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【普通の青年の普通の留学】シアトル留学日記①

2016年1月から3月まで、私はアメリカ合衆国ワシントン州のシアトルに留学をしていました。
突然その時にあったことを色々と鮮明に思い出したので、脳内から消えないうちに書き綴ろうと思います。
まぁ、
「普通の青年が普通に留学して普通に勉強しただけ」
なんですけども、そういう方が今後海外でお勉強される方の参考になりやすいのかなと。
変にぶっ飛んだ話は、手本にはならんですよ。


てなわけでスタートです。

空港を出るところからいきますか。
当時24歳でしたが、搭乗手続きの時に既に泣きそうでした。
何故だろうと、このブログを書きながら色々思い返してみると、中2で初めて海外に行った時、「時差」を考えただけでも泣きそうになったことを思い出しました。
何故あんなに悲しかったのか、未だに理由は分からないのですが、「今こちらは昼なのに日本は真夜中か…」と考えるだけでどんどん憂鬱に。それが10年経って再び私に襲いかかって来たんです。

何とか涙を堪えて飛行機に乗る際、放送が英語で聞こえてきました。
「あ、TOEICと同じやん、すげぇ」
周りにあまり日本語が分かりそうな人がいないことを確認して、小さな声で呟く私。
「テストの勉強が実生活で活かせた」ということにとんでもない感動を覚えたのです。
留学前は塾講師を目指して就職浪人的な生活をしており、英会話教室に通いながら家で勉強をする日々でした。
いざ実際に英語が使われる場面に遭遇して、
すごく気持ちがよかったことを覚えています。

8時間のフライトも無事に終わり(ちょうど4時間経ったころ、太平洋のど真ん中で無茶苦茶揺れましたけど)、
空港に到着。
旅行会社のエージェントさんが迎えに来てくれるということで、事前に知らされた場所に行くのですが全く見当たりません。お互い顔も知らないのでどうすることもできず。
電話番号はもらっていましたのでエージェントに電話をかけました。
「英語通じるかな、大丈夫かな」なんて考えている余裕はなかったです。このままではステイするホームすらないのですから、必死でしたよ。
人生で初めての「生きるか死ぬか」という重大な場面。

“Hello, this is Ryus’ke. I’m looking for you but I can’t see you. where are you?”

英語が人生で一番すらすら出てきました。
そして向こうの言うことも分かるんですよ。
「勉強してきてよかった!」というのと、
「ピンチの時は人間なんでもできるんだなぁ」と、
自分自身に感心してしまいました。

10分ほどお互いを探し合い、ようやく会えました。
ハグしました。なんか、海外っぽくていいでしょ。
「日本から遥々大変だっただろう、水でも飲んで落ち着こうぜ」と日本の軟水とはちょっと味の違う硬水を飲みながら、車の中でたくさん喋りました。

この経験があったからこそ、
私の2ヶ月の留学は能動的だったのかもしれません。
今思うと貴重な経験だったよ。
「自分の体で『生きてりゃ何とかなる』を体現した」と多少大袈裟なことを言いますけど、本当に危なかったので本当にそう思います。

まぁ、最終日にとんでもない事件が起きるんですけどね。もっと貴重な体験。人生で一番やばいと思った日。

それはまた後で。


追記:1つ忘れてました。私が降りたシアトル・タコマ空港には「13番ゲート」がなかったです。他のアメリカの空港もそうなのかしら。

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