新杜氏 岡田唯寛 ごあいさつ

 私が酒造りの道を志したのは25歳の時でした。純米酒の原材料には米と米麹しか書かれていないのになぜこれほどまで味わいに違いがあるのかが不思議で仕方ありませんでした。
 お酒を飲めば飲むほど好奇心が募り、酒造りの世界に入りたいと強く思うようになりました。

 それからしばらくして、まだ蔵人でもなんでもなかった私は地元の酒蔵の一つだった天穏醸造元板倉酒造様の蔵を見学させて頂きました。その時に蔵を案内してくださったのが、後に酒造りの師匠となる故・長﨑芳久氏でした。
 見学の帰り際、そこの蔵の人が『おやっつぁんが自ら蔵見学の案内をするなんて珍しいことだよ』と仰られたことを今でも覚えています。


 それから一年ほど経ち、同じ島根県内の開春醸造元若林酒造様にて故・奥村嵩杜氏はじめ、その後継者として働かれていた山口竜馬さんの下、初めて季節雇用の酒造りの蔵人として働かせて頂きました。

 そこの蔵を退職した27歳の時、初めて蔵見学をした天穏で長﨑杜氏の下で働かせて頂きました。一年目の時、長﨑さんから『おまえさん、あの時に見学に来た子だね?』と言われ、覚えていて下さったことに驚きました。『酒造りなんかやめときなはい、と言ったのによ~』と笑いながら言われました。

 天穏で長﨑さんと働いた五年の間、技術的な面だけでなく、酒造りで歩かれてきた道のりを何度も聞かされてきました。その話の中で長﨑さんが平成初期の五年間、藤井酒造で杜氏をされていたことも存じ上げていました。


 実は、長﨑さんから天穏での杜氏を引き継いだ際に『おまえ、ケツまくんなよ』と言われたことがあります。その時は単に、おまえ頑張れよ、という励ましの意味としか捉えられませんでした。それから数年経った時、私自身が原因で結果的に長﨑さんの期待を裏切ってしまうことになりました。このことは今でも申し訳なく、また情けなかったと思っています。
おそらくあの時、長﨑さんは『お前なんかにはまだ早い』と本当は言われたかったのではないか、と今では思っています。

 その時から約九年間、ここ藤井酒造にて藤井雅夫杜氏の下で働き、今季より改めて龍勢の杜氏に就任しました。長﨑さんがいた蔵で自分も杜氏を務めさせて頂くことになったのはとても不思議な縁を感じますが、それ以上に長﨑さんからの『おまえ、ケツまくんなよ』という言葉を本当の意味で受け取らねばならないと思っております。


 今、龍勢は大きな転換期の中にあります。それは単に杜氏の交代というものだけでなく、全量生酛への切り替え、協会酵母とは異なる系統の蔵付き酵母の発見、そして少しずつではありますが最新の酒造機器の導入など、様々な変化をしております。

 そうした中で私たちが醸す龍勢は、おそらく新しくもあり古くもある酒であることでしょう。私自身がこのような酒を造ります、というようなものではなく、もっと大きな流れの中にある酒がこれからの龍勢であってほしいと願っております。

 そして、次の世代、そのまた次の世代を継ぐ蔵元や杜氏、蔵人たちから、あの頃の人達も悩みながら、もがきながらいい酒を造ろうと頑張っていたんだな、と胸を張ってもらえる酒造りをして参りたいと思っております。

どうかこれからの龍勢も末永くご愛飲して頂きますようどうかよろしくお願い申し上げます。


藤井酒造株式会社
杜氏 岡田唯寛


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