとは考えているけれど、ふとした瞬間に顔を出してしまうこともある。

どうにかやわらかさを維持していきたいものだ。





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